乙女ゲーのリアル

 一昨日の大雨などなかったかのように、太陽がかんかんと世を照らしている。

 

 庭の木々の葉っぱはしおれ気味で、部屋の前にある紫陽花の花はからっからに乾き、天然のドライフラワーになっている。


 今年の夏はやたら暑い。酷暑である。梅雨も雨は少しぐらいしかふらず日照りが続いているため、農作物が不作になるだろうと都の中では不安がすでに渦巻いている。


 火封じの巫女が代替わりするときは、えてしてそういう天候の不順や大地震などが起きやすいらしい。ゲームをプレイしているときには聞かなかった設定だ。


 先代の火封じの巫女が昨夏亡くなり、現在妖火は特別な術が施された仮の器に座している。


 仮の器が妖火の魔力に耐えられるのは、三年から五年までだ。だから、巫女候補の修練期間は三年と定められている。


 今日のすずめは、からっとして雲一つない空模様とは裏腹に、その気分は溶かした鉛にでもはめこまれたようにどんよりとして憂鬱だった。


 一昨日の夜は、どうにか賀茂無残のご機嫌を損ねることなく、世間の噂話によく聞くような男女の初顔合わせで終わった。


夫との間には、初夜らしいロマンチックな一夜のイベントはもちろん、さりとてむごたらしい血の惨事も幸い起きなかった。門限までずっと食べながら会話をして終わった。


 そして、今宵もまた彼はすずめの元へ渡ってくる。昨日そういう連絡がきたのだ。


 形では夫婦といっても初めて顔合わせしたのは一昨日なのだから、もう少し間をあけてくれてもいいところである。悪役陰陽師様は案外せっかちかもしれない。


 通ってくる男が気に入らないなら、物忌ものいみだ、急病だなんだと理由をつけて断ればいい話と言われればたしかにその通りで。


 そうしていたら、そのうち自分には気がないと察して、たとえ帝から褒賞として賜った妻とはいえど疎遠になるだろう。


 けれど、相手は桜雲京を滅ぼそうとしている悪役陰陽師だ。すずめが、もし通いの申し出をすげなく断ったら最後、激昂され腹いせに何をされるかわかったものではなかった。彼のご機嫌はすずめが仕えているまひわの安全にも関係してくる。


「すずめ先生、ご気分でもよろしくないのですか」


「あっ、いいえ、このところあまりにも暑くて、憂鬱に感じておりました。申し訳ございません、講義中にため息を吐いてしまって」


 一段高い上座に座るおすべらかしの少女へ、すずめは畳の上で両手を揃え頭を下げ恐縮して謝罪した。


 部屋の柱には冷風の呪符が何枚か貼られている。これは前世で言うなら扇風機程度の威力であって、この酷暑において部屋の中の蒸し暑さは緩和されるがなかなか冷えない。


おすべらかしの少女はまひわという。雲居宮という皇族の娘だ。すずめより十歳年下で、彼女こそ火封じの巫女候補だ。この乙女ゲームの本来の主人公でもある。


ゲームをプレイしていた当時は、プレイヤーが自由に主人公の名前をつけられ、その出自もあやふやだったが、すずめが転生したこの世界ではさすがに名前も家族構成も固定されていた。


 プレイしているとき、主人公のキャラクターデザインは、お雛様のようにとてもかわいらしくて、すずめや友達は遊びで彼女のイラストを描いたものだ。


 リアルのまひわは、小柄ながら背筋はすくっとのびて、見る者をはっとさせる輝きを放っている。まるで、池の畔で咲く大輪の白い蓮のようである。


 太めの弓なりの眉も塔に閉じ込められたお姫様を救う王子様のように凛々しい。乙女ゲーの主人公よりも、骨太ファンタジー小説の主人公といったほうがふさわしい。


「本当にめっきり暑いですね。これではなかなか集中できませんね。今日はもう講義は終わりにして、おやつにしませんか?」


まひわは漢字を書き取りしていた筆を止めると、茶目っ気たっぷりにすずめの顔を覗き込み、午後のおやつへ誘ってきた。


――んんん! かわいいぃぃぃ!


