第29話 恋とか恋愛とか

 助手席は思いがけず緊張をもたらせた。私はいつものように話しかけることが出来なかった。

「佐々木さんはお腹いっぱいになりましたか?」

 遅めのランチだったから、夕ご飯は食べれそうにないくらいお腹が膨れている。

「はい。映画館でもポップコーン食べてて。エイミーさんが大きなサイズのを頼んでて」

「あぁ。それで寝ちゃうでしょ?」

「そうなんです。いつもですか?」

「いつもです。だから映画の感想を言い合うこともなかったです」と少し寂しそうに言う。

「でも…エイミーさんは先生のこと、好きって言ってましたよ?」

「まあその話ですか?」

 多少、うんざりしたような声色だった。

「あ、すみません」

「別に謝ることではないです。でも今から口説こうとしている相手に言われるのは気分が良い訳じゃないです」

 そう言われて、私は先生の方を見る。

「…本気ですか?」

「本気じゃなきゃ、学生に言いません」

「どうして私なんですか? 先生ならもっと…」

「もっとなんです?」

 もっとなんだろうと私は考え直す。

「君は君で素敵です。いい加減、自虐的思考を辞めなさい」

「でも…」

「辞めないと今日は家に帰しませんよ」

「え? えー!」

 思わず出た声は大きく跳ね上がった。

「一晩中、君がどんなに素敵か教えます」

 何がどうするのか全く考えられなかったけど、必死で抵抗する。

「セクハラです」

「どこが? 一晩中、話すだけです」と言われて、私は唇を噛んだ。

 自分の方がいやらしい想像をしている。

「でも…それだけで終わる自信はないですけど」

 そう言うことを言われて、私は上手く返せず黙り込んだ。

「すみません。冗談が過ぎました」

 怒っていると思ったのか、先生が素直に謝る。私は怒ってないけれど、気休めか本気か分からなくて困ってしまう。それにあんなに素敵なエイミーさんと私は比べ物にならない。

「でも本気です」

 私のどこがいいのだろう? 誰より私が知りたい。

「じゃあ…先生の家に行きます」

 今度は先生が黙り込んだ。無言の車内は空気が重くて、言った言葉は取り消せないけど、どうにでもなれという気持ちにもなった。恋をする気はないと思っていたけど、別に恋をしなくても、別にセックスしてもいい気がした。セックスしたら何か変わるのか、変わらないのかも分からない。なんだか色々考えると、分からないこと過ぎて雑な気持ちになった。

「どうして急に?」

「エイミーさんが付き合ったらって言ってたからです」

 横で深いため息が聞こえる。

「なんで元妻の言うことを聞くとかややこしいことを」

「元奥さんのお墨付きなんてすごいじゃなきですか。だから試してみようかと」

 もう本当にやけっぱちという気持ちで答えた。

「はぁ…。じゃあ、海でも見に行きますか? 夕陽にまだ間に合うと思うので」

 海でもどこでもいいと思って、私は頷いた。デートみたいなことをしていたら、気持ちが動くだろうか。

「気乗りしないかもしれませんけど、もう少し一緒にいたいという気持ちは本当ですから」

「気乗りしないわけじゃないです。誰かを好きになるとか、愛されるとか、私にはそんなことないと思ってたので」

 車はゆっくりと海へ向かった。私は伯母さんに連絡することも忘れ、恋が始まるといいなと思いながら、窓の外に視線を移した。


 

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