第27話_学園要塞化計画
4月22日、午前6時。
桜丘高校の校門が開くと同時に、重々しい足音が校庭を満たしていった。
避難を求められた市民たちが、リュックやスーツケースを抱え、教師や自治体職員の指示で次々と敷地内に押し寄せてくる。
「一列で、落ち着いて! 受け入れ人数、現在で……420名を突破!」
拡声器を抱えた教師が喉を枯らす一方、生徒たちは黙々とバリケードを補強していた。
グラウンドには簡易テントと医療スペース。体育館には食料備蓄が整い、職員室には避難所統括本部の張り紙。
ここはもう「高校」ではなかった。
――要塞だった。
千紗は、図面の貼られたホワイトボードの前に立ち、ぎりぎりまで練られた避難動線に赤ペンを走らせていた。
「翔大、北校舎の階段下に設置してた“フィールドリフレクター”、今のうちにバッテリー交換して。避難ルートに干渉するから」
「了解。ってか、1日でこんだけ人入れる想定して作ってたの……?」
「当たり前でしょ。こうなるって、三日前には予測してたもの」
即答に、翔大が肩をすくめる。
「相変わらず、準備が鬼のように早ぇ……」
そう呟きながらも、彼は鏡界鉱石を組み込んだ“電磁結界ユニット”を背負って理科室に向かった。
瑠美は、保健室から急ぎ足で戻ってきた。
「医療スペース、今のところ処置待ち三名。応急処置済ませたけど、薬が足りないかも。あと、避難民の中に妊婦さんが一人……」
「かすみに引き継いで。安心させられる人が今、必要」
千紗の指示に、瑠美は頷いて足を止めた。
「あのさ、千紗。……ちょっと、無理してない?」
その問いに、千紗は数秒黙り、スッと赤ペンを掲げた。
「“安心”を作るのは、“準備”と“設計”。私は、そうやってしか誰かを守れないから」
その背中は細く、だが決して揺れてはいなかった。
翔大がガジェット調整を終えて戻ってくる。
彼の両肩には、新型の“遮断壁展開ユニット”が装備され、まるで戦闘メカのような姿だ。
「できた。体育館の上に、局所結界を張ってる。侵食率が20%超えたら自動起動する設定にしてある」
「ナイス。次は……」
千紗の目がマップを走り、ほんの少しだけ、声が揺れた。
「……“本番”に備えて、ここを、“戦える学校”にする」
戦略家としての顔。
準備万端タイプとしての矜持。
この学園を守るため、千紗はあらゆる“万が一”を封じ込めるつもりだった。
そして、誰よりも早く“覚悟”を決めていたのかもしれない――。
午後一時。
学園内の各棟に配備された防御システムが順次点灯し、都市全体の鏡界侵食に備えるための「防衛シフト」が自動巡回を始めていた。
避難者の数はすでに600名を超えていたが、不思議と混乱は起きていなかった。
「ここ、本当に高校なのか……?」
避難してきた老人が、天井から吊られた案内板を見上げてつぶやいた。
掲示されているのは「鏡界バリア稼働中」「レベルB警戒段階」「共鳴隊指令本部→西棟3F」の文字。
「高校ってのは、“非常時に備えて建てた街の核”なんです。たぶん昔の人は、無意識にそう決めてたんじゃないかな」
その声に老人が振り返ると、メキーが資料束を抱えて立っていた。
翻訳機を通じた声は丁寧だが、ほんのり誇らしげでもあった。
「世界中、学び舎から“抗う場”になった例は、たくさんあります。僕はそれを、“希望の逆転”と呼んでます」
老人が小さく頷き、再び腰を下ろす。
かすみが温かい湯呑みを差し出しながら、そっと一言添えた。
「安心してください。ここは、守れます」
午後四時。
メインモニターに、翔大の設計した“鏡界振幅センサー”が設置され、外界の侵食度をリアルタイムで示すようになった。
それはまるで、戦場の指揮システムだった。
「このまま侵食が続けば、三日後には東側の境界が突破される可能性がある」
千紗がモニターを指差しながら告げると、周囲の空気が一段と引き締まった。
「迎撃用の装備は?」
祥平が尋ねると、翔大がホルスターから小型ユニットを取り出してテーブルに置いた。
「これは“展開式護身ギア”。誰でも装備できる、いわば“量産型”だ。もちろん、威力は低いけど……護るには十分」
「……ありがとう。助かる」
祥平の声が少しだけ震えていたのは、初めて人間相手に“武装”を配るという事実に直面したからだった。
それでも、やらねばならない。
――この場にいる誰かを、死なせないために。
千紗がホワイトボードに書き込む。
「防衛班・輸送班・医療班、各リーダーを決めるわ。避難所というより、これはもうひとつの“都市機能”。全体で動かさなきゃ」
「共鳴隊」は、気づけばただの戦闘部隊ではなく、地域を支える“司令塔”となっていた。
この六十日間の意味を、その肩に負って――。
