第11話_拓巳からの挑戦状
桜丘高校の屋上に、乾いた風が吹いていた。
朝のホームルームを終えてすぐ。教室の喧騒を抜けた祥平は、誰もいないはずの扉を開けて、思わず足を止めた。
そこには、ひとりの男子生徒が立っていた。
制服は着崩れ、髪は跳ね放題。肩に掛けたバッグが歪んでいる。
彼の名は――拓巳。
風にたなびく彼のコートの裾が、陽光に翻る。
何をしているのか、問うまでもなかった。
彼の足元には、くしゃくしゃになった茶封筒が落ちていた。
その口が開いていて、中の“紙”が一枚だけ、風に舞って空へと消えていく。
「あっ……くそ、今のが本命だったのに……!」
拓巳は情けない悲鳴を上げながら、それでも不器用に立ち上がる。
「なにやってんだ、朝っぱらから」
「見られたか……っ。いや、これは、その……特訓だ!」
「どう見ても“手紙飛ばして失敗した人”だったぞ」
「ち、違うって言ってんだろ!」
拓巳は顔を真っ赤にしながら、ズボンのポケットをごそごそと漁る。
そして、しわくちゃになった便箋を取り出すと、咳払いした。
「……読むぞ」
「え、読むの?」
「そ、そうだ! 本当は直接手渡す予定だったんだよ、これは!」
不自然に視線をそらしながら、彼は震える声で読み始めた。
「――拝啓、共鳴隊御中。貴殿らの活動に対し、我ら〈零視点〉は、正式な対抗戦を申し込む。場所は三日後、南防波堤の鏡界層。勝者が鏡界の主導権を得ることとする」
「……なんか、古臭い文体だな」
「そこは格調高くしたかったんだよ! バランス考えた結果だ!」
「誰と?」
「……自分と」
やけくそ気味に胸を張る拓巳を前に、祥平はしばらく絶句していたが――やがて、くつっと笑った。
「おもしれぇな。じゃあ、受けて立つ」
「は、はあ!?」
「いや、最初から断るつもりはなかったし? どうせ次の裂け目はそっち方面だったろ、千紗の予測じゃ」
「そ、そんな簡単に……いいのか?」
「主導権なんて、やってみなきゃわかんねぇだろ。なら一回、きっちりやっとこうぜ」
祥平の言葉に、拓巳はあっけに取られていた。
しかし次の瞬間、目に見えて顔がほころぶ。
「……そうか。いや、そうだよな! ようやく認められたってことか……!」
「え、いや別にそういうわけじゃ」
「ふははは! 聞いたか世界よ! 今、俺の挑戦が正式に受理された!」
風がまた吹き抜ける。
その中で、拓巳の髪が乱れ、手紙の残りの一枚がくるくると宙を舞った。
紙飛行機にしていたら、もっと格好ついたかもしれない。
けれど、それすらも彼らしくて、どこか憎めなかった。
屋上から戻ってきた祥平は、職員室に行くでもなく、直接生徒会室をノックした。
中にはすでに千紗と翔大、そして瑠美が揃っていた。
「……で、拓巳から対抗戦の“正式挑戦状”が来たと」
千紗は白板の前に立ちながら、祥平の報告に眉をひそめる。
「向こうの狙いは?」
「多分、自分たちの“立場の正当化”だな。今までは非公式だったけど、挑戦状という形にすることで、自分たちを“もう一つのチーム”として認識させたいんだろう」
「勝てば主導権が得られる、って文面にあったけど……それを盾に市民や自治体に接触されたら、確かに厄介だね」
千紗がホワイトボードに〈零視点〉と書き加え、線で結ぶ。
「一応確認するけど、やる気なんだよね?」
瑠美の問いに、祥平はあっさりとうなずいた。
「やるさ。向こうも本気だし、避けたって遅かれ早かれぶつかる。それに、こっちも“市民の信頼”って意味じゃ負けてらんねぇからな」
「よし、じゃあ防波堤の地形データと鏡界の変異パターンをまとめとくよ」
翔大が立ち上がる。すでにやる気は全開のようだ。
千紗はその姿に一瞬だけ笑みを浮かべ、即座に情報端末を取り出した。
「作戦図はわたしが用意する。それまでに、できるだけメンバーの調整と、感情武装の点検を済ませて」
「オッケー。ついでにアレクサンドラとメキーにも共有しておこう。研究者視点から見ても興味あるだろうし」
「彩心には?」
「んー……気分次第」
祥平の苦笑に、全員がちょっとだけ笑った。
こうして、南防波堤での対抗戦――〈零視点〉との初めての“公の衝突”は、静かに幕を開ける準備を整えていった。
その背後では、誰にも気づかれないまま、すでに“次の鐘”の震動が――わずかに、世界を揺らし始めていた。
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