第38話_瑠美の離反

 その日、桜丘高校は静かだった。

  避難民であふれていた校舎にも一時的な静寂が戻り、昼食の時間を迎えても食堂はまばら。人々の顔に浮かんでいるのは、希望ではなく、迷いだった。

  学園要塞の地下、旧視聴覚室を改装した“作戦室”に、瑠美と利奈が向かい合っていた。

  利奈の顔には、いつものように妥協のない厳しさが浮かび、腕を組んだ姿勢のまま一言も発さない。

  「……これが、私たちの要求です」

  瑠美が差し出したのは、紙ではなく、タブレット端末だった。そこには、薬品や医療器具、酸素ボンベや人工呼吸器などのリストがぎっしりと記されていた。

  「〈共鳴隊〉の仲間が空へ向かった今、この地上に残された私たちは、市民の命を守らなきゃいけない」

  「……それはわかる。でも、お前がここに来た理由はそれだけじゃないだろう?」

  利奈が見透かすように言う。

  瑠美は視線を落とし、頷いた。

  「ええ。正直に言う。……私は、もう誰も失いたくない。死なせたくないの」

  その言葉には、これまで瑠美が誰よりも人の感情に寄り添い、戦ってきた重みがあった。

  「だったら、“敵”を信じるのか?」

  利奈の声は、いつになく低かった。

  「“敵”じゃないよ」

  瑠美は穏やかに言い返す。「今は、“同じ苦しみを抱えた人”だと、私は思う」

  沈黙が流れた。

  利奈の目が、じっと瑠美を見つめている。

  「条件がある」

  やがて利奈が口を開いた。

  「〈零視点〉と一時協力するなら、私が提示する安全ラインを絶対に越えないこと。武装も、情報開示も、指揮権も、一切渡さない。それでもいいなら……」

  「……ありがとう、利奈」

  瑠美は微笑んだ。強がっていた頬が、ほんのわずかに緩む。

  「私は、感情を共有できるあなたのこと……信じたかった」

  「……そんな甘さ、すぐに後悔するかもしれないぞ」

  「その時は、あなたが私を叱って」

  瑠美は冗談めかして、そう付け加えた。

  * * *

  数時間後。

  学園要塞内に〈零視点〉の補給部隊がひっそりと到着した。

  黒の制服に身を包んだ彼らは、無言で物資を搬入し、誰とも目を合わせようとしなかった。

  避難民たちは戸惑いと警戒を隠せなかったが、それでも酸素ボンベや包帯が届いた瞬間、その空気は少しだけ変わった。

  「……誰が持ってきたのかは、いいじゃない。今、必要なのは――それだけだよね」

  そう語りかけた瑠美の言葉は、かすかに震えていた。

  その夜、地下医療区画には、彼女の手で整えられた“癒しの灯り”がともっていた。

  希望とは、誰かを信じる勇気そのものなのかもしれない。

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