第26話 下位魔物
魔物――。
簡単に言えば、魔族の中でも人間に近い知能を持った存在のことを指す。
もっとも、これはあくまで人間側が便宜的に定義した呼称にすぎない。
実際のところ、その境界は人によって曖昧で、魔族も魔物もひとまとめにして〝魔族〟と呼ぶ者もいれば、近年では明確に区別し、別々に議論すべきだとする立場も増えてきた。
だが、どちらの見解が正しいかは問題ではない。
重要なのは――たった一つ。
人類にとって、最も脅威となるのは、〝知能を持った魔物〟であるということだ。
莫大な魔力を、論理的に、狡猾に、戦略的に使いこなすことのできる存在。
それが――魔物、という存在である。
そんな魔物にも〝ランク〟というものがある。
人間と同等以上の知能を持つのが、〝上位魔物〟
そして、そこまでには至らないが、猿並の知能を持ち、時には武器も扱う――人としての形に近い存在。
それが――今、目の前にいる〝下位魔物〟だ。
「ギャッ、ギャッ、ギャッ! クワセロ……! クワセロ……!」
まるで、蝙蝠がヒト型になったかのような外見のコイツは、この説明だけ聞くと、ダークヒーローっぽいイメージが湧くかもしれない。
――が。
触覚から灯っている火。
そして、サラマンダーが二足歩行になったかのような特異な四肢。
猛獣のように大口を開け、獣臭い息づかいとよだれと――それからダラダラこぼれる赤い血液……。
これを見れば、コイツがそんなクールな蝙蝠男じゃないことがわかる。
この下位魔物の名は【グレンオーシト】。
コイツの口から流れる血は――おそらく王立学園を食い破った時に付いたものであり、その後ろには……その残骸があった。
「なんと惨い……」
幾度も戦場に立ってきたアミンでさえも、顔を嚙めるほどである。
ちなみに【グレンオーシト】も、遠方にあるマグマジャー火山岩に生息する下位魔物であるので、コイツもなぜこの王立学園にいるのか、まったくわからない。
こんなやつも、どうしていきなり王立学園に現れたのか――。
なにか原因はないかと、俺が脳内で原作知識を巡らせていた時に、【グレンオーシト】はこちらにギョロリと黒い眼を向けた。
「クワセロ……! クワセロ……! クワセロ……!」
……どうやらまだまだ食い足りないらしいな。人を。
ターゲットをこちらに変えたあの下位魔物は――脚力を爆発させ、一気にこちらへ飛びかかった。
その狙いは、よりにもよって――アロリア。
「アロリアッ!」
下位魔物の魔力が乗った脚力は、まるでロケットブースターのように速い。
でも、俺ならすぐにでも<魔道具召喚>し、あんなやつS級の槍で串刺しにしてやるところだが――どうする!?
「下位魔物め……。王騎兵の護衛対象を狙うとは、なんたる無礼!」
その時、〝水の刃〟が下位魔物とアロリアの間を通り抜けていった。
マスケラードが抜剣し、水系統の魔力を飛ばしたのだ。
それは魔法とも言えないほどの小さな技だが、それでも地面がえぐれている。
これだけでも、彼がずば抜けた剣術使いだというのがわかる。
……どうやらまた助け舟がきたようだ。
「クワセロッ! クワセロッ! クワセロッ!」
【グレンオーシト】は、黒い眼を見開き、叫ぶ。
明らかに激昂した態度を見せた。
まるで、弱い犬ほどよく吠えるような……そんなささやかな抵抗に聞こえた。
この下位魔物がすべき行動は全速力で逃げることだろう。
コイツが完全な獣なら圧倒的な力の差を前に、しっぽ巻いていたところだろうが、少し知能を持ったせいで、変なプライドが働いたのか……。
「クワセロッ! クワセロッ! クワセロッ! クワセロッ! クワセロッ!」
魔力を放出させ、全身に黒炎を纏い――地面を蹴り、そのままマスケラードに向かって一直線に突っ込んでいった。
<グレン・アタック>――。
あの下位魔物の中で、いわゆる必殺技に入る部類の攻撃だ。
この技の発動中は『スピード力』が上昇するため、もともとターン制であるこのゲームにおいて、プレイヤーのレベルが低いと先制攻撃を受けやすくなり、結果として二重の意味でタチが悪い。
踏み込んだ時に、地面が爆発し、その衝撃も乗せたまるで彗星が落ちてたかのような一撃。
確かに食らったらただじゃすまないし、避けるのも至難の業だ。
まあ、あくまでもレベルが低かったらの話だが。
「ふっ……遅すぎるな」
マスケラードは不敵に笑うと、魔法を詠唱する。
「<アクア・トルネード>」
直後、魔法陣が【グレンオーシト】の地面に形成されたと思ったら、驚くべき勢いで、魔力が纏って水の竜巻があっという間に、下位魔物を飲み込んでしまった。
「グワァァァァセェェェェェェロォォォォォォォ……!?」
まるで洗濯機の中にでもいるように、下位魔物はグルグル回転しながら徐々に天へと逆巻いてゆく――。
やがて、マスケラードがグッと開いた手を閉じると、それを合図に<アクア・トルネード>は瞬時に消えた。
……【グレンオーシト】は、空中でクルクルと回りながらゆっくりと落下していく。
目が回っているのだろう、体勢も変えられずに、無抵抗のままだ。
「無様だな。下位魔物――。一太刀で終わらせてやろう」
不敵に笑うマスケラードは次の瞬間、剣を鞘におさめたあと――
「――<魔道具召喚>!」
その一言とともに、彼は再び魔力を解き放つ。
別の魔道具が、静かにその姿を現した。
まるで一滴の雫が水面に落ちる瞬間のように、穏やかで、そして色彩豊かに――その魔剣は、宙に浮かぶように現れた。
……あれは、A級魔道具の剣――〝水の畔〟!
