第3話 新居
太平洋を一望できる国道から、眼下の土地を見下ろす。
ちょっと寂れた、どこにでもある海に面した土地。
「――あれ?
この町の近くって、大きな大学はなかったでしょ?」
私が車窓から振り返ると、
「僕は大学に通ってないよ。今はお爺ちゃんのグループ企業で働いてるんだ」
「え……高卒で就職したの? 将来、不利にならない?」
前列から
「私が会社に招くんだから、就職の心配など不要なのさ」
うっわー、縁故採用。ズルいなぁ。
「そういうことをしてると、会社が傾きますよ?」
「問題ない。
そういう問題か?
私は
「ねぇ、どんな仕事をしてるの?」
「んー、IT関係って感じかな。詳しく言っても伝わらないだろうし」
「あら奇遇ね。私もIT関係だったのよ?
もっとも、下っ端のウェブデザインだったけど」
「え?
ん? なんだか違和感が。
私は
「『うちの』って、そんな風に君が決められるものなの?」
「僕が代表取締役だからね。もっとも、名前だけなんだけど。
それでも採用人材の紹介くらいはできるよ」
「――まさか、その年齢で社長なの?!」
私が大声を上げると、
「ごめん、
でも、よく社長になんてなれたわね」
「小さい会社だし、資本は全部お爺ちゃんの会社が握ってる。
零細の下請けみたいな企業だよ」
あ、案外まともだ。なるほど、そりゃ高卒社長に大きな会社なんて任せないか。
私は小さく息をついて
「私にできる仕事なんてあるの?」
「仕事だけなら色々あるし、まずはテストチームに入ってもらうかな。
そこで社内のシステムに慣れたら、開発部に配属してもいいし」
――開発部! キャリアアップのチャンス?!
「やる! その開発部、やってみたい!」
「じゃあ、第一希望は開発部ってことでいいかな?
あとは現場のチームと調整して、どこに配属したらいいか決めるよ」
うわ、本当に社長みたいなことを言ってる……。
「ねぇ
「そうかな? 普通だと思うけど」
普通なわけがあるかい!
そういえば、子供のころから頭は良さそうだったしなぁ。
私は小さく息をついて告げる。
「じゃ、よろしくね。
「うん、承りました」
私たちが微笑みを交わしていると、前列から
「先に役所で転入届と婚姻届を処理してしまうよ。
夜にはどこかで、晩飯でも取ろう」
私たちを乗せた車は国道から外れ、懐かしい
****
市役所に着くと、転入届と婚姻届の書類を
「必要事項は書いてある。あとはあんたの名前を書くだけだ」
……なるほど、住所も何もかもが、全部埋まってる。
私は書類の氏名欄を指さして
「ここってどっちの名前を書くんですか? 旧姓? それとも新姓?」
「今のあんたの名前で書くんだよ。だから『
あとは役所が転入者の婚姻ということで、処理を進める。
婚姻届を出したら、あんたはもう『
そっか、私の名前、しばらくお別れか。
早くて半年、長くても一年半?
私はお別れを告げる気分で、自分の名前を書類に記入していく。
「――はい、できたわよ」
書きあがった書類を
それを受け取った
「……不備はないね。あとは自分たちで書類を出してきなさい」
うげ、それをやるのか。
「代理人とかは?」
「無理だね」
無情な答えに、私は肩を落としながら書類を受け取った。
「仕方ないことだし、今は諦めよう?」
「そうね……事情が事情だものね」
私は
****
車に戻った私はぶすくれながら窓の外を見ていた。
「なーにが『ご結婚おめでとうございます』よ!
なにもめでたくなんかないっての!」
「まぁまぁ、落ち着いて。
でも、これで
短い間かもしれないけど、よろしく」
う、なんか悪いことをしてる気分……。
私は車窓から振り返って
「ごめんね、私の事情に巻き込んで」
「気にしないで。
いい子?! なんていい子に育ったの?!
思わず
「あの……いきなり何を?」
「いい子だから、褒めてあげてるの」
「ちょっと
前列から
「構わんだろう。事情はどうあれ、あんたらは新婚なんだ。
新婚気分を味わってもバチは当たるまい」
新婚ねぇ……実感が湧かない。
「挙式とか新婚旅行は?」
「離婚するつもりの結婚で、挙式や旅行をしたい?
したいなら手配するけど、気まずくない?」
それを言われると……式に友達も呼びづらい。
私はため息をついて後部座席のシートに背中を預けた。
「それもそうね。意味のないことは止めにしましょう」
車は静かに繁華街の中を走り続けた。
****
ちょっとした料亭で食事を済ませると、車は一軒家の前で停車した。
どう見ても普通の民家で、社長一族が住む家には見えない。
前列から
「ここがあんたらの新居だ、
私は眉をひそめながら答える。
「私たちのって……
「私は伊勢崎本家の本邸に住んでいるよ。
だが
私や
「私と
「そういうことだ」
「荷物、僕が持ってもいい? 中に運び込んじゃうよ」
私が頷くと、
私も車から降り、目の前の一軒家を見上げた。
新築二階建て。家族四人くらいは余裕で住めそうな大きさに見える。
「さすが
車の中から
「それは否定せんがね。じゃあ私はこれで帰るよ。
――
「……いよいよ逃げ場なし、か」
「そんなに緊張しないで? 形だけの結婚なんでしょ?」
私は旅行鞄を持つ
「ねぇ、ほんと~にこれでよかったの?」
「うん、僕はこれで満足。
――さ、家の中に入ろうか」
旅行鞄を転がしながら、
玄関のドアを開けて、
「それではどうぞ、お姫様。貴方のお城です」
私は苦笑をしながら
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます