撃退作戦そのニ
最初の撃退作戦『抹茶、実は青汁』は失敗してしまったが、まだ手札は残っている。
すずめは、無残とともに私室へ戻った。彼に座布団をすすめて座らせた。まひわが戻って来るだろう時刻までまだ時間はある。
一昨日、本来は蜜麻呂と交流するはずだった時間は、まひわに頼んで半日暇をもらったのだ。彼女は山寺育ちだから身支度を自分で整えられ、湯浴みも一人でできるからである。普段、すずめはまひわと食事もともにしている。食事の前には賀茂無残をしっぽ巻いて逃げ出させたいところである。
「従姉妹から、あなたは宮中の囲碁大会で近衛中将殿と引き分けた腕前だと聞いているわ」
このとき、囲碁のルールとして黒い碁石だったから無残の負けとなり、愛しの東皇海は大会で優勝を果たしたそうだ。
このエピソードも、蜜麻呂から教えてもらった。彼女は恋人の貴族のおかげで宮中の噂話に詳しいのだ。
皇海が公式ガイドブックのキャラ設定で囲碁大会に優勝したのをすずめは知っていたが、まさか悪役陰陽師と対戦したことがあるとは思わなかった。
あのゲームはこの世界のほんの一部を切り取ってみせてくれていただけのようだ。
「その通り、陰陽師は鬼や妖魔退治ばかりしているとみんなお思いだろうけれど、こうみえて盤上遊戯には強いんだよ」
無残は自分で強いと言ってのけた。大した自信家である。
「これから囲碁でもやるのかい?」
「わたしは囲碁の決まりはよくわからないから、これにしない?」
すずめは押入れから、格子状に黒い線が入った緑色の平たい版と薄い石の入った黒い箱を取り出した。
この押し入れは、どういう構造になっているのかふしぎと何でも入る。おかげで、父宮の遺品の大量の本もしまえている。まるで前世で有名だった青い猫型ロボットのお腹についているポケットのようだ。
「へえ、オセロか。久しぶりにいいね」
この世界にはナタデココやコーヒーがあるなら、オセロも存在している。
すずめは前世でオセロなら得意中の得意だった。小学校のときはとくに負け知らずだった。だから相手が悪役陰陽師であっても勝機はある。
昔取った杵柄ならぬ前世で取った杵柄である。
「オセロで五回勝負しましょう。負けたほうが勝ったほうのお願いを一つ叶えるというのはどうかしら?」
オセロに勝って離婚してほしいと告げるつもりである。 名付けて撃退作戦『オセロで離婚』である。
「ほう、それは面白い趣向だね。のったよ」
「でもオセロをするにあたって、一つ条件があるわ」
「どんな条件かな」
すずめは両手で細布をすっと差し出した。青く染まった木綿の細布だ。自分の手ぬぐいを元に作ったのである。
「目隠しをしてちょうだい。あなたは盤上遊戯がお得意だけど、わたしはそんなに得意じゃないからすぐに負けたらせっかくの勝負が面白くないでしょう」
もちろん嘘だ。極悪人相手にはどんな嘘をついても平気である。
得意のオセロでこてんぱんにのして悪役陰陽師のプライドを打ち砕いて離婚してやるつもりなのだ。
――この勝負、勝ったも同然ね。
すずめは、心の中で悪役令嬢のようにほぉっほほほほ! と高笑いしていた。
「いいだろう。妻殿は面白い人だね」
無残はふふと薄く笑った。
その微笑みからは色気がこぼれ落ちていた。すずめはその色気にあてられ頬が熱くなり、思わず袖で隠した。
彼がもし女だったら傾国の美女になっただろう。男女のどっちにしろ国を滅ぼす悪役である。
オセロでは、二人でそれぞれサイコロを振って奇数の目がでたら白、偶数の目がでたら黒になる。
すずめが黒、無残が白になった。
すずめは、目隠しをした無残相手に、オセロをどこに置いたか一手ごとに告げた。
無残は戸惑うかと思いきや、まるで何もかも見えているかのように、マスの上に迷いなくオセロを置いていく。
目隠ししていても自分からボードゲームに強いと言うだけあって、非常に手強い。すずめの黒をあっけなく白にひっくり返していく。
すずめも負けまいと、白を黒へひっくり返す。
――おかしいわ、顔色ひとつ変えない。
すずめは無残の座る座布団をちらっとみた。
にんにくの刺繍が縫い付けられた青い座布団であるが、実はこうみえて特別な座布団なのだ。以前、都の市場でみかけて健康増進とうたわれていたのと、にんにくの形が自分の鼻に似ていると思ってつい買ってしまったのである。
けれど座ってみたら、まるで鼻をかみすぎた子供のように鼻血がだらだら止まらなくなって、まったく使い物にならなかった。
だが捨てるのももったいないからずっととっておいたのだ。今回きっと撃退グッズとして活躍してくれるだろうと期待していたのだが――。
無残の形の良い鼻から一向に鼻血が溢れでそうな気配はない。むしろ涼し気で余裕すら感じる。
「――参りました」
すずめは頭を下げながら信じられなかった。まさか目隠ししている相手に得意のオセロで負けるとは。
「妻殿もなかなかの腕前だったよ。あまり得意じゃないなんて謙遜を通り越して嘘なんじゃない?」
無残は目隠しの布を外すと、さわやかな笑顔で声をかけてきた。
まなじりの垂れた瞳も、今にも鼻血が出そうで不快に耐えているようにはみえない。どうやら座布団の効果はまったくなかったらしい。
『オセロで離婚』も『鼻血だらだら座布団』作戦も失敗に終わったのだ。
すずめは無残の鋭い指摘にぎくりと肩が震えた。
「そっ、そんなことないわ。お父様の相手をよくしていたけれどいつも負けていたから。もしわたしがなかなかの腕前なら、きっとお父様が強かったのね」
すずめは顔を引きつらせながら返事をした。実のところ、今世の父親とは一度もオセロをやったことはない。
このオセロセットは伯母からもらったものだ。オセロが好きだとふとした拍子に言ったら、石室御殿に入る前にくれたのだ。それも使い古したものではなくまるっきりの新品だった。伯母によると、人からもらったが使わないからくれたそうだ。
ボードゲームに興味がない伯母にオセロセットを渡すなんて、変わった人もいるものだと思ったがありがたく頂戴したのである。
「今度は囲碁をしよう。やり方を教えてあげるよ」
「気持ちは嬉しいけど、忙しいあなたの手を煩わせるわけにはいかないわ」
――今度なんてあったら、そんなの困るわよ。
「そう遠慮しないで。表の仕事は影に任せているから、妻殿のためならいつでも時間は作れるよ」
「影?」
「ふふ、こちらの話だ。ところで勝ったら、僕のお願いを一つ叶えてくれるんだよね?」
――そうだった、賭けのことをすっかり忘れていた。
自分で仕掛けた罠に自分ではまってしまった。
すずめが全身からさあっと血の気がひいたのは言うまでもない。
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