全武器を覚えている俺、当然この武器もバッチリ頭に入っている。
ちなみに、<魔道具召喚>とは――魔法によって生成された〝魔空間〟から、あらかじめ収納しておいた魔道具を呼び出す術式である。
使用者のレベルが高ければ高いほど、その魔空間に収納できる魔道具の数やランクも上がっていく。
上位の使い手ともなれば、複数の高ランク武器を自在に扱うことも可能だ。
もちろん、アミンのように常に魔道具を身につけておくのも一つの方法だが、〝魔空間〟に保管しておけば、状況に応じた武器の切り替えやストック管理ができるという利点がある。
てか、熟練度的に60レベル以上ないと持てない武器だから……マスケラード、やっぱりアイツ強いんだな。
というか、やっぱり剣かっけーーなーー!! いいなー! 俺、レベル777になっても、結局魔道具は〝槍〟しか使えなかったからなぁ……。
なんて俺が〝水の畔〟に羨望の眼差しを送っていた時――マスケラードはその魔道具を使って魔力を高めた。
宙でいまだにクルクル回っている下位魔物に照準を合わせ――王騎兵は空を舞った。
「<アクア・ジユ・ノカ>――」
それは、あまりにも静かな一太刀だった。
よく「糸を引くような」と形容される技があるが――この斬撃に、その比喩は似つかわしくない。
むしろ、水切り遊びの石が、水面を鋭く滑っていくかのような。
無音のまま、確実に横切っていく……そんな一太刀。
気がつけば、小さな水しぶきと共に、【グレンオーシト】の首は地面に転がっていた。
「強い……」
あっけなく斬り伏せられた下位魔物と、マスケラードの魔力と剣術に、同じ騎士として思うことがあるのか、アミンは戦慄した面持ちで固唾を吞んでいた。
敵に回すと恐ろしい男だ。
ま、流石は王騎兵というところだろう。
「お、お怪我はございませんか!?」
すると、マスケラードは魔道具を再び収納したあと、駆け足でアロリアに向かっていき――
「はい! マスケラードさん、ありがとうござい――」
急いで通り過ぎたあと、地面に膝をつき、俺の両手を握った。
「ナード様ッ!?」
「いや、俺の心配すんのかよ!」
もっとアロリアの心配しろよ……。
とは言いつつも、やはりマスケラードは大戦力だ。
非常に助かる。
でも、アロリアはスルーするとは……そんな悲しいことするなよ!
だが、俺の心配をよそにアロリアは次の戦場に視線を向けていた。
「奥のほうで騒ぎが聞こえます!」
彼女は中庭のほうに指をさした。
「おそらく、あそこにも魔族がいるのだろう……! 先陣は私が!」
アミンが先んじて駆け出した。
「自ら申し出るとは、天晴れです。私がサポート致しましょう!」
マスケラードもアミンに続いた。
「私たちも……!」
アロリアの言葉に俺は大きく頷き、2人に続いた。
まあ、魔族襲来のピンチだが、アミンもマスケラードもいるし、コイツらがいれば、戦闘では俺の出る幕はないだろう。
俺が力を解放する心配もいらない。
あとはサポートとか、人命救助とか、そういう裏方に徹すれば――それっぽく見せつつ、体面も守れる。
うん、それでいこう! 完璧な作戦だ!
頼んだぞ、マスケラード、アミン!
――と、俺は密かに期待していた。
しかし、中庭に到着した瞬間――
「な、なんだ……これ……」
その考えは、音を立てて崩れ去った。
驚愕の声を漏らすアミンの隣で、アロリアが目を見開いたまま呟く。
「今……生徒たちが戦ってる相手って、人間ですよね……?」
マスケラードが無言で俺に目配せを送る。
「あの制服……しかも、王立学園の生徒……?」
俺もまた、硬直しながらゆっくりと頷いていた。
そんな、馬鹿な……。
アイツらは……一体、何をしている……?
俺たちの目に映った光景は――到底、信じがたいものだった。
ある旗印を掲げた生徒たちが、魔族と徒党を組み、同じ学園の生徒たちに襲いかかっていたのだ。
斬り伏せ、串刺しにし、さらには地面に叩きつけて肉ごとすり潰すような――明確な殺意と悪意に満ちた、殺戮行為だった。
その旗に刻まれていたのは――交差する三本の剣。
強硬な理念と暴力的手段を肯定する意志を象徴するそれは――
〝純血派〟のシンボル。
思わず、声が漏れた。
「どうして……純血派の連中が、人間を襲っているんだ……!?」
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