第28話 元夫婦と会食
劇場が明るくなったので、私はエイミーさんを起こす。
「映画、終わりましたよ」
「え? もう? 犯人は誰だったの?」
「犯人って…あの学生でしたけど」
「え? だれ?」
そもそも最初から見ていないのだから、ストーリーどころか登場人物も分からない。
「えっと」
「とりあえず出ようか。それでご飯食べながら教えて。あ、晩御飯は透真も呼ぼう」と言いながら、立ち上がって、スマホを取り出す。
「え? あ…」と私があたふたしている間に、エイミーさんは荷物を持って出る。
慌てて追いかけると、出口から少し離れたところでエイミーさんは電話を掛けていた。どうも本当に先生を呼びだしているようだった。すごく変な気分になる。元夫婦という二人と晩御飯を食べるということが。
「空ちゃん、行きましょう。透真がご馳走してくれるそうよ」
「えぇ?」と言ったものの、エイミーさんが魅力的に笑うからついて行くことにした。
それに映画の内容を教えなければいけないという使命があった。
行先はホテルのレストランだったから、私は自分の恰好をホテルの大きなドアガラスでチェックする。ホテルのレストランも初めてだったし、自分の姿が白い木綿のワンピースだから何だか不似合いな気がした。
「空ちゃん、いいのよ。可愛いから」
「そんな…」
エイミーさんはサファイアのようなブルーのカットソーに麻のズボンを履いている。それは大人の女性の美しさを際立たせていた。
「私が食べたいものでいい? 日本のレストラン久しぶりで嬉しい」と言いながら、中華料理を選んでいる。
「中華料理?」
「シンガポールでも中華料理はあるのよ。本格的な。でも日本のホテルの繊細な中華料理が食べたいの」
よく分からないが、私はエイミーさんの言葉に頷いた。
「先に入っておきましょう」とエレベーターの前で微笑む。
本当にチャーミングな人だな、と私は思いながら、これから先の会食がどうなるのか不安だった。でもお店に入ると、エイミーさんが適当に注文してくれたし、私は映画の話を一生懸命説明することで、すっかり先生が来ることを忘れていた。
エイミーさんは聞き上手でもあったから、私の説明が分かりにくい部分は聞き返してくれた。
「それは面白い映画ね」と言って、中国茶を私に注ぎながら微笑む。
「エイミーさんは映画見なくていいんですか?」
「いいのよ。ポップコーン食べて、寝るなんて最高の贅沢だから」
「…なんだかもったいない気がします」
「うふふふ。贅沢でしょ?」
そんな風に考えたことはなかった。
「勿体ないってことは贅沢ってこと。そういう風に考えると素敵じゃない?」
そんな風に思ったことなかったので、何を返せばいいのか分からない。
「透真と別れた理由はね。全然違うところ。彼はきっちり起きて来る人で、私はいつまでも寝ていたい人。生活リズムがまるで違うの。彼の良さは本当によく分かってるの。でも生活リズムが違うと一緒には暮らせないわよね。どっちかが我慢しなきゃいけないのは、お互い辛いもの。私は美味しいもの食べたいけど、彼はカロリーメイトでもいいの」
「でも…先生いろんなお店を知ってましたよ」
「それは彼が私のためにした努力。私のためにいろいろしてくれて、それが辛かったの。私、こう見えて、そんなに厚かましい人間じゃないの」
「私は…すごくわがまま言います」
「あら、そうなの? 素敵じゃない。それなら心配ないわよ。透真と上手くいくわ」
彰吾君に私はわがまま言いたい放題だった。子供だったとはいえ、エイミーさんのように気遣いができる人間じゃなかった。
「私たちはすごく話し合ったの。何度も。でも私は彼のことが好きだったから、やっぱり一緒に暮らせなかった。彼には彼の生き方をして欲しかったし、彼もそう思ったと思う。だから別れることにしたの。それで…きっとお互い、ずっと好きでいられる気がしたし」
やっぱり好きなんだ、と思って私は胸が少し痛んだ。
「じゃあ…どうして…私を養子縁組と考えてくださったんですか?」
「それは単純に空ちゃんが可愛いから」
私はすごく間の抜けた顔をしていたに違いない。エイミーさんは笑いながら、点心を追加する。
「空ちゃんは嫌いなものはない?」
「はい」
そう言えば、先生はアレルギーを聞いてくれた。エイミーさんは好みを聞く。そういうところだろうか、と私は首を傾げた。
二人で楽しく食べてお腹いっぱいになった頃に先生が現れた。
「久しぶり」と言いながら、エイミーさんは右手の指を上下に小さく動かしながら、相変わらずチャーミングな笑顔を見せる。
私ですらその笑顔が眩しく感じる。
「どうして君が僕の学生を連れまわすんだ?」と言いながら、それでも先生の表情は柔らかかった。
「ごめんなさい。だって、可愛かったから」とまた繰り返すから、恥ずかしくなる。
「…まあ、それなら仕方ないけど」
変な感じがする。私は急に居たたまれなくなる。エイミーさんは先生にメニューを渡して、注文を促す。
「佐々木さんはお腹いっぱい食べましたか?」
「はい。あの…すみません」
「なんで、謝るんですか?」
どう考えてもこの場にいることがおかしい。
「私、そろそろ…」と腰を浮かそうとする。
「折角ついたところなんで、一杯くらい付き合ってください」
そんな風に言われたら、私はお尻を椅子に再び落ち着かせる。一杯と言っていたのに、一時間以上その場にいることになった。二人だけしか分からない会話ではなく、エイミーさんの仕事の話をしてくれた。化粧品会社をシンガポールで作っているらしい。面白おかしく話してくれたので、気がつけば、私は心地よく、楽しい時間を過ごせた。
帰りは先生が車で送ってくれると言う。エイミーさんは百貨店で市場調査も兼ねてお買い物して帰るというので、ホテルの入り口で別れた。
「先生…。エイミーさんはまだ先生のこと好きって言ってました」
「僕もです。別に嫌いになって別れたわけじゃないし」
正直に言われたら、私はもう何も言えなかった。それでも別れを選んだのだから、これ以上、私が何も言うことはできない。駐車場について、私はふと先生に聞いた。
「私が、助手席に乗ってもいいんですか?」
一瞬、僅かに先生が動きを止めた気がした。
「どうぞ」
そう言って、助手席の扉を開けてくれる。
助手席のシートに腰を下ろすと、思いがけず距離が近くて、私は後悔した。
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