第47話_最終防衛戦・鐘殿編

 ――5月1日 午前0時1分。

  〈鐘殿〉を包む空間が震えた。

  先ほどまで柔らかな光を放っていた鐘核が、歪んだ色に変質する。

  空間全体にノイズが走り、地面が軋み、光の軌跡がねじれていく。

  「これ……外部干渉じゃなく、“意志の上書き”……?」

  彩心が目を見開いた。彼女の背後、リング状の〈鐘核〉の制御面に、文字が浮かぶ。

  《Override:Separatist Logic Injection(分離主義ロジック注入)》

  《強制反映まで残り5分》

  「投票結果が、“分離”にすり替えられるってことか……!」

  翔大がタブレットを叩きながら顔をしかめた。

  そのとき、上空から眩い光弾が降り注ぐ。

  続いて現れたのは、〈零視点〉の残存武装隊――かつての強硬派だ。

  「共生なんて絵空事だ!」

  「この世界には、分断こそが必要なんだよ!」

  彼らの声が、夜空に響く。

  隊列の先頭には、凶暴化した感情獣〈オーバービースト〉が数体、連動して鐘殿を囲む。

  「くっそ……投票が終わっても、まだ戦わせる気か……!」

  優也が歯を噛みしめる。

  ***

  「各自、持ち場へ!」

  祥平が手を上げて叫ぶと、〈共鳴隊〉の仲間たちが一斉に動き出す。

  「翔大、塔下のジェネレーター止めるな!」

  「了解、バックアップ電源は4分持たせる!」

  「瑠美、動揺してる民間人はいるか?」

  「大丈夫……私がリンクしてる限り、怖がらせない!」

  「アレクサンドラ、外部干渉コードの逆探知は?」

  「すでに対抗ロジック構築中。彩心の“論理結界”と統合すれば、上書きも防げる!」

  「じゃあ、最後の砦は俺たちが守る!」

  祥平の右手に、“感情武装〈器用迅刃〉”の刃が再構築される。

  「……迎え撃て、〈共鳴隊〉!」

  その声に、誰もが応じた。

  この瞬間、かつてバラバラだった意志が――“共に鳴る”音へと変わっていた。


 〈浮島・鐘殿外周〉には、視界の隅まで敵影が広がっていた。

  黒い外殻を持つ〈オーバービースト〉の群れが、雷を孕んだ唸りを上げて移動する。

  その中央に立ちはだかるのは――優也、かすみ、凌大の3人。

  「前衛は俺と凌大。かすみは回復と後方支援を頼む!」

  「了解っ!」

  「背中は預ける……絶対に通すな」

  優也が叫び、感情武装〈烈迅閃〉の長剣が起動音を響かせる。

  一瞬の踏み込みとともに、空間が爆ぜた。

  「喝ッ!」

  地を裂き、空を切り裂くような剣閃が、一体の〈オーバービースト〉を両断する。

  「甘いッ」

  別方向から襲い来る獣に対し、凌大の剣が重く、確実に横腹を抉った。

  彼の〈断罪剣〉は、信念を糧に増幅される。

  揺るぎない意志が、その一太刀に宿る。

  「“この命令系統は間違っている”とか言わないの?」

  敵の一人が嘲るように笑いながら投擲型の感情弾を放ってくる。

  だが、それを受け流すのはかすみの役割だった。

  「ほわぁ……深呼吸ですよ……」

  穏やかな茶の香りが漂い、空気そのものが鈍化する。

  〈癒し結界:和泡結界〉――彼女の“安心”が、敵の動きを数秒止める。

  「今です、優也さん!」

  「任せた!」

  再び火花のような斬撃が横薙ぎに走る。

  〈零視点〉強硬派はひとり、またひとりと鐘殿へ近づく術を失っていく。

  ***

  一方、〈鐘殿内〉では、彩心とアレクサンドラが制御装置に並び、最終防衛コードの同期にかかっていた。

  「侵入コードの流入率、32%に減衰……!」

  「彩心、理論結界、もう一度強化しろ!」

  「やってる。だけど、これは“誰かが中から鐘核に触れてる”……」

  彩心の眉間に皺が寄る。

  「まだ敵がこの中に?」

  「いいえ――多分、これは外部コードじゃない。もともと〈鐘核〉に“別の人格”が用意されていた」

  アレクサンドラの声が沈む。

  「人格……って、まさか」

  「ええ、〈六十重ノ鐘〉には“選択者の心”を補完するAIが実装されている。でも、それは最初から“感情に左右されない冷徹な切断者”としてプログラムされていたの」

  「だからこそ、共鳴意志の同期が必要だったってわけ……」

  そのとき、ノイズ混じりの金属音が、再び鳴った。

  《Final Override:Separatist Logic 反映まで残り60秒》


 《Final Override:Separatist Logic 反映まで残り45秒》

  無機質なカウントが、鐘殿全体に響き渡る。

  「ちょ、ちょっと!? 止めないとマズくない!?」

  アレクサンドラが制御パネルを必死に操作するが、応答はすでに凍結されていた。

  「完全に、主制御を奪われた……でも――まだ、間に合う!」

  彩心が歯を噛みしめ、両の手を結界球にかざした。

  「“論理結界・改変式”展開……感情を、変数として認可……!」

  彼女の瞳が、青く発光する。

  ――感情は、証明できない。

  ――でも、今だけは。

