第4話:もう一人の自分
◇シーン1:違和感と疑念◇
***
雄大の部屋。
中村翔との共同執筆は、表面上は順調に進んでいた。
雄大が提示する物語の骨子に、中村の緻密な描写力が加わることで、脚本は次々と完成していく。
生瀬からも高い評価を得ていたが、雄大の心には拭いきれない違和感があった。
『これは…俺が本当に書いているのか?』
雄大が構想を練る際、なぜか常に中村翔の過去の作品や資料が頭をよぎる。
まるで自分の思考ではない、もう一人の自分がそこにいるような感覚。
それは、『無題ノート』を書いている時とは全く異なる、過去の雄大を俯瞰で見ているかのような歪んだ共同作業だった。
その様子を、たまたま雄大の部屋を訪れた美琴が目撃していた。
雄大が集中して書いていると思いきや、その傍らには、中村の過去の作品集が広げられている。
書いているというよりは、組み立てている、そう呼んだほうがしっくり来ると美琴は感じたのだ。
「岡山さん、ずいぶん中村先生の作品を参考にされているんですね」
美琴は、あくまでさりげなく声をかけた。
「たしかに先生の作品は素晴らしいですものね…」
美琴は笑顔を見せるが、その瞳の奥には、かすかな戸惑いが浮かんでいた。
雄大が美琴の視線に気づいて「無題ノート」を隠したこと、明奈が頻繁に雄大を訪れること、そして雄大が中村の資料に頼りすぎているように見えること。
点と点が、美琴の中で不穏な線になり始めていたのだ。
◇シーン2:明奈の誘いと記憶の断片◇
***
その夜、明奈から雄大にメッセージが届いた。
『雄大さん、最近忙しそうですね。たまには息抜きしませんか?私たち、よくドライブに行ったでしょう?』
翌日、明奈の運転で海沿いの道をドライブする雄大。
久しぶりに感じるであろう潮風はたしかに心地よいが、残念ながら記憶は戻らない。
「ここ、覚えていますか?私たち、よくここに来て、未来の話をしたのよ」
明奈は、砂浜を見つめながら遠い目をする。
「雄大さん、言ってたわ。いつか、自分の書いた脚本で、多くの人を感動させたいって。私、その夢をずっと応援してた」
明奈の言葉は、雄大の胸に刺さった。
記憶はないが、その言葉にはどこか真実味があった。
彼女の瞳は、悲しみを湛えているように見えた。
「ねえ、雄大さん。もう少し、昔の話をしませんか?あなたの記憶が戻るように、私が協力しますから」
明奈は雄大を、とあるカフェへと誘った。
明奈が言うには、二人がよく話をしていた場所だという。
カフェの片隅には、古い写真が何枚か飾られていた。
雄大は、その中に見覚えのある顔を見つけた。
それは、間違いなく自分だった。
そして、隣には明奈が笑顔で寄り添っていた。
さらに、もう一枚の写真には、三人で写っているものがあった。
自分と、明奈と、そしてもう一人、顔がぼやけているが、眼鏡をかけた男性が笑顔で写っている。
「これは…?」
雄大は、写真に指をさした。
明奈の表情が、一瞬固まる。
「ああ、それは…昔の友人と撮ったものよ。彼とはもう、あまり連絡を取ってないから…」
明奈は、すぐにその写真から視線を外し、話題を変えた。
その不自然な反応に、雄大は胸の奥に引っかかりを感じた。
なぜ、彼女はあの男性のことを話したがらないのか。
そして、このカフェが自分と明奈にとって、ただのデートスポットではない、何か別の意味を持つ場所だったのではないかという疑念が雄大の心の中に芽生えていた。
◇シーン3:書店での偶然の出会い◇
***
数日後、執筆の情報収集にと、雄大は近所の書店を訪れた。
本棚をぶらぶらと眺めていると、一人の女性が真剣な表情で本を眺めているのが目に入った。
「白石さん…?」
雄大が声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げた。
白石美琴だった。
彼女は、雄大の顔を見ると、安堵したように微笑んだ。
「岡山さん!こんなところで会うなんて…」
