悪役陰陽師

 空では暗雲が立ち込み、雨が滝のように庭へ降り注いでいる。久しぶりの恵みの雨だが、巨大な岩が落ちてきそうな轟音が辺りに鳴り響いていた。


すずめは部屋の縁側で頬を大きく引きつらせ、体を強張らせた。


 男が一人、花盛りをすぎた紫陽花のそばで漆黒の傘をさして立っていたのだ。その人物がよりによってこの世界の悪役だったからだ。


 降りしきる雨の闇が彼の姿を隠していたが、白い稲光がはっきりと彼の姿を浮かび上がらせた。


 間違いない。能面のようにはりついた微笑みも、闇に溶け込んだような漆黒の狩衣も、ゲームスチルや攻略本で何度もみた悪役だった。彼こそはこの桜雲京で極悪非道の限りを尽くす残虐無慈悲な悪役陰陽師だ。


 名前は賀茂無残。


 名前からして、すでに「私は残忍な悪役です」と自己紹介してくれている親切設定である。


 そして、何を隠そう、すずめの夫である。この春の終わりに帝の命により形だけ婚姻してからこれまで一度も会ったことがなかった。詳しく言えば、すずめが彼と会わないように徹底的に避けていた。


 本日すずめは、勤めている石室御殿いしむろごてんの私室へ、仲の良い従姉妹の蜜麻呂を迎えいれる予定だった。それが雷が鳴っているから日を改めようと思い、彼女へ文を送ろうと縁側へ出た。


 そしたら、彼が紫陽花のそばに幽鬼のように立っていたのだ。


 そんな立派な不審者ににこりと笑いかけられるはずはなく、すずめは思わず悲鳴をあげてしまった。そして悲鳴をあげた直後、彼がこの世界の悪役で、そして春の終わりに帝から定められた自分の夫であると気付いたのである。


 男の闇夜のように漆黒の狩衣は、傘をさしているとはいえ不自然なぐらい少しも雨に濡れていない。


 まるで何か秘術でも使い、すずめが縁側に立った瞬間をみはからって庭にぬっと現れたかのようだ。


 「宮様、やっとお目にかかれましたね。賀茂無残です。あなたの夫です。今日はお招きくださり、ありがとうございます」


 やや甲高い柔らかな声には、まるで一夜の情けを乞うような甘い響きがこめられていた。


 その一言で、すずめは実の伯母に謀られたと気付いた。従姉妹の蜜麻呂がこんな騙し討ちのようなことをするはずがないと思ったからだ。


 賀茂無残と夫婦になるよう帝に命じられてから、彼からずっと文や贈り物を定期的にもらってはいたが、すずめはずっと無視していた。なぜなら彼は、悪役陰陽師だからだ。


 誰しもが賀茂無残の優しげな声や穏やかな物腰に警戒心を解いてしまうだろうが、その正体、つまりゲームの設定を知っていると、子羊を罠に誘い込もうと舌なめずりしている狼のようである。すずめはおぞましさのあまり震えあがりそうになる。


――でも、もしここでつれなく拒んでしまったら、何をされるかわかったものじゃないわ。


 すずめも多少は呪術の心得はあるが、相手は極悪であり稀代の陰陽師でもある。


 子供の頃、父の親友の行者に護身用程度に呪術を教えてもらったが、そんな初歩レベルの呪術など、凄腕陰陽師の彼の前ではまるで歯が立たないだろう。


 何の力もない女が、極悪卑劣な陰陽師の訪い《おとない》を拒めるわけがなかった。


 

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