第1話 君が為 春の野に出でて 4月12日

 「三年生は私と柴田。二年生は丹羽と佐久間、滝川に前田。一年生が木下と君」

 

 先輩が両手でボールを弾きながら、女子バレー部員の面々を列挙する。歴史物に疎い私でも、何となく聞き覚えのある苗字が連なっていた。

 

 先輩の手を離れ、バレーボールが緩やかに放物線を描いて宙を舞う。青い線が黄色い面を分断するようなデザイン。微弱な回転がかかり、視界に映る色合いを青と黄と、交互に変えながら私に迫りくる。

 

 膝と腰を軽く沈ませて、両手で三角を模るように指先を重ねた。


 「合戦にでも出陣しそうな面子です、ねっ」

 少なくとも可愛げはない。


 つま先で地面を蹴り、沈めた膝をバネのように伸ばしてボールを迎え撃つ。

 

 オーバーハンドパス。両手が触れる瞬間、肘から指先全体を使ってスナップを効かせるようにボールを弾く。

 その瞬間が先輩への返答の語尾に被さり、跳ねるような物言いになった。


 「あ、すみません」

 私が放ったボールは軌道がずれて、先輩が拾い上げるには数歩を要した。


 「大丈夫……ふふ、確かに兵揃いな感じだ」

 それでも爽やかさを保ったまま、低く深みのある声を乱さずにレシーブをする。ミスなどなかったかの如く、完璧に私の元へ返ってくる。


 「これで先輩の苗字が織田だったら完璧ですけど」

 名誉挽回とばかりに、今度は私もボールを上手く先輩の元へと運べた。


 そんな先輩の苗字は明智。

 裏切って味方のコートにスパイクを打ってきそう。めっちゃ失礼な所感であることは自覚している。


 ちなみに私の苗字は西藤さいとうで、浅い歴史の知識を遡る範囲では同じ苗字の偉人を目にしたことはない。女子バレー部への入部資格がないのではと、いらない懸念を抱いた。


 「期待に沿えず済まないね」

 先輩の長い右腕が鎌のように弧を描いて振りあがる。

 背を僅かに仰け反らせ、後ろで一つに結んだ艶やかな黒い長髪が揺れる。


 ……来る。強打に備え、重心を低くして構えた。

 鞭のように腕がしなり、勢いよく掌に打ち付けられたボールは鋭く一直線に私の膝元へ。

 両掌が上を向くように組み合わせ、肘をしっかり伸ばし、手首の近くでボールを捉えた。衝撃が振動となり、腕から肩へと伝う。

 

 中学三年間で身体に染み付けた、基本に忠実なレシーブの構え。

 その成果として、ボールは大きく右に舵を切って吹っ飛んで行った。


 「…………すみません」

 二人で見当違いに飛んでいった方向を眺める。

 「取っておいで」

 「……はぁい」


 緩やかな口調の命令は、それはまぁ私のミスだから受け入れるとして。


 小走りでボールの元へ向かう。新調したばかりのローファーがパカパカと砂混じりの石畳を叩く。

 ボールを拾い上げると、砂の他に桜の花びらが一枚付着していた。払い落として溜息を吐く。


 今日は四月十二日。

 高校に入学して二週目の水曜日。

 仮入部期間中の女子バレーボール部の練習中で、練習場は何故か校庭とグラウンドの狭間で。

 ビーチバレー部でもないのに何故か屋外練習。


 通常――少なくとも私はパスをする際、視界に映る天井や壁、ネットを頼りに相手との距離感を測る。

 

しかし今身を置いている環境ときたら空は際限なく高く、壁もネットもなくてボールのコントロールは至難の業。


 天井に遮られない日光はボールを目で追うたびに容赦なく飛び込んでくる。

 用意してきた膝当てもバレーシューズも鞄に仕舞ったまま。まだ学校指定の外履きは届いていなくて、かといって室内用のバレーシューズで外を闊歩するのは気が引ける。

 仕方なしに履いているローファーではこの上なく動きづらい。

 

