第3話 新居

 太平洋を一望できる国道から、眼下の土地を見下ろす。


 鴨原かもはら――私の地元だ。ここで生まれ、ここで育った。


 ちょっと寂れた、どこにでもある海に面した土地。


「――あれ? 純人すみとくん、大学はどこに通ってるの?

 この町の近くって、大きな大学はなかったでしょ?」


 私が車窓から振り返ると、純人すみとくんが微笑みながら答える。


「僕は大学に通ってないよ。今はお爺ちゃんのグループ企業で働いてるんだ」


「え……高卒で就職したの? 将来、不利にならない?」


 前列から伊勢崎いせざきさんが楽し気な笑い声を上げた。


「私が会社に招くんだから、就職の心配など不要なのさ」


 うっわー、縁故採用。ズルいなぁ。


「そういうことをしてると、会社が傾きますよ?」


 伊勢崎いせざきさんが楽し気に私に答える。


「問題ない。純人すみとは優秀だからね」


 そういう問題か?


 私は純人すみとくんを見て尋ねる。


「ねぇ、どんな仕事をしてるの?」


 純人すみとくんが目を伏せがちにしながら那由多なゆたの顎を撫でた。


「んー、IT関係って感じかな。詳しく言っても伝わらないだろうし」


「あら奇遇ね。私もIT関係だったのよ?

 もっとも、下っ端のウェブデザインだったけど」


「え? 光香みかさんPCを扱えるの? じゃあ、うちの会社に来てみる?」


 ん? なんだか違和感が。


 私は純人すみとくんに恐る恐る尋ねる。


「『うちの』って、そんな風に君が決められるものなの?」


 純人すみとくんがニコリと微笑んで頷いた。


「僕が代表取締役だからね。もっとも、名前だけなんだけど。

 それでも採用人材の紹介くらいはできるよ」


「――まさか、その年齢で社長なの?!」


 私が大声を上げると、那由多なゆたが「カーッ!」と大きな声で応えた――え、うるさい?


「ごめん、那由多なゆた。ちょっと驚いちゃって。

 でも、よく社長になんてなれたわね」


「小さい会社だし、資本は全部お爺ちゃんの会社が握ってる。

 零細の下請けみたいな企業だよ」


 あ、案外まともだ。なるほど、そりゃ高卒社長に大きな会社なんて任せないか。


 私は小さく息をついて純人すみとくんに尋ねる。


「私にできる仕事なんてあるの?」


「仕事だけなら色々あるし、まずはテストチームに入ってもらうかな。

 そこで社内のシステムに慣れたら、開発部に配属してもいいし」


 ――開発部! キャリアアップのチャンス?!


「やる! その開発部、やってみたい!」


 純人すみとくんがニコリと微笑みながら頷いた。


「じゃあ、第一希望は開発部ってことでいいかな?

 光香みかさんなら心配はいらないと思うけど、試用期間は一応取るから、その間はテストチームに。

 あとは現場のチームと調整して、どこに配属したらいいか決めるよ」


 うわ、本当に社長みたいなことを言ってる……。


「ねぇ純人すみとくん、高卒なのに堂に入ってるね……」


「そうかな? 普通だと思うけど」


 普通なわけがあるかい!


 そういえば、子供のころから頭は良さそうだったしなぁ。


 私は小さく息をついて告げる。


「じゃ、よろしくね。純人すみと社長」


「うん、承りました」


 私たちが微笑みを交わしていると、前列から伊勢崎いせざきさんが告げる。


「先に役所で転入届と婚姻届を処理してしまうよ。

 夜にはどこかで、晩飯でも取ろう」


 私たちを乗せた車は国道から外れ、懐かしい鴨原かもはらの町に向かって崖を下っていった。





****


 市役所に着くと、転入届と婚姻届の書類を伊勢崎いせざきさんが取り出して机の上に置いた。


「必要事項は書いてある。あとはあんたの名前を書くだけだ」


 ……なるほど、住所も何もかもが、全部埋まってる。


 私は書類の氏名欄を指さして伊勢崎いせざきさんに尋ねる。


「ここってどっちの名前を書くんですか? 旧姓? それとも新姓?」


 伊勢崎いせざきさんが笑いながら告げる。


「今のあんたの名前で書くんだよ。だから『安達あだち光香みか』と書けば、それでいい。

 あとは役所が転入者の婚姻ということで、処理を進める。

 婚姻届を出したら、あんたはもう『伊勢崎いせざき光香みか』だ」


 そっか、私の名前、しばらくお別れか。


 早くて半年、長くても一年半?


