第11話

翌日、俺が足を踏み入れた学園は、昨日までとは明らかに空気が違っていた。

 生徒たちのひそひそ話。スマホの画面を覗き込んでは、俺を見て、また顔を寄せ合う。その視線は、好奇心と、面白半分な値踏みが混じった、居心地の悪いものだった。


 教室のドアを開けると、その空気はさらに濃くなる。俺の席と、その隣の鈴音の席が、まるで舞台装置のように、クラス中の注目を集めていた。


「おはよ、竜也……」


 先に着席していた鈴音が、小さな声で挨拶する。目の下には、うっすらと隈ができていた。眠れなかったのだろう。俺もだ。


「……ああ、おはよう」


 俺たちが短い言葉を交わすだけで、教室のあちこちで「見た?」「話したぞ」という囁きが波のように広がる。息が詰まりそうだ。

 鈴音は、何かを言いたそうに俺を見つめてくるが、周りの視線に気づくと、怯えたように俯いてしまう。その姿に、また胸が痛んだ。


 俺はスマホを取り出し、学園の公式掲示板を開く。トップには、昨日まではなかった新しいスレッドが、悪趣味なバナー広告と共に表示されていた。


【第一回・神崎竜也は誰のモノ!? 最強ヒロイン決定戦 - 投票ページ】


 発起人は、新聞部の吉川沙希。

 そこには、候補者として、鈴音、花恋、春香、そして高橋先輩の顔写真が、ご丁寧に掲載されていた。リアルタイムで更新される投票数は、まだ拮抗している。


 山田の言葉が、脳裏をよぎる。

 『理事のご令嬢』『権力』。

 これは、もうただの悪ふざけじゃない。吉川が、高橋先輩の後ろ盾を得て、公式なイベントとして仕掛けてきたんだ。盤上の駒は、俺たちだけじゃない。全校生徒が、この茶番の観客に、そして審判にさせられてしまった。


 昼休み。

 重苦しい空気の中、弁当を口に運んでいた、その時だった。


 ――キーンコーンカーンコーン……というチャイムの音に混じって、スピーカーから、明るく弾むような声が響き渡った。


『みなさーん、こんにちはー! 学園のアイドル、宮崎花恋ですっ!』


 教室が一気に色めき立つ。


『突然ですが、みなさんにお知らせがあります! 今日の放課後、中庭で、私、宮崎花恋のスペシャルミニライブを開催しまーす!』


 わあっ、とあちこちから歓声が上がる。


『実は……どうしても、聴いてほしい新曲があるんです。たった一人の、とっても大切な人のために書きました。私の気持ち、その人に届くといいな……なんて! それじゃ、放課後、中庭で待ってるねっ!』


 放送が切れると同時に、クラス中の視線が、一斉に俺に突き刺さった。

 やられた。

 これが、宮崎花恋の戦い方か。彼女は、自分の最大の武器である「アイドル」としての影響力を、真正面から使ってきたんだ。


 隣の席で、鈴音の肩が小さく震えるのが見えた。


 俺は、いてもたってもいられず、放課後、ライブが始まる直前の中庭に急いだ。

 すでに、人だかりができ始めている。その中心で、同じアイドルグループのメンバーと最終確認をしている花恋を見つけた。


「花恋! いったい、何を考えてるんだ! 今すぐやめろ!」


 俺が声を荒げると、花恋は振り向き、いつもの笑顔を見せた。だが、その瞳の奥は、真剣な光を宿していた。


「やめないよ、竜也くん。これが、私のやり方だから」

「やり方って……こんな、全校生徒を巻き込んで!」

「うん。だって、私にはこれしかないもん」


 花恋は、少しだけ寂しそうに笑った。


「私、春香ちゃんみたいに頭良くないから、作戦とか立てられない。鈴音ちゃんみたいに、竜也くんとの長い歴史もない。私にあるのは、歌と、応援してくれるファンのみんなだけ。だから、私の持ってるもの全部を使って、竜也くんに、みんなに、私が本気だってこと、証明しなきゃいけないの」


 その覚悟を前にして、俺は言葉を失った。


 やがて、ライブが始まった。

 イントロが流れ、花恋がマイクを握る。さっきまでの彼女とは違う、プロの顔だった。

 歌い始めたのは、切なくて、でもどこか力強い、ラブバラードだった。その歌詞の一つ一つが、俺へのメッセージとして、胸に突き刺さる。


 すごい、と素直に思った。彼女の歌声は、人の心を動かす力がある。周りの生徒たちも、完全に彼女の世界に引き込まれていた。


 その時、ふと、人だかりの向こうに、見知った姿を見つけた。

 鈴音だ。

 一人、木の陰に隠れるようにして、ステージを見つめている。その顔は青白く、輝かしいステージ上の花恋とは対照的に、ひどく儚げに見えた。

 彼女の頬を、一筋の涙が伝うのが、夕日を浴びてキラリと光った。


 駆け寄ろうとした俺の足が、止まる。

 鈴音の隣に、すっと、別の影が寄り添ったからだ。


 高橋沙耶香だった。


 彼女は、まるで親しい友人のように、鈴音の肩に腕を回した。そして、獲物を見つけた肉食獣のような、残酷な笑みを浮かべると、鈴音の耳元に、何かを囁いた。


 その瞳が見開かれ、純粋な、底なしの恐怖に染まっていくのを、俺は、ただ見ていることしかできなかった。

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