美琴は、手に持っていた本をそっと棚に戻す。
「私、ここで働いているんです。書店員なんです」
雄大は驚いた。
彼女が書店員だったとは…。
美琴は、書棚を案内しながら、楽しそうに本について語った。
「最近はこういうライトノベルの人気もとっても高いんですよ。私はやっぱりお気に入りのハードカバーについ手が伸びちゃうんですけどね」
そんなたわいない会話をしながら彼女の穏やかな声を聞いていると、雄大は心がとても落ち着く気がした。
その時、店内のアナウンスが流れた。
『この後、特設会場にて、人気脚本家で作家の、中村翔先生のサイン会が行われます』
美琴の顔が、一瞬強張る。
「実は…、中村先生は私の義理の兄にあたるんです…」
美琴は少し話しづらそうにそう語り出した。
「私は中村先生が高校教諭をしていた頃の教え子でもあるんですけどね。文芸部の顧問でしたし。お姉ちゃんと結婚して今は義兄なんです…」
美琴は、雄大の視線に気づき、慌てて笑顔を取り繕った。
雄大はその顔を見て、おそらく高校教諭だった中村に憧れていた過去があるのだろうなと察した。
サイン会が始まるブースには、すでに多くのファンが集まっていた。
雄大は美琴に促されるように、人混みの最後尾に並んだ。
中村翔は、一人ひとりのファンに丁寧にサインをし、笑顔で言葉を交わしている。
その姿は、脚本の打ち合わせでリモートミーティングした時とは全く違い、まるで輝いているかのようだった。
中村はサインをしながら、ふと雄大の姿に気づいた。
彼の目が、雄大と、その隣に立つ美琴に一瞬向けられる。
中村の笑顔が、ほんのわずかに強張ったように見えたのは、雄大の気のせいだろうか。
◇シーン4:明かされる過去の断片と新たな疑惑◇
***
サイン会が終わり、雄大と美琴が書店を出ようとすると、中村翔が二人を追いかけてきた。
「岡山さん、白石さん」
中村は、二人に近づくと、少しばかり疲れたような表情で言った。
「まさか、こんなところで会うとはね」
中村は、美琴に視線を向け、その瞳の奥には、どこか複雑な感情が宿っているように見えた。
「美琴、元気にしてたか?美波、いや、お姉さんは…元気でいるか?お父上は…」
中村は言葉を詰まらせた。
美琴は、俯きがちに答える。
「ええ、おかげさまで…姉も、父も、元気にしております」
美琴の言葉には、どこか冷たさが混じっていた。
雄大は、中村の言葉に違和感を覚えた。
中村は美琴の義兄だったはず。
なぜ、義父のこと、そして妻であるはずの姉のことを美琴に尋ねるのか?
美琴の態度のぎこちなさも気になる。
「お父様は、近いうちに東京に戻られますよ。今回のドラマの視聴率も気にしてたようです…」
美琴は、中村の視線から逃れるように、わずかに体をずらした。
雄大はそうした会話から、美琴の父親がテレビ局の要人であること。
そして中村が美琴の姉で、元アナウンサーの白石美波と政略結婚したのだという事実を、まるで繋がりのないパズルのピースのように拾い上げた。
美琴が高校時代に教師だった中村に憧れていたということを想像するに、美琴の複雑な心境は、記憶のない雄大でもさすがに手に取るように分かった。
中村は雄大に視線を戻す。
「ところで岡山さん、脚本の進捗はどうですか?何か困ったことはありませんか?僕で良ければ、いつでも相談に乗りますよ」
その言葉は、親身に聞こえる一方で、『共同執筆』にしてはどこか他人事に感じられる。
中村の言葉を聞きながら、雄大は今日カフェで見た写真の、顔のぼやけた眼鏡の男性が、もしかすると中村翔なのではないかという疑念を抱いた。
もしそうなら、なぜ明奈はそれを隠したのか?
そして、なぜ著名な脚本家の中村が自分を気にかけ、そして何より情熱を注いでいるはずの脚本に無関心なのか…。
雄大の心の中に、新たな謎が生まれていた。
(第4話 終)
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