07 全部壊したら
『あの、すみません。千兄さんは……』
『ごめんね、綾世くん』
千さんが帰ってこなくなってから2週間、綾世先輩は毎日のようにその姿を探し回っていた。だけど、誰に聞いても不自然な笑顔ではぐらかされるだけ。千さんに何かが起こったことは明白、ただ、それが何かが分からない。
過去の先輩は、異能省内にある千さんと暮らしていた部屋へと戻る。ベッドに倒れ込み、どうしようもない感情を殺すようにクッションで顔を覆った。
しばらくそうしてから、突然ぱっと顔を上げる。綾世先輩は人目を忍ぶように、こっそりと部屋を出た。
「直接聞いても教えてくれないんだったら、誰かが話しているところを盗み聞きするまで……。我ながら安易で素直じゃないことを考えたと思うよ」
半透明な綾世先輩は、過去の自分自身を見て悲しく笑った。
過去の先輩はなるべく足音を立てないようにしながら、特異局の人たちの溜まり場となっているコーヒーメーカーがある場所へと向かう。偶然か必然か、そこには千さんの部下2人がコーヒー片手に沈んだ声で話していた。綾世先輩は会話の内容がぎりぎり聞こえる遠さの物陰に身を隠す。
『残念、だな……』
『まさか、ああなるなんてな……』
ぼんやりと揺れるコーヒーを見ていた1人が、くしゃりと顔を歪ませる。
『誰だよ、兼光先輩に冤罪なんてかけたやつ』
『異能者嫌いで有名な国の議員だろ……』
『知ってる、分かってるんだ……オレたちがどうしたって何も変わらないことは』
どくんどくんと心臓が嫌な音を立てる。震える手にじわりと嫌な汗をかく。過去の綾世先輩はその場で目を見開いたまま固まっていた。
『……綾世くんにはどう伝える?』
『あの子、兼光先輩に懐いてたもんな、「千兄さん」って……だから、だからこそ絶対に言えないよ』
後悔と涙を浮かべて、その男性は呟いた。
『——……兼光先輩が、亡くなっただなんて』
理解が、できなかった。……亡くなった? 亡くなったって、この世から消えたっていうこと? ……そんなことがあってはいけない。許されてはいけない。信じてはいけない。……信じたくない。
まだ、直接、私を救ってくれてありがとうと言えていない。どこかにいてくれたら、駆けつけてでも感謝の言葉を伝えるのに。それが、私が今までのうのうと生きてきた間に叶わないものとなっていたなんて。どうして、……どうして。
過去の先輩は2人に気づかれないよう、そっとその場を後にした。
「異能者冤罪死亡事件」
「……ぇ?」
「寮のラウンジで、一緒に課題の解き方を考えたよね」
異能者冤罪死亡事件——連続殺人事件の犯人だと冤罪をかけられた異能省の役人が、逮捕、そして拷問に近いようなことをされた末、亡くなってしまったという事件のこと。つい先日、布目先生の異能史の授業で学んだばかりのものだ。
どうして今そんな話に……。
「……もしかして、この事件の被害者って」
「うん、……千兄さんのことだよ。異能省所属特殊異能事件対策局、兼光千。人の感覚や感情をすり替えるという異能を持つ、貴重な黒の異能者。……異能者を嫌うこの世界はね、ひとりの権力者のために、ひとりの罪のない異能者を殺したんだ」
半透明な先輩は、淡々と事実を述べるように笑った。その表情に、怒りや憎悪なんてものは見えない。あるのはただ、深い悲しみだけ。
私の方を見て微笑んだ後、再び部屋に戻った過去の自身に視線を向ける。がちゃんと扉が乱暴に閉まる音がした。
『亡くなった? 死んだ? いなくなった?』
綾世先輩はずるずるとその場に座り込む。
『もう、会えないの? 千、兄さん……』
その声に言葉を返す人は誰もいない。無音の音が耳に刺さる。
『嘘だ。嘘だよ……ねぇ、嘘、だよね? ……早く、帰ってきてよ。ゆきにぃさん……』
震える声で、消え入りそうな言葉を吐いた。その目から涙は溢れない。
『……誰が、殺したの』
数秒までの絶望をかき消すように唸る。
『……あぁ、なんだ、人間か。この異能者を嫌う世界か』
先輩は吐き捨てるように呟いて、綺麗な笑顔を浮かべた。怒りも、悲しみも、苦しみも……何の感情も見えてこない、完璧な笑顔だ。
『こんな世界、壊した方がいいよね』
綾世先輩は何でもないことのように、いつものように笑って言った。
『全部全部壊したら、俺も千兄さんたちのところに……っ、……ダメだ。俺は、生きないと。幸せにならないと』
先輩のお父さんが言っていた。強く生きなさい、誰かに誇れる生き方をしなさい、……幸せになってね、と。それを思い出したのか、綾世先輩は両手で頭を抱える。
『俺は……どうしたらいい? どうしたら、幸せになれる?』
自問自答をするようにぽつりぽつりと言葉を出す。
『…………異能者が嫌われなくなったら、異能者が好かれる世界になったら……幸せになれる、かな。でも、どうやって?』
数秒の逡巡の後、先輩ははっと前を向いた。
『あの子の異能……どんな奇跡でも起こせる。方波見陽翠、この子なら、……きっと』
どす黒いもので塗りつぶされていた瞳に、光が戻る。そして余裕のある風に、何を考えているのか分からない風に笑った。
その姿はもう、私がよく知っている綾世先輩だった。
「自分勝手だよね、俺。会ったこともない陽翠の異能を使って、自分のためだけの目的を叶えようとしているんだから」
正直、そう考えるのも無理はないと思ってしまった。綾世先輩はそれだけの傷を、それだけの痛みを背負っているんだから。……だからこそ、かけるべき言葉が見つからない。
「……ごめんね、陽翠」
その言葉が聞こえたと同時に、世界が暗転する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます