第4話 初夜

 純人すみとくんが玄関の明かりをつけると、明るい色のエントランスが現れた。


 玄関から伸びるフローリングもまっさらで、ワックスが光を照り返している。


「まさか、まだ入居してなかったの?」


「三日前から住んでるよ。仕事道具を運び込んだだけ。

 光香みかさんの荷物は明日、業者が持ってくると思うから。

 ――さぁ、上がって上がって」


 純人すみとくんに急かされながら、私はパンプスを脱いでピンクのスリッパを履く。


 廊下を歩いていくと、途中には洗濯機が置いてある脱衣所とバスルーム。


 近くには新品のトイレ――うわ、シャワートイレだ、これ。


 女性用品は……さすがに置いてないか。


 キョロキョロと確認をしながらリビングの白い扉を開けると、中では十二畳くらいありそうな広い部屋が待ち構えていた。


 純人すみとくんがリビングの照明をスマホで点けていく――スマート家電かー。


 観葉植物の鉢植えと、大きなソファに囲われたガラスのローテーブル。


 正面の大型テレビの近くには……ゲーム機、かな?


純人すみとくん、ゲームするの?」


「気分転換と、知人を招いた時の暇つぶし用にね」


 うわ、結構ドライだな。


 奥にはダイニングテーブル……ちょっと大きいな。お客さんが来ても対応できそうだ。


 その奥が木製のキッチンカウンター、キッチンに入ってみると、大きめの作業台に食洗器。


 シンクも広くて、大人二人で作業できそうだ。


 コンロは……え、四口?!


「ちょっと、なんでこんなに豪華なキッチンなのよ……」


光香みかさんの趣味に料理があったら、対応できるかなって」


 まさかの私向けの設計ーっ?!


 私は両手の指先をくっつけながら、俯き気味に告げる。


「実は私、料理はその……」


 純人すみとくんが明るい声で答える。


「気にしないで。光香みかさんが作れないなら僕が作るから」


 神かーっ?! 何この子?! 料理できるの?!


 冷蔵庫も大型家族用の二十リットルぐらいありそうなもの。


 中を開けてみたけど、しっかり食材が入ってる。


 むむ、下ごしらえ済み? 口だけじゃないな……。


 私はため息をついて冷蔵庫のドアを閉めた。


純人すみとくん、なんでもできるんだね」


「そんなことないよ。

 『一人でできることには限界がある』って教えてくれたの、光香みかさんじゃない」


「そりゃ、昔はそう言ったけどさ……」


 なんか、料理もできない女とか……年下男子が料理上手だとちょっと惨めだ。


 これで『妻です』なんて言って、私に何ができるんだろう。


 純人すみとくんが優しい声で私に告げる。


「だから、気にしないで。僕は光香みかさんが傍にいてくれるなら、それで満足だから」


 私は思わず振り向いて純人すみとくんに尋ねる。


「今、なんて言ったの? 純人すみとくんは、この結婚を望んでたの?」


 純人すみとくんが照れ臭そうに頷いた。


「小さい頃、光香みかさんに会った時に『この人となら』って思えた。

 今はその時の夢がかなって、実は踊り出したいくらいなんだ。

 光香みかさんもありがとう、この話に応じてくれて。断る方法もあったのに」


 私は方眉を上げて純人すみとくんを見つめた。


「……それ、どういう意味?」


「だって、自己破産すれば借金はなんとか片付くからね。

 それはそれで生きていくのが大変だけど、結婚しなくてもいい道もあった。

 だけどお爺ちゃんから説明されても、結婚を選んでくれたんでしょ?」


 私は茫然としながら純人すみとくんに答える。


「そんな話、聞いてないよ……」


 純人すみとくんが眉をひそめて私を見つめ返した。


「……本当に? お爺ちゃん、何を考えてるんだろう」


 私はため息をつきながら純人すみとくんに尋ねる。


「ねぇ、今から結婚を取りやめにして、自己破産ってできると思う?」


「もう婚姻届は出しちゃったし、離婚ってことになると思う。

 自己破産しようにも、今の状態じゃ審査はまず通らないよ」


 困り顔の純人すみとを見つめながら、私は大きくため息をついた。


「嵌められたわね……全部分かってて手続きを急いだのね?」


「かもしれない。お爺ちゃん、そういうところが強引だし」


 あんのクソ爺! 何を考えてるんだ!


 バサバサと純人すみとくんの肩から那由多なゆたが羽ばたいて、部屋を気持ちよさそうに飛んでいった。


 観葉植物の上にとまり、「カーッ!」と一声鳴く――気にするなって?