 思わず、袖の中でぎゅっと拳をにぎってしまう。


長いまつげに縁取られた大きな瞳に数秒でもみつめられたら、サボりのおねだりであれ、龍の巣から龍の玉をとってきて、なんて無茶きわまりないお願いであれ、なんでも言うことを聞いてしまいそうになる。


 年下の少女がお好みの男の人なら、きっと愛らしく美しい彼女にいちころだろう。


実際、歓迎の式典ですでにあまたの殿上人の心を射止めていて、お近づきになりたい文はひっきりなしに来ている。


しかし、まひわはひらがなはともかく、漢字をあまり読めないため、すずめが彼女に文が来るたびに読み上げている。


 まひわは、すずめ同様に雲帝の一族に連なる生まれだが、側室の娘だ。それゆえ正妻からは疎まれ、赤ん坊の頃から尼寺に預けられていた。そのせいで、巫女候補に選ばれるまで漢字がほとんど読めなかった。


 すずめは、彼女の身の回りの世話とともに、漢字の手習いと、雲帝はじめ殿上人たちと会話して恥ずかしくない最低限の教養を授けてほしいと、父の雲居宮から頼まれ彼女の女房として雇用されたのだ。そこは、学者だった亡き父と遺品の大量の本に感謝である。


――前世では、高校生だったけど、まさか今世では人に物を教える側になるなんていとをかし。なーんちゃって。


 すずめは小袖の袖に口元を隠し、こっそり笑みを忍ばせる。


 まひわのおねだり通り、すずめは予定の時間より早く授業を切り上げた。おやつを食べるため、墨や手習いに使った紙、文机をまひわといっしょに片付ける。


 まひわはしなくてもいいのに、とても気立てが良い少女で、必ず手習いの準備と片付けをするのだ。


 まひわが巫女候補に選ばれ石室御殿に入ってまもない頃、まひわの部屋の前に糞尿をまきちらかされる嫌がらせにあった。


 床の拭き掃除は、お付きの女房であるすずめや他の女房たちの仕事であるところ、まひわはすずめたちといっしょに拭いてくれたことだってある。


 こんな風にとてもいい子なのである、まひわは。彼女が火封じの巫女に選ばれようが選ばれまいが、まひわさえよければ、すずめは彼女の女房として一生支えたいとさえ思っていた。


――そのためにも賀茂無残にはなるべく早く離婚してもらわないとね。


 文机を部屋の端に片付けると、すずめはおやつを取りに厨へ行った。


 くの字に何度も曲がっている廊下を歩いていく。小袖が面倒に感じるときもあるが、前世でめったに着なかった着物よりも緋袴は歩きやすい。


 趣向を凝らした庭が、陽の光を白く照り返している。よく手入れされてはいるが、むしろ蒸し暑さを感じさせられ、すずめは視線を庭へは向けないようにした。


 妖火が鎮座し、すずめたちが暮らしている石室御殿は、いわゆる武家屋敷の作りをしている。それでいて、ゲームの世界観は悪役陰陽師がいることからもわかるように、日本の平安時代をモデルとしている。だから、この世界の住人は男女ともに平安時代調の装束を身につけていた。


 すずめも、今のように小袖と緋袴を普段着にしている。この猛暑のためさすがに薄手の小袖ではある。


 まひわについて宮中に参代するときなど、儀礼が重視される場においては、まひわとともに十二単を着る。


――でも。


 厨へ行けば、下女が重なった二人分の膳をすでに用意してくれていた。膳を受け取るついでに、今朝頼んでおいた品物も引き取ると、すずめは縦に重ねられた二つの膳の上の段に目をやった。


 今日のおやつは、なんとナタデココとパイナップルである。


 透明な器へ涼しげに盛られ、ミントの葉っぱが添えられ、ヨーグルトのソースらしきものまでかかっている。蜜麻呂からの差し入れだ。


彼女からの文によると、冒険好きで風来坊の兄が南方諸島まで行って桜雲京までわざわざ送ってくれたそうだ。無残との引合せは伯母がしたことだろうとはいえ、先日の彼女なりのお詫びなのかもしれない。


 ナタデココは、すずめの前世で一大ブームを起こしすっかり姿が消えてしまった南国のデザートだ。その懐かしのデザートとまさか転生先で再会するとは。


――このアイテム、プレイしているときは全然出てこなかったけど、この世界だったら存在していてもそんなに驚かないものね。


 蜜麻呂を通して以前あった従兄弟殿からの差し入れも、抹茶アイスクリームだった。


この乙女ゲー世界では、目が四つもある牛が放牧され、氷室や氷系の呪術、呪符が存在している。アイスクリームがまるで魔法のようにどこからともなく出現するわけではなく、存在する理屈はそれなりにある。


