第2話『獅子心王』

『ウィリアムズ・ライオンハート』


その名で呼ばれる少女は、モビルフォーミュラの世界で異彩を放っていた。

猪突猛進、後先考えないアグレッシブなレーススタイルは、ぶっちぎりの個性派である。

時に戦術的なセオリーさえ度返ししながら、マシンの性能を限界まで引き出すその様を

人々は獅子心王『ライオンハート』と称した。

背番号に赤く刻まれた『5』の数字、

レッドファイブの異名も持つ彼女は

ウィリアムズチームの創設者であり監督、

闘将『フランク・ウィリアムズ』によって見出された才女でもある。


フランクは今シーズン、ある必勝法を持って参戦し、それは現実のものとなっていた。

前シーズン台頭したホンダ・プリンシアを圧倒的な力でねじ伏せるその秘策とは

ライオンハートのその爆発的なレーススタイルを機械側から全面的にサポートするというものだ。


ライオンハートのドライビングテクニックは言うなれば、機械側への負担要求が許容量を超えてしまう。

彼女は頭に血が上り、興奮状態に陥ると一々マシン側に気を使うことなく極度の集中状態に陥る。

それが機構を破綻させ、故障を引き起こす。

リタイアとなることも珍しくなかった。

だからフランクはそんな猛り狂う獅子を、最新鋭の自動化装備で鎧うことにしたのだ。

脚部は『アクティブホバーサスペンション』に換装され、常に変化するサーキット路面に対して最適な角度で相対することを約束し、

『トラフィックコントロールスラスター』は、機体各所の推進器の熱垂れや空転と言った非効率的な現象を燃焼管理によって自動的に抑制する。

その他にも様々なハイテク自動装備が搭載された本機は、ライオンハートというコース上の猛獣に更なる牙と爪を与えるのであった。


今シーズン開幕から5連勝という快挙は、数字以上の内容を持っていた。

2位との間に30秒以上のマージンを築くような圧倒的な性能を誇ったのだ。

誰も勝てるわけがない。もはや今のウィリアムズに死角はなかった。


先日のモナコGPまでは...。


『開幕から独走ライオンハート!2番手プリンシアとの差は29.634!30秒近く、大きな大きなリードが、今もなお広げられています!』


ライオンハートは予選からポールポジションを獲得、今日も先頭グリッドから解き放たれた猛獣が1週につき1秒近くのアドバンテージを築き上げながら最速の孤独を愛していた。

1秒が大差と言っても過言ではないモビルフォーミュラの世界において、この差は絶望的なまでの圧倒であり、

誰もが今大会でもライオンハートの勝利を予感した。


しかし残り8週を残すのみとなったところで事は起きた。

ライオンハートは語気荒く、ピットのフランクに無線を送る


「おじじ!右手のグリップエッジが急に変になった! どうなってるのよ!」


グリップエッジ...

