最推しキャラ

 卜占とぼくにより、火封じの巫女候補が定められたこの春。


 巫女候補を歓迎する式典と宴が、夜の内裏で開かれた。それは殿上人や後宮の妃たちへ巫女候補をお披露目する機会でもあった。参内したまひわに付き添って女房のすずめも参内した。


 その宴の余興において、東皇海は篝火が照らす舞台の上で『白蛇退治しろへびたいじ』の一人主役をつとめた。


 『白蛇退治』は、八雲国ができる前から豊葦原の地に伝わる古い伝説を剣舞にしたものだ。


 三本足の烏が現れ、地上が禍々しい業火に覆われたときよりもさらに昔のこと。


 豊葦原では一匹の巨大な白蛇が大暴れしていた。田畑を荒らされ困り果てた地上の人々を憐れんだ天の神が、自らの気から生まれた男神を豊葦原へ差し向け、男神は知恵を働かせこの白蛇を見事に退治した。


 このとき、白蛇の死骸は水のように透明な長剣に変わった。男神はその剣を豊葦原の王に贈り、引き換えに王は娘を男神に嫁がせた。そういう伝説である。


 建国の歴史書では、この男神の子孫が八雲であり、白蛇の化身の剣こそ八雲が地上の火を鎮める際に使った水雲剣すいうんのけんと記されている。


 『白蛇退治』の剣舞は、ゲームのオープニングを飾った映像でもある。そのときはゲームの攻略キャラ全員が舞台にあがって剣舞を披露していた。この映像ですずめは東皇海に一目惚れし、その瞬間から彼はすずめの最推しになった。


 ところが、すずめがこの世界に転生して歓迎の宴に参加したとき、舞台にあがったのは東皇海ただ一人だった。すずめは、思わず黄色い悲鳴をあげそうになった。


 男神に扮した皇海は、髪の色と同じ鮮やかな金色の衣装に身を包み、内裏の白砂の庭にしつらえた舞台に厳かな雰囲気をたたえて立った。


 いくつもの鼓の音が同時に鳴った瞬間、彼は腰の剣を勢いよく引き抜いた。


 舞台の下で鼓は激しい律動を刻んだ。それは、庭に咲く桜の花びらがはらはらと舞い散る様にはそぐわなかった。きっと大蛇のおぞましい動きを表していたのだろう。


 皇海は一人みえない怪物に立ち向かい、篝火では照らしきれない闇を白く鋭い剣先でどんどん切り裂いていった。そこにいたのは、近衛中将ではなく、まさに恐ろしい大蛇と対峙する伝説の男神だった。


 皇海が空のように青い瞳を剣先へ向けるたびに、背中をそらし金の袖を大きく翻すたびに、舞台の上を大きく飛び跳ねるたびに、小さな光の粒がどこからともなく無数にあふれ、火花のように空中を飛び散った。彼が一つ動くたびに、まるで太陽のように圧倒的な熱が放たれていた。それはゲームの映像越しでは決してわからなかったものである。


 彼の堂々として勇猛な剣舞に、舞台を鑑賞していた誰しもが言葉を忘れるぐらい夢中になっていた。


 鼓の音が終わった瞬間、皇海の動きもまた止まった。みえない白蛇相手に一人で大立ち回りしたせいか、彼は激しく息をきらしていた。


 このとき彼の内側から、白金の光が幾筋も放たれていた。額の汗や吐いた息さえも、白玉のように光り輝いていた。

 

 帝に向かって深々と一礼し、ふたたびおもてをあげた彼は、まるで水平線から昇る朝日のようだった。


 最推しである彼が舞台の中心に立ったときから、まひわの後ろですずめは自然と涙をこぼしていた。ずっと昔から憧れていた存在をようやく直に目にできて感激しただけでなく、そのあまりの神々しさに圧倒されたからだ。


 皇海が剣舞を終えたときには、『この世界に生まれ変わってよかった!』と、すずめが滝のように涙を流しながら、胸の前で神仏を拝むように両手を合わせたのは言うまでもない。


 けれど、火封じの巫女候補ならともかく、すずめのようなモブキャラはきっと東皇海の恋愛対象にはならないだろう。


――それでも、せっかくこの世界に生まれ変わって、石室御殿にまでこれたのだから、一度ぐらい彼と言葉を交わしてみたいなあ。


 二八歳の東皇海は、いまだ独身だ。恋仲になった女性も未だに一人もいないと、従姉妹の蜜麻呂から教えてもらった。


 十代後半から二十歳前後で結婚することが多いこの世界にしてはめずらしく、けれど乙女ゲーの攻略対象としてはごく普通の年齢設定である。


 多くの乙女ゲーはおそらくメインターゲットを成人女性を対象としていたからだろう。この『桜雲封火伝』も、同級生のお姉さんがプレイしていて学校で流行り始めたのだ。


 東皇海がずっと独身の設定の背景は、陰陽寮頭おんみょうりょうのかしらだった母君を、十四年前東方の地で起きた大地震の折に亡くしてしまったのが、彼の深い心の傷になっているせいだ。