午後五時。
千紗が描いた“学園要塞化戦略図”が、ようやく全体像を見せた。
第一防衛線は校庭、第二は体育館、第三は校舎本館西棟――すべてが繋がるようにバリケードと鏡界結晶による障壁が配備されている。
「この布陣、もうプロの仕事じゃん……」
図を見下ろした翔大が呟く。
「違うわよ。素人が、死に物狂いでやった仕事よ」
千紗はそう返すと、手に持った赤ペンをぎゅっと握りしめた。
その目の奥には、不安と責任と、そしてほんの少しの誇りが混ざっていた。
「明日の朝までに、備蓄水と非常食、あと衛生用品のリストを完成させたい。翔大、冷却剤式の小型発電機、量産できる?」
「できる。ただし、部品が足りない。解体してもいい? あの旧理科室の模型……」
「許可する。感情エネルギーより、人の命の方が重いって、君が言ってた」
「言ったっけ?」
「言ってたのよ。忘れてるだけ」
そんな他愛ない会話が、次の現場へと人を繋ぐ。
その夜。
翔大と瑠美は、旧校舎に眠っていた備品を引っ張り出し、仮設医療ブースの設営に取り掛かっていた。
「この天蓋付きベッド、懐かしい……中学のとき、転んで運ばれたなあ」
翔大が言うと、瑠美がそっと笑った。
「私は、保健室のベッドって嫌いだったな。誰も話してくれない空間で、すごく孤独に感じてたから」
「じゃあ、変えようぜ。ここを、誰もが安心できる場所に」
その言葉に、瑠美は黙って頷いた。
鏡界がどうであれ、人の心の傷に寄り添える場所――それが、学園要塞であってほしいと、心から願った。
夜半すぎ。
校舎の屋上で、千紗が星空を見上げていた。
「千紗、まだ寝ないのか?」
背後から声をかけたのは祥平だった。
「……責任が重すぎて、今夜は眠れそうにないの。みんなが頼ってくれてるのが、逆に怖いのよ」
「それでも、任されたんだろ?」
祥平の声には、不思議な説得力があった。
軽口でもなければ、慰めでもない。ただ、信じるという態度だけがそこにあった。
「……なら、私は背負うわ。怖いけど。怖くて仕方ないけど、逃げたら、この六十日が嘘になる気がして」
千紗は、握った拳を夜風に晒し、ひとつ深呼吸をした。
「明日もまた、迎えるよ。鐘が鳴ろうと、世界がひっくり返ろうと」
「そうだな。――俺たちの場所は、ここだ」
ふたりの目の先に、避難民たちの明かりが、ぽつりぽつりと灯っていた。
午前一時。
桜丘高校の正門が、再びゆっくりと閉ざされる。
鉄製のゲートには〈鏡界〉から採取した結晶が格子状に編み込まれ、侵入者の情動エネルギーを測定・拒絶する〈感応拒絶システム〉が実装されていた。
開発したのは、もちろん翔大。
「感情ってさ、放っておくと暴れるじゃん。でも、ちゃんと測って、ちゃんと制御すれば、こうして守るための盾にもなるんだ」
彼は言葉にしながら、校門の結晶部分をそっと撫でる。
「それって、俺らのことでもあるよな」
となりでそれを見ていた瑠美が、微笑みを返した。
「……うん。感情がなければ、私たちは戦う意味すら見失ってしまう」
そのとき、校舎内の放送機が低くうなり、千紗の声が響いた。
『最終防衛ライン、第七区画――東棟非常階段の遮蔽パネルが未完成。人員を回せる人、至急、応答願います』
「了解。俺、行ってくる」
翔大が手を上げ、瑠美もそれに続いた。
「一人じゃ無理よ。ほら、道具袋」
この数時間で、〈共鳴隊〉の連携は目に見えて強くなっていた。
まるで本物の、戦地の部隊のように――いや、それ以上の、信頼という名の武装で結ばれた仲間たち。
──そして朝。
夜通し作業にあたった彼らの前に、最初の市民たちがやってきた。
赤ん坊を抱いた母親、脚を引きずる高齢者、途方に暮れた若者。
その一人一人を、千紗と瑠美が正門で迎え入れ、翔大が荷物の搬入を指揮した。
「大丈夫、心配しなくていいよ。この校舎は、絶対に守るから」
「でも……こんな高校で、本当に安全なの?」
「ここは、ただの学校じゃないんだ。今はもう、“希望を逃がさない城塞”なんだよ」
母親の目が、わずかに潤んだ。
その様子を見つめていた千紗は、袖で汗を拭い、照れ臭そうにひとつ言った。
「ねえ、私……今日だけで十年分くらい、人に感謝されてる気がする」
「なら、明日は二十年分だな」
祥平が笑いながら割り込んできた。
「がんばった人には、それだけの報酬があるってことだ」
「……そうね。でも本当に報酬があるのは、“鐘”を止めてからよ」
そう言いながら、千紗は最後の戦略マップに一筆、赤の×印をつけた。
避難民、四百十三名。
その命すべてを預かる“桜丘要塞”が、今、完成した。
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