  彼女は時計を睨んだまま、自身の中で「不確かさ」を許す選択をした。

  ***

  鐘殿の外――凌大が崩れ落ちる。

  「く……っ、まだ……通すものか……!」

  左腕は血まみれだった。

  〈零視点〉の幹部クラスが剣を構え、直撃寸前――。

  「凌大君、下がってて!」

  その瞬間、かすみの〈癒やし泡結界〉が跳ねるように炸裂した。

  相手の斬撃が鈍り、次の瞬間――

  「退けぇぇぇええッ!!」

  優也の〈烈迅閃〉が頭上から振り下ろされる。閃光とともに、敵は吹き飛ばされた。

  「凌大、よく耐えた! 最後まで踏みとどまってくれて、感謝する」

  「……当然だ。俺は……仲間を許さない分……守らなきゃ……」

  彼の意識が遠のく中、かすみが優しく手を添え、肩を抱く。

  「もう大丈夫ですよ。ここからは私が――」

  再び、結界が膨張し、前衛が守られる。

  ***

  〈鐘殿制御室〉。

  「アレクサンドラ、後10秒で“Separatist Logic”が鐘の権限を奪う! でも……!」

  彩心の前に、ひとつの光球が現れる。

  それは、〈無響域〉で彼女が残した最後のバックドア――“感情波形同期体”。

  彼女自身の“鼓動”の記録だった。

  「この揺らぎを、核に……インストール!」

  彩心が結界ごと、その波形を鐘核へ投げ入れる。

  《Override Conflicted:Emotion Sync Detected》

  《人格選定プロトコル再構成中――残り5秒》

  その時だった。

  誰よりも先に、鐘核の中心部に“もうひとつの存在”がアクセスした。

  「え……!?」

  彩心が動揺する。アレクサンドラも目を見開いた。

  鐘殿最奥部、未使用だった第七端末に――彼の姿が立っていた。

  「……祥平……!?」

  ――彼は、すでに制御室の中にいた。

  「お前の鼓動、受け取ったよ。だから、行くと決めた」

  祥平の声は落ち着いていた。

  「感情が不確かなら、それを確かにするのは――“俺たち全員の選択”だろ?」

  彼の指先が、最終同期スイッチに触れる。

  《全同期値、閾値突破》

  《鐘核、再統合モードに移行》

  《Final Overrideキャンセル》

  ――その瞬間、世界が光に包まれた。


 鐘殿全体が揺れた。

  それは破壊の震えではなく、再統合――世界が再び一つへ戻ろうとする胎動だった。

  「全相関……成立しました……」

  アレクサンドラが涙を浮かべながら、制御端末を確認する。

  「すごい……鼓動が、同じになってる……全員の……」

  瑠美の声が、浮島上の通信回線に乗って、みんなへ広がっていく。

  『全市民の感情波が、鐘核と同期しました! 今、私たちはつながっています!』

  その声は、避難所の子どもたちにも、市街地に残る老人にも、零視点の元構成員にも届いた。

  ***

  「これは……俺の鼓動じゃない。皆の、なんだな……」

  優也が拳を握り締め、涙をこらえながら呟いた。

  「戦って、ぶつかって……でも、それでも信じてくれた……お前らが」

  その言葉に、後ろで担架に運ばれる凌大が頷いた。

  「共鳴だよ……この世界の、全部が今、同じ音を鳴らしてる」

  ***

  鐘核の中。

  光に包まれた制御室で、彩心が立ち尽くしていた。

  「私……ずっと、怖かった」

  その手が、かすかに震えていた。

  「感情なんて、測れない。理屈にできない。だから……壊してしまえば楽になると思ってた」

  しかし――隣で、祥平が微笑んだ。

  「じゃあ、測れないままでも……信じてみようぜ」

  彼の手が、そっと彩心の手を握る。

  「不確かでもさ、お前の震えも、笑いも、怒りも、全部――俺には伝わってきたよ」

  それは、証明じゃなかった。

  けれど、疑えない“事実”だった。

  ***

  浮島が、ゆっくりと桜丘市へ降下を始める。

  鏡界の地層が透明化し、現実世界と一体化していく。

  「統合プロセス完了まで、残り3分……!」

  メキーがホログラムの進行バーを確認しながら叫ぶ。

  「……そして鐘は、鳴る」

  利奈が厳しく見つめながら呟く。

  その声には、拒絶でも断罪でもなく――ほんのわずかな、救いの音色が含まれていた。

  ***

  《最終通知:鐘、五度目》

  ――00:00

  その瞬間、全桜丘市に“音”が響いた。

  それは、轟音でもなければ、破壊のサインでもなかった。

  柔らかく、深く、静かで、広がる“共鳴”。

  赤ん坊が泣き止み、教師が黒板に向かって手を止め、生徒たちが静かに窓の外を見つめる。

  「……止まった、んだな」

  瑠美が、静かに呟く。

  「いや――始まったんだよ、今」

  祥平の声が、それを受け取った。

  “終わり”ではなく、“選び直す”世界。

  “感情”が、確かにここにあると、皆が認め合った結果。

  ――鐘は、鳴った。だが、その意味を変えたのは、彼らの共鳴だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る