第14話_かすみの癒やし庵

 4月10日、放課後。

  桜丘高校・西棟の三階、滅多に使われない茶道部室の襖を、翔大はそっと開けた。

  ――甘い、香ばしい香りが鼻をくすぐった。

 「……まさか、マジでお茶淹れてるとはな」

 「うん。でも、ただの“お茶”じゃないよ?」

  振り返ったのは、和風の髪留めをつけた少女――かすみだった。

  彼女は小さな湯釜の前に正座し、穏やかな笑みで湯呑みに湯を注いでいた。

 「この“かすみブレンド”、ただの癒やしじゃなくて、〈感情安定〉の作用もあるんだ。鏡界でのストレス蓄積を軽減できるの」

 「へぇ……やるな。俺も試作品の暴発で、気持ち張り詰めっぱなしでさ。少しでも効果あるなら、試してみるか」

  翔大が腰を下ろすと、かすみは両手で湯呑みを差し出した。

 「召し上がれ。温かいうちにね」

  一口含んだ瞬間、身体の芯がじんわりとほぐれるような感覚が翔大を包んだ。

  抹茶に混じるハーブの香り、微かな柑橘とスパイスの余韻――舌ではなく、心に効く茶だった。

 「……マジで効いてる気がする。すげぇよ、これ」

 「ふふ。でしょ?」

  かすみはどこか誇らしげに微笑む。

 「実はね、このお茶、〈感情武装〉に応用できるかもしれないの。お湯と器に感情波を通して……防御結界を張れるかもって」

  翔大は目を見開いた。

 「武具化? 茶器を?」

 「そう。実験してみる?」

 「やるっきゃないだろ!」

  翔大は立ち上がり、自分の持ってきた〈鏡界鉱石〉を机の上に置いた。

 「これ、鉱石の中でも反応率高いやつ。お前の“癒やし成分”と合わせたら、なにか新しい装備になるかも!」

  かすみは頷き、小さな湯呑みをその鉱石の中央にそっと置いた。

  そして、両手を添え、静かに目を閉じた。

 「――あたたかく、やさしく、守って」


 茶器の周囲に、柔らかな光が満ちはじめた。

  揺れる香の粒子とともに、かすみの掌から淡い波動が湯呑みに注がれていく。まるでそこに“安心”という感情そのものが宿ったかのように、茶器は微かに振動し――

  瞬間、〈鏡界鉱石〉の表面に緑色の文様が浮かび上がった。

 「きた……! 共鳴反応、出てる!」

  翔大が目を見張る。

  やがて、湯呑みの縁から小さな結界膜のようなものがふわりと浮き上がった。透明なドームのような形状で、ふたりを包み込むように広がっていく。

  気温、湿度、心拍、すべてが安定する感覚――。

 「すごい……。心が静かになる。これなら……」

  かすみが目を開けた。

 「“防御”って、何かを跳ね返すことだけじゃないと思うの。心を守ることも、戦いの一部だよね」

 「……だな」

  翔大は腕を組み、しばらく黙っていたが、やがて照れくさそうに頭を掻いた。

 「……俺さ、自分のギアばっか磨いてて、周りが見えてなかったかも。でも、こういうのも大事なんだなって……わかった」

 「うん。お互いに、できることを持ち寄っていけばいいんだよ。誰かの役に立てるなら、それで十分」

  その言葉に、翔大の胸が少しだけ熱くなった。

  ただの“癒やし系”だと思っていた少女の中にある、確かな芯――。

  それを、今ようやく知った気がした。

 「……なあ、かすみ」

 「ん?」

 「お前の研究、正式に共鳴隊の装備班に組み込もう。今後の出撃時、この“癒やし庵ギア”、標準装備ってことで」

 「わっ……ほんとに? それって――」

 「もちろん、正式採用。俺のギアと合わせて防御展開も検証する。いけるぞ、これ」

  かすみはぱあっと顔を輝かせ、小さく拳を握った。

  そして、再びお湯を注ぎながら囁いた。

 「……よし、じゃあ次は“特濃ブレンド”試作してみる。副作用:眠気注意、だけど」

 「ま、戦闘中に寝落ちは困るけど……ちょっと楽しみかもな」

  二人の笑い声が、茶室の障子に優しく滲んだ。

  静けさの中にある確かな力――それは、戦場の最前線とは違う形で〈共鳴〉していた。

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