第39話_かすみの癒やし結界

 かすみが中央公園地下駐車場へと急行したのは、午前二時を少し回った頃だった。

  避難民の多くが不眠と混乱、そして〈鏡界〉がもたらす感情干渉によって極度のストレス状態にあった。

  地下駐車場は、まるで戦場のようだった。

  親を失った幼児が壁に背を向けて泣き続け、青年が突然怒鳴り出したかと思えば、別の女性が笑いながら空気に向かって話しかけている。

  「安心できる場所が、ここにあるって思わせなきゃ……」

  かすみは深く息を吐くと、懐から自作の抹茶パウダーを取り出した。

  メキーがそっと近づいてきた。手にはブレンドされた“鎮静効果のある薬草スモーク”を仕込んだポータブル煙霧装置があった。

  「香りと共に安心波動を広げられれば、きっと……作用は増幅する」

  彼は理論書を片手に、不器用ながら真剣な眼差しを送る。

  「ありがとう、メキー。じゃあ、始めよう」

  かすみは、そっと湯呑を両手で掲げた。

  ――癒やしは、戦う力になる。

  深く目を閉じると、かすみの足元に淡い緑の光が広がった。

  駐車場の床一面に、まるで春の新芽のような波紋が広がる。

  メキーが煙霧装置を起動し、柔らかな白煙が空間を包み込む。

  抹茶と薬草の香りが絶妙に混じり合い、不思議な懐かしさを呼び起こす。

  「――癒やし結界、展開」

  かすみの声に応じるように、湯呑が輝き、波動が全方位に拡がっていった。

  それは単なる結界ではなかった。

  かすみの“安心感”そのものが形となって、避難民たちの感情を包み込む。

  やがて、泣き止まなかった子どもの頬が緩み、怒鳴り続けていた青年が静かに地面に座り込んだ。

  笑っていた女性が自分の両腕を見つめ、涙を流し始める。

  「……ありがとう、かすみ」

  メキーがぽつりと漏らしたその声は、煙に紛れて誰にも届かないほど小さなものだった。

  かすみは微笑んだ。

  「私にできるのは、これだけ。でも、“一緒に頑張ろう”って気持ちは、きっと届くはずだから」

  この夜、中央公園地下に生まれた半球状の癒やし結界は、

  後に“桜丘の心臓”と呼ばれることになる。

  それは、たしかにひとつの希望だった。

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