 そして先ほど先輩が名を挙げた兵っぽい部員達は誰一人姿を見せず。

 放課後に二人きりで、無駄に難しいパス練習に時間を費やす。当然ながらそこに心躍る物は一つもない。


 つまるところ……何やってるんだろ。私。

 疑問とボールを抱えて戻る。自然と私を待つ先輩に目が行く。


 「おかえり。随分遠くに飛ばしたねぇ」


 くっきりとした二重瞼に切れ長の目、筋の通った高い鼻、薄く施された化粧を差し引いても透き通るような白い肌。濡羽色の髪とのコントラストで、より白さが際立つ。

 黒々とした髪は光の反射で青みを帯びていて艶めかしい。生来栗色な自分の髪が幼く思えてしまう。

 

 総じていえば美人という二文字に遜色ないというか、そうとしか形容できない。

 そして美麗な顔立ちに見合った体躯を持つ。

 身長は女子にしてはかなり高い。百七十センチ近くはありそうだ。

 

 まさしく女子の平均身長な私と並び立つと明確な差が生じる。

 均整の取れたモデル体型の恩恵か、学校指定のありふれた紺のジャージ姿でも絵になるのはこれいかに。


 「すみません。屋外の練習に不慣れなもので」

 涼やかに端を吊り上げた薄い唇から向けられた揶揄に対し、含蓄を持たせて突き返す。


 「大丈夫。これから上手くなるよ。きっと」

 「それはどうも」


 嫌味は全く効き目がなさそうだった。別に屋外バレーの上達は目指していない。

 何なら先輩の両の目はグラウンドの端に植えられた桜に向いている。私への返答は気もそぞろなのが明白だ。


 ごく短い付き合いながら、先輩にはこういうところがある。移り気というか、適当というか。 言い返す気にもなれず、会話が途切れる。

 春の柔らかな陽光を浴びて、物憂げに影を落とす横顔を眺める。

 

 何だこの時間。と思いつつ、倣う様に桜の木へ視線を移す。枝を覆う淡紅色の花びらの中には緑が混ざり始めている。名残の花。そんな初春の残滓を只々ぼんやりと。


 グラウンドの大部分には私たちと違い、スポーツへ真剣に青春を捧げる生徒たちが汗を流していて肩身が狭い。


 しかし私は一年生で先輩は三年生。おまけに先輩は部長で私は仮入部中の身。

 そうなれば、例えこの活動が間違いだらけであろうとも、肩身が狭かろうとも右に倣うしかないのだった。


 「春、だね」

 「春、ですね」

 物憂げな眼差しの奥に、どんな考えが渦巻いているのか、全く計り知れない。

 

 「君、ケバブ食べたことある?」

 「へぇ?」

 そして予想斜め上どころか背後から刺されような話題変換に、江戸っ子のような声が漏れた。江戸どころか田舎の民なのに。

 何をどうしてその質問に至ったのか、本当に、全くもって計り知れない。


 「な、ないですね。たまに屋台で見かけますけど」

 地元スーパーとかの入り口付近にいるイメージ。

 「大体店主は怪しげなおじさんだね」

 「ええ。東南アジア系の」

 

 それがまた胡散臭くて、近寄りがたい雰囲気がある。

 焼き鳥の屋台なら小さい時に何度か……などと釣られて回想し始めた所、先輩は手を口元に当ててたおやかに笑いはじめた。笑う要素どこ。


 「……何ですか」

 つい不満を声に乗せてしまう。

 ごめん。と顔を背けて、真面目さを表情に取り戻してから向き直ってきた。


 「いや、君といると楽しくなってしまうから困るよ」

 「そんな理不尽なことあります……?」

 脈絡も益体もないやりとりに嘆息する。

 こんなだらだらとした練習と会話が数日間続いていて、幾度もやっぱり入部はやめとこうかしらと迷う。


 しかしやや特殊な経緯でここにいる分、今更辞め難いのが実情だった。

 もう少し私に学校生活を謳歌しようという気概があれば、ここにいることは無かったのだろうか。



 

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