けれど、この和風の世界にはなんとコーヒーや紅茶まである。


 貧乏人のすずめにはなかなか手が出せない高級品ではあるものの、現代日本の嗜好品も、このゲームの世界のどこかで生産され、朝の芋粥から魔物の臓器や皮まで、何でも集まる都の市場まで運ばれているらしい。


 和風の世界観としてどうなの? と前世でプレイしてきたときから、すずめはテレビ画面へ突っ込んでいた。


 いっしょにプレイしていた同級生たちと「これは糞ゲーってやつかもね」という会話をしたのを覚えている。


 登場人物のキャラデザも、ゲームらしいといえばゲームらしいのだが、髪や瞳、肌の色、姿形もさまざまで特に統一感はない。


たとえば、まひわは黒瞳黒髪の美少女だが、すずめ自身の髪は炎のように赤く、瞳は淡い翡翠色だ。大水青の羽根の色のようねと母に言われたこともあるが、すずめ本人はそう褒められてもあまりうれしくはなかった。


 今世の両親の髪や瞳はこんな色ではなかったが、歴史書によれば、英雄八雲の妻である緋美古ひみこ様はそうだったらしく、おそらく先祖返りだろうと父からは教えられた。


 彼女が今生で生まれ持った色彩は、ゲームの主要キャラクターのように華やかであるにもかかわらず、口惜しいことに、顔立ちはモブキャラらしく地味であるから決して人の評判にはのぼらない。むしろ父譲りのにんにくのような鼻が彼女にとってはコンプレックスだ。


――目立ちたいわけじゃないけど、せっかくゲーム世界に転生したんだから、もう少しキラキラしていてもよかったんじゃないの? 


 と、毎朝長い髪を三つ編みに編みながら、鏡をみるたびに肩を少し落としている。


 この世界では、男性は烏帽子をかぶっていることが多いが、髪型はとくに定めはなく僧侶以外は自由でみな思い思いにしている。さすが、なんちゃって和風世界。


 火封じの巫女や巫女候補は、昔からおすべらかしが決まりだが、他の御殿に暮らす人たちの髪型にはとくに決まりはない。若い下女たちも、ポニーテールやツインテール、頭の上にお団子などいろいろだ。前世で通学していた女子高よりも、石室御殿の規律のほうがはるかにゆるい。


 後宮の妃や妃に使える女房たちは、平安時代のいわゆる垂れ髪である。なぜかそう決まっている。


 裕福な貴族や商人の娘の中には、顔よりも髪型に目がいってしまうほど派手に飾り立てる人もいるが、なんとこの石室御殿にはモヒカンの女衛士がいる。それも、ピンク色の派手な髪のモヒカンだ。


 ある女房仲間によると、この目立つ髪型の女衛士は、石室御殿の御殿長の遠縁だそうだ。去年の秋に採用されたらしい。


 だからか、御殿長に付き従って歩いている姿をよく見かける。化粧も素顔がわからないぐらい派手だから、遠目からもピンク色の孔雀が歩いているようですぐにわかる。もちろんこんなキャラクターは、ゲームプレイ中にはお目にかからなかった。


 糞ゲーと日本の女子高生たちに評されていたゲームの世界は、実際に中の人になると、もはやなんちゃって和風世界を通り越して、カオスといってもさしつかえないかもしれない。


自由奔放な様相をみせるリアルなゲーム世界は、すずめが前世で学んだ物理法則の知識も当然のごとく通用しない。


雲帝がしろしめす豊葦原の地のみだけでなく、この世界そのものは、雲・火・土・水・風という五行の要素の循環と均衡によって成り立っている――とされる。


 雲は雷を落とし火を生じさせ、火は灰を作り灰は土となり、土から水が流れ、水は風に変わり、風は雲を呼ぶという世界観だ。


 この五行の要素を操るのが、呪術という魔法のような存在だ。


 この世界では誰しもが霊力を持ち、その霊力を特殊な訓練で鍛え高めることによって呪術を使いこなせる、すなわち五行の要素を巧みに操れるようになれる。


 都の夜においては、夜な夜な妖魔や鬼が現れては運悪く彼らのそば近くを通りかかった人に悪さする。


 賀茂無残のように朝廷お抱えの陰陽師は、この呪術でもって桜雲京の中において人間に害する人ならざる者たちを退治している。


 当然、都の外にも得体のしれない魔物たちがはびこり、それは父の親友だった行者ぎょうじゃや魔物を主に獲物とする狩人たちが退治する。すずめは、ゲームプレイ中、都から遠方の山で魔物狩りイベントがあったのは覚えている。