――すごくおこがましいけれど、その心の傷をわたしが慰めて差し上げられたらな。


 火封じの巫女候補ならともかく、その女房が彼とお近づきなる機会は滅多にないだろうから、きっとそれは叶わない願いだろう。


――でも、ごくたまにお見かけ出来るようになったから、都から遠く離れた田舎に住んでいた頃よりずっと幸せよね。


 火封じの巫女が決まるまで、この小さな幸せのある穏やかな日々が続いてほしいとすずめは思った。


 二人分の膳を厨へ戻しに廊下を歩いていたとき、すずめの足元へくちばしから小さな足先まで真っ青な小鳥が一羽やってきた。


 これはすずめの平穏をゆるがす使者だ。ささやき鳥という。百四十字まで伝えたい相手に自分の言葉を囁いてくれる式神である。


 霊力の高い陰陽師や行者か、あるいは餌の霊石の粒を買える裕福な人たちが持っている式神だ。昼夜を問わず、都の空を飛び交っている。


 青いくちばしが、男性にしてはやや甲高い柔らかな声を発した。誰なのか名乗らなくてもすぐにわかる。


『約束の時刻よりも早いけれど、今から会いにいってもかまわないかな、妻殿』


 長く連れ添った妻に話しかけるような気さくな声だ。


 実のところ、一昨日の夜、賀茂無残といっしょにいて話をしているうちに、会話が弾んですずめはすっかり彼と打ち解けてしまったのだ。


 賀茂無残に、馴れ馴れしくない程度に気さくに接してこられるうちに、すずめの警戒心はいつのまにか解され、お互いの口調はまるで幼なじみのように気安いものになり、気がつけば二人の距離は縮まり、手まで触れ合っていた。


 彼が悪役陰陽師であることを、すずめがはっと思い出したのは、石室御殿の門限が近づき、笑顔で彼を送り出して寝る準備をしているときだった。


 昨日は昨日で、「蝋燭の火を眺めていたら、君の長い三つ編みを思い出しちゃった」と、夜遅くにささやき鳥を通して「今から会いに行ってもいい?」と、賀茂無残は話しかけてきた。つまり、すずめに夜這いの許しを求めてきたのである。


 ここ石室御殿では、殿方の訪問は許されているが宿泊は禁じられている。


 妖火は男性の陽気を好んで強大化するとされている。そのため、巫女候補以下、厨の下働きから衛士まですべからくみな女性だ。


 石室御殿はそれゆえ当初男子禁制だったが、今から五百年ほど前にときの雲帝がときの火封じの巫女に恋をして彼女の元へ通うため、周囲の反対を押して強引に禁を変えた。


 そのとき二人は親子ほども年を離れており、巫女のほうが年上だった。ときの巫女は我が子ほどの青年に辱められた悲しみのあまり自害してしまったそうだ。


 亡き父宮によると、代々の雲帝にはときどき加虐性気質が強い悪辣な人物が現れるらしい。八雲国ができてから千五百年も経っているので中にはそういう人物もいておかしくはないとすずめは教えられた。


 そういう歴史の経緯もあり、男性は門限までは滞在していいことになっている。


 今現在帝や帝の許しを得た男子以外の立ち入りを禁じている後宮よりは、石室御殿は男女交際にはるかに寛容だが、門限を破ってもし朝まで男と同衾しているところを誰かに見つかったら最悪死罪だ。


 なんて大胆不敵なことを言ってくるのだろう、とすずめは呆れた。さすが悪役陰陽師である。


 彼の甘やかな声は、色気がしたたりつつ寂しさも漂わせ、聞く誰しもの哀れみを誘うようなものだった。


 すずめは一瞬胸がきゅんとしてしまったが、すぐにぶんぶん首を振って「それは困るわ、すごく困る」と断った。


 そしたら、ささやき鳥がまたやってきて、「じゃあ明日はどう?」としっとり濡れた甘い声でねだられ、押し切られてしまったのである。


――うまく誘惑してくるのよね。賀茂無残、なんて恐ろしい男なの。


 前世で大好きだった漫画のキャラクターのように、すずめは白目をむかざるをえなかった。


 実のところ、すずめに前世でも今回の人生でも男性との交際がなく、男性に免疫がないせいでちょろすぎるだけなのだが。


賀茂無残は、先代の火封じの巫女を手にかけただろう残酷な男である。すずめが彼と関わる限り、いつなんどき巫女候補のまひわに害を加えてくるかわからない。


 大切なかわいい主を守るために、彼女も昨日今日の急ごしらえで、悪役陰陽師を迎え撃つ準備はした。


――今にみてなさい、わたしを誘惑する気なんて、二度と起こさせないようにしてやるんだから。


胸の前でぎゅっと拳をにぎると、すずめは無残のささやき鳥に「いいわ。ちょうどさっきまひわ様の講義が終わったから。お庭の茶室へ来てちょうだい」と返した。


 獲物を油断させて誘い込むように、とても可愛らしい声で。

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