 私はお別れを告げる気分で、自分の名前を書類に記入していく。


「――はい、できたわよ」


 書きあがった書類を伊勢崎いせざきさんに手渡す。


 それを受け取った伊勢崎いせざきさんが、書類を確認して私に答える。


「……不備はないね。あとは自分たちで書類を出してきなさい」


 うげ、それをやるのか。


「代理人とかは?」


「無理だね」


 無情な答えに、私は肩を落としながら書類を受け取った。


 純人すみとくんが私の背中に手を当てながら告げる。


「仕方ないことだし、今は諦めよう?」


「そうね……事情が事情だものね」


 私は純人すみとくんと一緒に、婚姻届を提出する窓口へと向かった。





****


 車に戻った私はぶすくれながら窓の外を見ていた。


「なーにが『ご結婚おめでとうございます』よ!

 なにもめでたくなんかないっての!」


 純人すみとくんが困ったような声で告げる。


「まぁまぁ、落ち着いて。

 でも、これで光香みかさんも伊勢崎いせざきの一員だね。

 短い間かもしれないけど、よろしく」


 う、なんか悪いことをしてる気分……。


 私は車窓から振り返って純人すみとくんに告げる。


「ごめんね、私の事情に巻き込んで」


 純人すみとくんは微笑みながら首を横に振った。


「気にしないで。光香みかさんの力になれるなら、これくらいなんでもないから」


 いい子?! なんていい子に育ったの?!


 思わず純人すみとくんの頭を撫でると、彼の頬がわずかに上気した。


「あの……いきなり何を?」


「いい子だから、褒めてあげてるの」


 那由多なゆたが明るい声で「カーッ!」と鳴いた――え? 新婚早々のろけるな?


「ちょっと那由多なゆた! 私はのろけてなんかいないけど?!」


 前列から伊勢崎いせざきさんが嬉しそうな声で告げる。


「構わんだろう。事情はどうあれ、あんたらは新婚なんだ。

 新婚気分を味わってもバチは当たるまい」


 新婚ねぇ……実感が湧かない。


「挙式とか新婚旅行は?」


 純人すみとくんが微笑みながら私に答える。


「離婚するつもりの結婚で、挙式や旅行をしたい?

 したいなら手配するけど、気まずくない?」


 それを言われると……式に友達も呼びづらい。


 私はため息をついて後部座席のシートに背中を預けた。


「それもそうね。意味のないことは止めにしましょう」


 車は静かに繁華街の中を走り続けた。





****


 ちょっとした料亭で食事を済ませると、車は一軒家の前で停車した。


 どう見ても普通の民家で、社長一族が住む家には見えない。


 前列から伊勢崎いせざきさんが告げる。


「ここがあんたらの新居だ、光香みかさん」


 私は眉をひそめながら答える。


「私たちのって……伊勢崎いせざきさんは?」


「私は伊勢崎本家の本邸に住んでいるよ。

 だが純人すみと光香みかさんは新婚だろう?

 私や隆文たかふみ――ああ、純人すみとの父親が居ても、居心地が悪いだろう」


「私と純人すみとくんだけの家……ってことですか?」


「そういうことだ」


 純人すみとくんが先に車を降りて、私に告げる。


「荷物、僕が持ってもいい? 中に運び込んじゃうよ」


 私が頷くと、純人すみとくんがトランクから旅行鞄を取り出していく。


 私も車から降り、目の前の一軒家を見上げた。


 新築二階建て。家族四人くらいは余裕で住めそうな大きさに見える。


「さすが鴨原かもはら、土地代が安いのかしら」


 車の中から伊勢崎いせざきさんが楽し気に笑った。


「それは否定せんがね。じゃあ私はこれで帰るよ。

 ――純人すみと、後は任せたよ」


 純人すみとくんが頷くと、車のドアが閉まり、ゆっくりと私たちの前から去っていった。


「……いよいよ逃げ場なし、か」


「そんなに緊張しないで? 形だけの結婚なんでしょ?」


 私は旅行鞄を持つ純人すみとくんに振り返って尋ねる。


「ねぇ、ほんと~にこれでよかったの?」


 純人すみとくんが嬉しそうに頷いて答える。


「うん、僕はこれで満足。

 ――さ、家の中に入ろうか」


 旅行鞄を転がしながら、純人すみとくんがドアにスマホをかざす――スマートロック?!


 玄関のドアを開けて、純人すみとくんが告げる。


「それではどうぞ、お姫様。貴方のお城です」


 私は苦笑をしながら純人すみとくんの前を通り過ぎ、玄関に吸い込まれた。

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