 プレイ当時、ステータスを上げれば攻略キャラの好感度があがると思い込んで山の魔物をことごとく狩ってしまったが、そうはならなかった。後に攻略本を読んで知ったが、ステータスは上がってもキャラによってはどんびきしてしまって好感度が下がるのだそうだ。


 よりによって最推しのキャラは好感度の下がるキャラだった。とほほである。


 このように、前世とは全く違う『システム』によってこの世界は動いている。


この世界において、すずめの前世の知識が通用するものは、太陽や月の運行、星の位置やそのめぐりぐらいだ。そもそも幼い頃にペルセウス流星群をみて、彼女は前世のことを思い出した。


すずめは、前世の全てを記憶していない。前世で高校生だったことや家族や同級生たちの顔はうっすら覚えていても、なぜか名前はどうやっても思い出せない。まるで、何者かによってその記憶だけ脳みそから剥ぎ取られたかのようだ。


 肝心のゲームのプレイの内容も途中までで、推しのルートをクリアしたかどうかもわからない。


 どうして死んだかさえもわからない。すずめの前世の記憶は、高校の天文部の部活で天体観測に山へ行った日で終わってしまっている。


 ひょっとしたら、物語のように不慮の事故や重い病気で若くして亡くなってからこちらに来たわけではなく、百歳まで生をまっとうしてからこの世界に来たかもしれない。


すずめたちはおやつを食べ終え、まひわに送られた恋文の内容を、彼女の前で読みあげた。恋文の読み上げは、もはや二人の日課である。


「『まひわ様、内裏でお見かけしたときから、あなたの姿が心に焼き付いて離れません。その凍てつくような冷たい眼差し! まるで人間を虫けらのように心底見下している残酷無慈悲な女神のようです。その魂の奥まで冷え切った瞳を思い出すたびに、僕は池からうちあがった魚のように息もできなくなり体の芯もピクピクしてしまいます。まひわ様、あなたに私の乗馬用の鞭を差し上げます。どうか、それでひと思いに僕の頬をぶって、いいや頬だけじゃ足りません、あちこちたくさんぶって、ぶってください!』……これも燃やしましょうね」


「お願いします」


 まひわは、小袖を脱いで楽な格好で脇息にもたれかかって大きくあくびした。手元には都で流行っている絵物語がある。


 前世の世界でたとえるなら、さしずめジャージで家のソファで寝そべって漫画でも読んでいる女の子と変わらない。


 まひわは、火封じの巫女に選ばれただけで、ごく普通の女の子なのだ。たしかに彼女は女神のように麗しいが、どこをどうしたら残酷な女神に見えるのやら。


――きっと心が歪んでいる輩なんだわ。


 すずめは日差しの降り注ぐ庭先で炎の印を結んで呪文を唱えた。この暑さなら自然に燃えそうな気もしてしまうが、やはり火種が燃えないだろう。


 すずめは、火の呪文が得意だ。雲帝の血筋をひく娘は炎系の呪文が得意であることがなぜか多いらしい。


 燃える煙を見上げながら清々したと思っていると、若い下女が廊下を小走りにやってきた。


「まひわ様、近衛中将様がおみえになられましたが、いかがなさいますか?」


 その官位の名前を聞いただけで、すずめは心の臓がとくんと一度跳ねた。


「ああ、そういえば! 今日は道場であずま殿が薙刀の補習をしてくださるんでした。すっかり忘れていました」


 まひわは、ささっと着替えると弾んだ足取りで庭へ降りてきた。


「先生、行ってきますね。夕餉までしっかり励んできます」


 すずめが「行ってらっしゃい」というのを待たずに、少女は敷地内にある道場へ一目散に駆け出した。


 小さな草履が、水気のない乾いた土を軽やかに蹴っていく。


 あっという間に小さくなった後姿は、人間を忌み嫌っている冷徹な女神のはずはなく、まるで野原を跳び回る子鹿のようだ。


 山の中にある尼寺でずっと過ごしてきた少女は、机の前でじっと座って書き物をするよりも体を動かすのが大好きなのだ。


 すずめは若い主をほほえましい気持ちで見送ったあと、胸が切なくうずいた。


――皇海すかい様に稽古をつけてもらえるなんて本当に羨ましい。わたしもいっしょに薙刀術を習えたらいいのに。


 近衛中将こと東皇海あずますかいは、火封じの巫女候補に薙刀術と馬術の指導をしている。世間では『青陽君せいようくん』と名高い武人の彼こそ、すずめが前世で最推しだったキャラクターだ。今もそうだ。

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