彼女達モビルレーサーがレース中に両手に持つ、カタールのような形状をした刀剣状の武装である。

高周波の刃を地面に突き刺すことで、彼女達は超低空を飛行しながら地面の抵抗を任意に受けることができる。

そしてその抵抗は、例え超音速の世界であっても圧倒的な旋回グリップを実現する。

それが故障するという事は、制御が極めて困難になるという事に他ならない。


「サブアームとお前自身の腕にはほんのわずかに意思の違いがある、それが刀身の歪みになった」


ライオンハートはグリップエッジを自身の両手だけでなく、機械化されたもう一対の補助腕と共に保持している。

だがその補助腕は彼女と神経的に接続されているわけではない。

そのため完全な動作の同期とまでは至らず、極々僅かに遅れるのだ。


「余計なもの付けるからこうなるのよ!クッ...思ったように動きなさいよ!このポンコツ!」


ライオンハートの右グリップエッジの歪みは深刻であった。

地面に侵襲した刀身がほんの小さな力の方向の差異によってジグザグな軌跡を描いてしまう。

それが結果として本来、刃があるべき部分が削られ、損なわれる事に繋がったのだ。

刃こぼれしたカッターナイフを正しく使い続ける事はできないように

今の彼女のグリップエッジは、地面を斬りつけられなかったり、斬りつけたとしても今度はそれが引っかかったりと、極めて不安定な状態にあった。


「ライオンハート、ボックス...ピットインしろ」


「はぁ!?正気なのおじじ!ここはモナコなのよ!?」


「プリンシアとのマージンは30秒近く築いた、例え抜かれたとしても、お前とそのマシンなら抜き返せる、それがモナコという地であってもだ」


「拒否します!このまま走り切れば勝てるのよ!?みすみす逃せないわ!」


「今日のレースはな、それで次のレースは?お前には公算が無い。それにお前はこちらに従う義務がある、ボックスだ!」


「はぁ...コピー!」


ライオンハートは泣く泣くモナコのピットエリアへ進入、

ウィリアムズガレージの前に着くなり、ピットコース両脇から伸びたメカニカルアームに支えられ、彼女は宙吊り状態になる


『ああ!なんとここでライオンハートがピットイン!緊急ピットインです!なんという事でしょうか!』


問題のあった右腕グリップエッジを含む交換を要するパーツを取り替える作業が迅速に行われる。

ピットクルー達の動きは決して遅くは無い、むしろ速い方だ。

しかしピットインまでの安全運転も含めると、30秒の圧倒的なマージンがあるとしても不安がある。

そしてその不安は、的中した。


スタート以来後塵を拝し続けてきたプリンシアはその瞬間、また『何か』を検知した。

ピットエリアには、リアルタイムで送られてくる彼女の演算ログ、それにははっきりと

『Detected-Unknown Object』と記されていた。

今シーズン一度も検知しなかったそれを、プリンシアは再び感じ取った。

その検出ログに、ホンダチーム一同緊張が走る。


プリンシアは自らの意思なのか、それとも『何か』に促されたのかはわからなかったが

自身のリミッターを解除し、ホンダ製V12ターボリアクターの全性能を解放する。

それは本来、他機体を抜き去る一瞬のために使用されるそのオーバーテイクモードを

プリンシアは残り8週という長期間にわたって常用しようという意思を示していた。


ウィリアムズのピット作業は4秒ほどで終了する、かなり良い手際だったが

その間に、プリンシアに2秒差の先行を許してしまった。


『プリンシアがついに!ついに!今シーズン一度も先行を許さなかったライオンハートの前に出ました!その差はわずか2秒!』


青白いスラスターの噴射炎が空気を焦がす、

エンジンリアクターの轟音が響き、彼女は加速を続ける。

しかし、そんな僅かなリードを得たプリンシアにみるみる迫ってくるのがライオンハートだ。

マシンそのものの圧倒的な性能差もあるが、短時間で冷たさの残る新品のグリップエッジをここまで容易に使いこなすのはライオンハートの才女たる所以だ。

エルミタージュ美術館前、トンネル、ラスカスエリア、

複雑に入り組み、狭いモナコの市街地コースを2人の超音速のマシンは猛然と駆け抜ける。


『さぁ、ライオンハートが行く!ライオンハートが行く!一週ごとにコースレコード叩き出す信じられない速さで!ライオンハートがプリンシアに、あっという間に追い付いた!』


今シーズンのライオンハートは無敵だ、

その証左がここにも現れる

プリンシアの無理に無理を重ねる無謀なその作戦であっても、ウィリアムズのマシンは簡単にすぐ後ろまでつけてしまった。

しかもライオンハート側のグリップエッジはフレッシュエッジ、新品なのだ。

レース終盤の摩耗しきったプリンシアのグリップエッジ、

そのコーナリング能力では全く勝ち目がないのは明らかだ。

絞り出した推進出力でいくら直線で有利になろうとも、深く曲がりくねったモナコのコースでは差してアドバンテージにはなりにくい。


今のライオンハートならば、いくらモナコであっても簡単にプリンシアを抜き去ってしまうかもしれない。

レースを見る誰もがそう予感していた。

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Mobile Racer PRiNCiA 『超高機動走士 プリンシア』 @TiA-Tech

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