第12話

 花恋の切ない歌声が、中庭全体を支配していた。

 誰もが、そのステージに釘付けになっている。

 その中で、俺だけが、全く別のものを見ていた。


 木の陰で、涙を流す鈴音。

 そして、その彼女の肩を抱き、耳元で何かを囁く、高橋沙耶香の残酷な笑顔。

 鈴音の顔から、血の気が引いていく。その瞳が、純粋な恐怖に見開かれていく。


「――っ!」


 俺は、考えるより先に、人混みをかき分けていた。

「すみません!」「ちょっと、押さないでよ!」という声が聞こえるが、構っていられない。

 俺の形相に気づいたのか、生徒たちがモーセの海のように道を開ける。


「高橋ッ!」


 俺が叫びながら駆け寄ると、高橋先輩はゆっくりと鈴音から離れ、まるで何も無かったかのように優雅に振り返った。


「あら、竜也くん。どうしたの、そんなに慌てて。私、大切な後輩に、ちょっとしたアドバイスをしてあげていただけよ?」


 その言葉とは裏腹に、彼女の瞳は「獲物」をいたぶる肉食獣のそれだった。

 鈴音は、俺の姿を認めると、すぐさま俺の背中に隠れ、制服のジャケットを強く握りしめた。その指先が、小刻みに震えている。


「アドバイス、だと? その顔のどこに、先輩らしい善意があるって言うんだ!」

「失礼ね。私はただ、事実を教えてあげただけ」


 高橋先輩は、楽しそうに唇を歪めた。


「『自分可愛さに、好きな男のことを大嫌いだって嘘をつくような女は、彼の隣に立つ資格なんてない』って。……ねえ、竜也くんも、そう思うでしょ?」


 心臓を、氷の矢で射抜かれたような衝撃。

 なんて、残酷な。

 それは、鈴音が一番気にしている、一番触れられたくない、心の傷そのものだ。


「……お前が、そう言わせたんだろうがッ!」

「あら、証拠でもあるのかしら?」


 高橋先輩は、くすくすと笑う。


「私が、一般生徒を脅した? そんな作り話、誰も信じてくれないわ。みんなが知っている事実は、『藤崎鈴音は、保身のために嘘をついた』。それだけよ」


 ぐうの音も出ない。彼女の武器は、権力や証拠写真なんかじゃない。もっと狡猾で、人の心の隙間に付け入る、噂と、同調圧力だ。


「じゃあ、私はこれで。ライブの続き、楽しまないとね」


 高橋先輩は、完璧な勝利宣言を残し、優雅に人混みの中へ消えていった。


 残された俺は、ただ、震え続ける鈴音を慰める言葉も見つけられずに、立ち尽くすしかなかった。

 背後で、鈴音の嗚咽が聞こえる。


「ごめんなさい……ごめんなさい、竜也……。私のせいで……私が、嘘つきだから……」


 壊れたレコードのように、彼女は自分を責め続ける。

 違う、お前のせいじゃない。俺が、俺がもっと早く気づいていれば。

 そう叫びたいのに、どんな言葉も、今の彼女には届かない気がした。俺は、あまりにも無力だった。


 俺は、何も言わずに、鈴音の手を引いた。

 人目を避けるように、校舎の裏にある、古びたベンチまで彼女を連れて行く。

 隣に座っても、鈴音は俯いて、嗚咽を漏らし続けていた。


 どうすればいい。何を言えばいい。

 正解なんて、分かりっこない。

 だから、俺は、ただ黙って、彼女の隣に座り続けた。逃げないと、一人にしないと、そう示すように。夕日が校舎を赤く染め、俺たちの影を長く、長く伸ばしていく。


 どれくらい、そうしていただろうか。

 ようやくしゃくり上げるのが収まった鈴音が、ぽつりと、消え入りそうな声で呟いた。


「……竜也」

「……なんだ」

「私……明日から学校いけないかも……」


 その言葉は、どんな罵声よりも、俺の胸に深く突き刺さった。

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もう好きって言わない!そしたらなぜか、学園のアイドルたちが俺を奪い合う修羅場に巻き込まれた件 境界セン @boundary_line

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