第13話_凌大の断罪

 4月9日、午後4時。

  桜丘市の西部、商店街の跡地に広がる一角。かつて賑わっていた通りは、今や崩れたアーケードと瓦礫に覆われていた。

  そしてその中央、現実と異界が混ざり合った場所――鏡界化が進行する“歪みの街”に、ひとりの青年が立っていた。

 「……ここか」

  凌大は言葉少なに、踏み込んだ足元の感触を確かめる。

  舗装されたはずの地面は半透明の鏡面に変質し、歩くたびに鈍い音を立てる。

  上空には、どこか怒りの感情を孕んだような“裂け目”が、禍々しく広がっていた。

  彼は、立ち止まり、腰に差した感情武装をゆっくりと抜いた。

  〈断誓刀・黒律〉。罪を断ち、信念に従う刃。

  「許されるべきではない」

  その声には、怒りでも激情でもない。

  ただ静かに――だが確固たる断罪の意志だけが宿っていた。

  鏡面の路地の奥から、“何か”が呻き声を上げる。

  歪んだ顔、崩れた骨格、泡のように変化する身体――

  感情獣〈レゾナンスビースト〉。

  しかも、数は一体ではなかった。三体。いずれも周囲に撒き散らされた“恐怖”の感情から生まれた凶悪個体。

  凌大は眉ひとつ動かさず、刀を構えた。

  「……死をもって、償わせる」

  彼にとって、それは私情ではなかった。

  過去の災害で、何の罪もない隣人が“感情の化け物”に殺された記憶が、今も胸に焼き付いていた。

  罪なき者が苦しみ、加害性のある“感情”だけが形を得るなど、正義ではない。

  彼はただ、その不条理を正すために、刃を振るうのだ。


 斬撃が、鏡界の空気を切り裂いた。

  一閃。レゾナンスビーストのうち一体が断面から崩れ落ち、黒い霧となって消える。

  残りの二体が唸り声を上げ、正面と側面から挟み撃ちを仕掛けてくる。だが、凌大は一歩も引かない。

 「無駄だ」

  彼の声が、決して怒鳴りではないのに重く響く。

  足元の鏡面が、彼の感情に反応するように淡い黒光を帯び始める。

  〈断誓刀〉の真価は、相手の“感情構成”を切断すること――。

  攻撃の軌道を読みきった凌大は、一体の腹部に鋭く踏み込み、振り抜いた。

  「――断罪」

  断ち切られた感情波が空間に揺らめき、ビーストは断末魔とともに砕け散る。

  もう一体――最後の一体が、今度は背後を取ろうと飛びかかってきた。

  が、その瞬間。

 「そこまでっ!」

  間に割って入った声があった。

  瑠美だった。

  彼女はすぐ後方から飛び込み、防御結界を張って凌大を庇った。

  「退け、瑠美。こいつは俺がやる」

  「待って、凌大くん……このビースト、さっきまで人間だった可能性がある……!」

  その言葉に、凌大の瞳がわずかに揺れる。

  「嘘だ」

  「メキーが言ってた。高濃度の鏡界で“感情に押し潰された人間”は、ビースト化する可能性があるって……! この個体、元はここの商店街の……」

  瑠美は怯えた目でビーストを見つめる。残ったその一体は、他の個体と違い、動きに迷いが見られた。

  「やめて、お願い……誰かを許すことだって、感情のひとつなんだよ……!」

  だが、凌大はその言葉を聞いても、一瞬の逡巡の後――刀を振り上げた。


 「感情に、救いなどない」

  刃が振り下ろされようとしたその瞬間、瑠美が声を張り上げた。

  「なら、私がその“感情”を引き受ける! 共鳴して、この子の“芯”を確かめる!」

  彼女の手がビーストに触れた。

  その瞬間、ビーストの体から迸る感情波が、瑠美の心に流れ込む。

  苦しみ、孤独、焦り、そして――誰かを守りたかったという一片の想い。

  「……この子、誰かを庇って……」

  声が震える。だが、彼女の表情には涙と共に、微かな安堵があった。

  「凌大くん、お願い。もう、断ち切らないで……。まだ、“戻れる”かもしれない」

  凌大は剣を構えたまま、動かなかった。

  刃はわずかに揺れ、彼の中でぶつかり合う正義と信念が、その静寂に鋭く響いていた。

  やがて――彼は、刀をゆっくりと下ろした。

  「……次はない」

  短く、低い声。

  「助けを求めぬものは、断つ。それが俺の信条だ」

  「うん、わかった……。ありがとう」

  瑠美は、ビーストの“中に残る人間”を感じながら、そっと寄り添うように座り込む。

  そして、静かに語りかけ続けた。

  ――おかえり。もう大丈夫だよ、と。

  やがて、ビーストの姿が少しずつ揺らぎはじめ、形が変わっていく。

  異形の中から、人間の青年が現れた。

  ぐったりと倒れ込んだその姿に、凌大は黙って背を向ける。

  瓦礫の中を歩きながら、彼は誰にも聞こえない声で呟いた。

  「……甘さでは、救えぬ命もある。だが――」

  それでも。

  その“赦し”を見届けた背中に、確かに一つの変化があった。

  そしてそれは、彼にとっての“共鳴”の第一歩だったのかもしれない。

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