第15話_零視点の正体
4月10日・夜。
市の中心部から外れた旧市庁舎――その地下に、ほの暗い非常灯の明かりが灯っていた。
金属の階段を軋ませながら、四人の影が降りてくる。
拓巳、利奈、凌大、そしてかすみ。
「ここ、本当に使われてないって噂だったのに……やけに静かだね」
かすみの声が、静寂に吸い込まれていく。
地下フロアは、何かの倉庫か事務所だったらしく、埃に覆われた書類棚や古いパソコンが無造作に積み上げられていた。
その最奥にある分厚い鋼鉄扉の前で、拓巳が立ち止まる。
「――この中に、“本当の鏡界計画”がある」
彼の声は震えていた。強がってはいたが、どこか自信なさげな様子が滲む。
「零視点」の存在を告げられたのは数日前だった。
鏡界の異常が始まる前から、その可能性を察知していた者たちがいた。彼らは“世界を守る”ためではなく、“選び直す”ために動いている。
現実世界の制度も、鏡界の出現も――全ては、人間が制御しきれなくなった〈感情〉の膨張が原因だと主張していた。
「鍵、開けるよ」
拓巳が古びた認証パネルに手をかざす。
――ピッ。
低く間の抜けた音とともに、ドアが軋みをあげて開いた。
そこは……まるで別世界だった。
旧市庁舎の地下に、最新鋭のモニターや通信機器、中央にはホログラム台が鎮座する。
利奈が一歩踏み出し、ホログラムに表示された〈鏡界分布図〉を睨みつけた。
「これ……市内の全鏡界裂け目の位置。しかも……」
「……予測モデルまで。彼らは、鏡界の“拡大速度”を計算してる」
凌大が険しい目を向けた。
「――まるで、崩壊を“待っている”ようだな」
その言葉に、誰も反論しなかった。
利奈はホログラム台の端末を操作し、ログデータを呼び出した。
数百件に及ぶ調査記録の中には、桜丘市の異常気象、精神疾患の増加、学内暴力の発生率――すべて〈感情エネルギー〉の過剰発現と関連付けられた報告があった。
「……私たちより、ずっと前から気づいていたのね。鏡界が“世界の歪み”を映す場所だってこと」
利奈が呟くように言った。
その時、背後の通信機器から小さな電子音が鳴った。スクリーンが自動的に切り替わり、一人の人物の映像が浮かび上がった。
白いフードを目深にかぶった少年――その瞳だけが異様に静かだった。
『よく来たね、拓巳。連れてくると思ってた』
「リーダー……!」
拓巳が思わず声を漏らす。
スクリーンの人物は、〈零視点〉の創設者であり、計画の主導者――その正体は、桜丘市出身の少年科学者「カガミ」と名乗る青年だった。
『この世界は、もう限界なんだ。システムも、価値観も、感情すらも暴走してる。僕たちはただ、“次”を用意してるだけだよ』
「次って……新しい世界を造るってことか?」
凌大が一歩前に出た。視線は鋭く、声は低い。
『正確には、壊れた構造を一度“リセット”してから、再構築する。必要な人間だけを残してね』
「それは……救済なんかじゃない。ただの選別だ!」
かすみが叫んだ。声が震えていた。
だが、カガミは表情を変えず、淡々と続ける。
『共鳴隊は優秀だ。感情エネルギーの扱いも、制御も、ここまで適応できるとは予想外だった。……でも、それだけじゃ足りない。君たちは“古い世界”を守ろうとする。それが、誤りなんだ』
「……なら、何のためにこのデータを残してる?」
利奈が問いかけると、カガミはわずかに口角を上げた。
『“理解してほしい”からさ。僕らが敵になる理由を』
その瞬間、画面がブツンと消えた。
静寂だけが残る部屋で、四人はそれぞれの胸に何か重たい感情を宿したまま、言葉を失っていた。
地下施設を後にした帰り道、夜風が一行の頬を冷やしていた。
誰も口を開こうとしなかった。だが、最初に沈黙を破ったのは拓巳だった。
「……なあ、俺さ。たぶん、ずっと間違ってたと思う」
その言葉に、凌大が目を細める。
「何をだ」
「俺、自分が〈共鳴隊〉に入れなかったの、ずっと引きずってた。負け惜しみとか、要領の悪さとか……。でも、あいつらが仲間になる前に、〈零視点〉に声かけられてさ。“お前みたいなやつこそ必要だ”って……。それで、つい、流されちまった」
拓巳は俯き、握った拳を震わせた。
「でも今日、見て分かった。あいつらの“次の世界”ってやつ、俺が居場所を得たかっただけの幻想だったんだって」
「幻想かもしれない。でも、お前はそこから戻ってきた。それは、事実だ」
凌大の言葉は、いつになく穏やかだった。
すると、後ろで歩いていたかすみが小さく呟いた。
「じゃあ、私たちはどうするの? 彼らを止めるの? それとも、彼らのやり方に乗るの?」
その問いに、誰もすぐ答えることはできなかった。
だが、利奈だけはゆっくりと立ち止まり、夜空を見上げた。
「私たちも、選ばなきゃいけない。感情が暴走する世界をどう向き合うか――守るか、壊すか。信じるか、断つか」
その言葉に、三人は立ち止まり、同じ空を仰いだ。
そこにあったのは、ぼんやりと輝く〈鏡界の月〉。
崩壊のカウントダウンは、確かに進んでいた。
だが、その月の下にいる彼ら自身が――どちらの側に立つのか、まだ誰にも決まっていなかった。
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