「気にするわよ! なんで私が罠に嵌められないといけないの?!」


 純人すみとくんが困ったような微笑みで私に答える。


那由多なゆたを見ることができるだけで、凄いことなんだ。

 そんな光香みかさんを我が家に迎えたかったんだと思う。

 僕もなるだけ光香みかさんの力になるから、今は我慢して」


 年下の純人すみとくんに気を使わせちゃった。


「ごめん、純人すみとくんは悪くないよね。ありがと。

 ――ベッドルームは?」


「こっちだよ。リビングの奥」


 私は先を行く純人すみとくんの背中を追いかけるように歩き出した。





****


「嘘、ダブルベッドなの……」


 博寝室には、キングサイズのダブルベッドが一つだけ。


 部屋にはテレビとノートPCがなぜか置いてある。


 純人すみとくんが私の背後で申し訳なさそうに告げる。


「ごめん、さすがに寝室を二部屋は用意できなくて。

 光香みかさんも嫌だよね。僕は毛布があれば、二階の空き部屋で寝るから」


 ――そこまで気を使わせるわけにはいかない!


 私は余裕の微笑みを浮かべながら振り返り、純人すみとくんに告げる。


「私たち、夫婦なんでしょ? 七歳も年下の男の子なら気にすることはないわ。

 先にシャワー浴びるわね」


 おもむろに服に手をかけ、自分で脱いでいく。


 純人すみとくんが真っ赤になって、慌てて背中を向けた。


「僕は! リビングでテレビを見てるから!」


 ブラウスを脱ぎかけたところで純人すみとくんは寝室から出て、ドアを閉めてしまった。


「……はぁ~、助かったぁ」


 私は早鐘を打つ心臓を押さえ込みながら、へなへなと床にへたり込んだ。


 あれで少しは男性経験豊富に見えたかな?


 年下の男の子なら、これで簡単に手を出そうとは思わないだろう。


 自分がリードしたくても、相手が年上で経験豊富。気後れするのは間違いない。


 私は寝室内のクローゼットを確認して、白いバスローブを取り出した。


 ドアに注意しながら服を脱いでいき、バスローブを身にまとう。


「――ふぅ。シャワーを浴びて気分転換しよう」


 私はそのままドアを開け、寝室を後にした。





****


 私の後に純人すみとくんもシャワーを浴び、二人でバスローブになってリビングのソファに座る。


 テレビでお笑い番組が流れているけど、ちっとも頭に入らない。


 気まずい空気の中で、私も純人すみとくんも黙り込んでいた。


 不意に那由多なゆたが「カーッ!」と鳴いた――え? 『初夜だからって緊張するな』って?


 緊張するに決まってるでしょ?!


 形だけでも私たち、夫婦なんだけど!


 でももう夜遅いし、眠らないと。


純人すみとくん、じゃあ眠ろうか」


「うん……でも、本当に同じベッドで大丈夫なの?」


 私は必死に微笑みを作りながら答える。


「あら、純人すみとくんこそ緊張してるの?」


 顔を真っ赤にした純人すみとくんが顔を逸らした。


 主導権を握った気がして、思わず笑みがこぼれる。


「可愛いわね。さすが十八歳」


「うるさいな……年の差はしょうがないじゃないか」


 あ、やっぱり子供っぽいところはあるんだな。


 気持ちに余裕が出た私は純人すみとくんの手を引いて立ち上がった。


「いいからもう寝ましょう? 君は明日、どうするの?」


「……仕事。光香みかさんは家で荷物を受け取っておいて。

 寝室に入りきらない分は、二階の空き部屋を使っていいから」


 私は微笑みながら頷くと、純人すみとくんの腕を引きながら寝室に入っていく。


 私がベッドに入る様子を、純人すみとくんは緊張した顔で見守っていた。


 私が枕に頭を沈めると、純人すみとくんはベッドの隅に体を寄せて布団に入ってくる。


 思わず笑みをこぼしながら、私は告げる。


「もう少しくっついてもいいのよ?」


「そんなこと……できるわけないじゃないか」


 ――よし! 今夜は安全!


「それじゃおやすみ、純人すみとくん」


「うん……おやすみ、光香みかさん」


 私は安心と気疲れから、ストンと意識を手放した。





****


 静かな寝息を立てる光香みかを、純人すみとは穏やかな笑みで見つめていた。


 遠慮なく光香みかに近づき、その額を撫でる。


「ようやく手に入れた。もう離さないよ、光香みか


 リビングで那由多なゆたが小さな声で鳴いた。


「わかってるよ那由多なゆた。でも今夜くらいはいいだろう?」


 純人すみとは寝入っている光香みかの手を握ると、夜遅くまで愛おし気にその髪を撫で続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る