第9話_留学生メキー登場

 四月六日、昼休み。

  賑わう学食の奥、ひときわ空いている隅の席に、祥平はトレーを置いた。カレーうどんと牛乳。安定の炭水化物コンボである。

 「ふぅ……やっと座れた」

  騒がしさから一歩引いたその場所は、かすかに湯気とカレー粉の香りが漂っていた。祥平が箸を割ろうとしたそのときだった。

 「こんにちは! もし、席、お借りしてもよろしいでしょうか!」

  突然、右側から滑り込んでくる影――

  黒ぶち眼鏡に、金髪がやけに丁寧に分けられている。制服は校則通りで文句なし。

  だが、その口調と動作の“過剰な礼儀”が、どうにも浮いている。

 「……ああ、大丈夫。っていうか、君、留学生?」

 「はい! ぼく、メキー・スナイデル! 本日より正式に桜丘高校へ交換留学の開始をいたしました!」

  椅子をひとつ引き、まるでプレゼンのような自己紹介。祥平が苦笑まじりに頷くと、メキーはそそくさと鞄から書類を取り出した。

 「……で、なんで俺の席なんだ?」

 「それはですね! あなたが今朝の第二校舎前で、感情波動の変調に最初に気づいて立ち止まっていたからです!」

 「……俺、立ち止まってたっけ?」

 「気づかないうちに感情と同期している――それはとても貴重な共鳴資質です!」

  なんだこの人、テンション高すぎる。

  内心そう突っ込んだ祥平だったが、相手の目は真剣そのものだった。

 「実は、わたしの母国では〈鏡界〉研究は禁止されておりまして。ですが、ここでは法の抜け道……じゃない、民間協力が可能と聞きまして!」

 「……どこから情報仕入れたんだ」

 「ネットと、あと屋上に落ちてた謎の手紙!」

  その言葉に、祥平は即座に思い出す――拓巳の失敗挑戦状。

 「なるほど、あれか……」

  やたら丁寧に語り続けるメキーだったが、突然真剣な顔になった。

 「祥平さん……あなたにだけは、どうしてもお願いしたい研究があるのです」

  彼は鞄から、もう一枚の紙を取り出す。

  そこには、日本語の誤字混じりでこう書かれていた。

  ――「鏡界の感情振動を、視覚化する装置について」

 「……これって、感情を“見る”ってこと?」

 「そうです! もしもそれができれば、感情武装の暴走も制御可能になるかもしれない。戦闘中の事故も減ります!」

 「でも、それって機械で測れるようなもんなのか?」

 「……測れます。ぼくは、その“断片”までは解析済みなんです」

  その瞳に、揺るぎない意志が宿っていた。

  オブラートは分厚いが、内心は火山のように熱い――そんなタイプだ。

  祥平は、少しだけ笑って、答えた。

 「いいよ。協力する。うち、いま人手足りてないしな」

 「ほんとうですか!? ありがとうございますっ!!」

  メキーは立ち上がり、勢いあまってお盆をひっくり返した。

  カレーうどんと牛乳が宙を舞う――

 「わああああああ!! ミルクとカレーが化学反応してるぅぅぅう!」

  昼休み終了五分前。

  学食の片隅で、祥平はひとり、床掃除を手伝う羽目になっていた。


 「でさ。次からはカレーと牛乳、別々の皿にしたらどうだ?」

  雑巾で床を拭きながら、祥平が苦笑混じりに言うと、隣で正座しているメキーは深々と頭を下げた。

 「はい。ぼく、謙虚に反省いたします……と同時に、感謝をお伝えいたします。あなたのように優しく床を拭く人は、わたしの国では“道の賢者”と呼ばれ――」

 「いやそれ、盛りすぎだろ」

  心のどこかでツッコミながらも、祥平はその口調を嫌いにはなれなかった。

  そこへ、ドタドタと駆け込んでくる足音が響く。食堂の奥から現れたのは――瑠美だった。

 「やっぱりここだった! ごめん、祥平! 急いで、理科準備室に来て!」

 「え、なんかあった?」

 「鏡界、また広がってる! 今度は北校舎の裏、プールの底から!」

 「……またかよ」

  うんざりしたように立ち上がる祥平。その横で、メキーが顔を輝かせた。

 「プール! 水中に感情波が映るかも……! 参加してもいいですか!? 分析したいです!」

 「いいけど、今度こそ何もこぼすなよ」

 「了解しました! この足で、誠心誠意、慎重に行動いたします!」

  そして二秒後、彼は滑って転んだ。

 「ごめんなさい床まだ滑るっ! あああああ――」

  思わず頭を抱えた祥平の横で、瑠美がくすっと笑う。

 「……でも、なんだかいいね。新しい仲間、って感じ」

  その言葉に、祥平も苦笑を返した。

 「まあ、にぎやかにはなったな。……にしても、“鏡界の拡張”が止まらないな」

 「うん。感情波の波形、複雑になってるって、彩心も言ってた」

  メキーが立ち上がり、懲りずにまた手帳を取り出す。

 「ここ、今日の午後に観測された鏡界周波。今までより、共鳴波長が長くなってる」

 「つまり、範囲が広がってるってことか」

 「はい。そして、波長が長いほど“感情の反響”が強くなる。つまり、感情が爆発しやすくなるって意味でもあります」

 「……このままだと、マズいな」

  いつもなら軽口で済ます祥平も、さすがに表情を引き締めた。

  “爆発しやすい感情”が増えている。

  それは、〈鏡界〉だけでなく、この“日常”にも危機が忍び寄っているということだった。

 「だから……協力してください。ぼくの研究と、みなさんの力で」

  真っ直ぐに、熱のこもったメキーの眼差し。

  それは異国から来た一人の研究者ではなく、“戦う覚悟を持った仲間”の目だった。

 「――わかった。協力してもらう。お前の分析、〈共鳴隊〉にとっても重要になるはずだ」

  祥平はそう言って立ち上がり、瑠美とともに駆け出した。

  メキーも慌ててその後を追いかける。

  こうして、〈共鳴隊〉に新たな“頭脳”が加わった。

  ……感謝の言葉が、昼休みの五分を超えて続いたのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る