Chapter 5
18 次はきみの番
次の日の朝、学校中の雰囲気はぴりぴりとしていた。
言いようのない不安を紛らわすように、左隣の汐梨ちゃんと他愛もない話をする。朝ごはんに苦手なたけのこが出たとか、今日は雲ひとつない晴れだとか、そういうものだ。
チャイムが鳴って、「おはよー」と教室に入ってきた布目先生ですら、緊張感を漂わせていた。先生はいつものように飄々とした風を装って出欠を取る。
「——よーし、30人全員いるなー?」
その言葉に返事をする人は誰もいなかった。いつもなら真っ先に反応を返す汐梨ちゃんも今日ばかりは押し黙っている。
教壇の上の先生はそれに苦笑した後、「やっぱり気になるよな」と話し始めた。
「昨日の昼休みに起こった騒ぎは知ってるか? それがこのお堅い雰囲気の原因だ。……あれは異能の暴走ではなく、自傷事件だ」
さっと笑顔を隠して、布目先生はクラスに緊張を走らせる。事件という部分を強調させて言ったということは、何かそこにからくりがあるの……? 言ってはなんだけど、ただの自傷というだけでここまで騒ぎにはならないはず。
「事故ではなく事件、そう言ったら伝わるか? 被害に遭った生徒は突然『自分を傷つけなくてはならない』衝動に襲われたらしい。自傷をするつもりはなければ、したいと思ったことすらない生徒が、だ。学校側はこれを事件だと認識している」
事件だというのなら、犯人がいるということ。誰が、そんなことを……。
ぞくっと背筋に寒気が走り、口の中にねっとりとしたキャラメルみたいな甘さが通る。まるで、誰かにじっと見張られているかのような気配を感じた。今、こうして考えていることすら筒抜けなんじゃないか。そう思ってしまうほどのもの。
——狙われている。
これが自意識過剰で済んだならどれほど良いのか。どこかからひしひしと感じる気配が怖くて怖くてたまらない。じっとりと嫌な汗をかいた手は冷たくなって、小刻みに震えている。
「……ねぇ、方波見さんの異能ってさ」
「ちょっ、何言ってんの」
「でも思わない?」
「それは……否定できないけど」
ふと聞こえてきたそんな言葉と、不躾のない複数の訝しげなものを見る目。左斜め前の席の男子は口元を引き結んでこちらに視線を投げてくる。汐梨ちゃんのさらに左隣の席の子は、私の視線から逃げるようにして気付けば私を見ている。中には明確に睨まれていると分かるようなものもあった。
……私が痛みを代償にすればどんなことでも起こせる異能を持っているから? そもそも私の異能を知らないから?
どうして、疑われないといけないの。私は何もやってないし何も知らない。でも、これを言ったとしても誰も信じてくれないかな。……私は、黒の異能者だから。
突然、ぱんと手を叩く音が聞こえた。教壇の上に注目が集まる。先生は真っ直ぐと一人一人を見遣った。
「お前たち、自分が言った言葉に責任持てるか? 周りが言ってるからとか、理由にもならない理由を免罪符にしてないか? ……何を言っても信じてもらえない。異能者ってだけで指を差される。全員、これに覚えはあるだろ?」
何人かのはっと息を呑む気配がした。
たぶん、布目先生は私のためだけに言っているわけじゃない。みんなに向かって、人の振り見て我が振り直せと言っている。それはみんなのためでもあるし、私に反感が向かわないようにするため。
……本当に、布目先生ってこういうところが信頼できる。いつも、何事もないように救ってくれるんだから。……ありがとうございます。
「そういうわけだから、犯人探しはオレたちに任せておいてくれ」
布目先生はみんなを安心させるように、にかっと笑顔を振りまいた。
***
ノートにシャーペンを滑らせる音、マーカーペンのキャップを外す音、赤ペンのノック音……。1日の授業とホームルームが終わってすぐの時間、寮内のラウンジにいるのは綾世先輩と私だけ。課題を片付けたり、予習と復習をしたりと、勉強をする音がやけに大きく聞こえる。
20XX年10月に起きた異能者
ついこの間学んだばかりの事件に関する課題だ。連続殺人事件の犯人だと冤罪をかけられた異能省の役人が、逮捕、そして拷問に近いようなことをされた末、亡くなってしまったという事件。
私が中学1年生だった当時、その異能者が世間を騒がせた事件の犯人として捕まったと報道された直後は、本当に最悪だった。今よりもずっと酷い異能者の扱いや偏見、外を歩けば何色の異能者でも問答無用で罵詈雑言を浴びさせられていた。
だが、それが冤罪だと分かった瞬間、世間はぐるりと態度を変える。「やっぱりあの異能者は犯人じゃなかった」「わたしは信じていた」「悪いのは真犯人だ」と。
本当に、よくそんなことが言えるなと思った。あなたたちが犯人だと指を差していたのを知っている。どうして今更庇うのか。信じていたのならどうして以前からそう言わなかったのか、と。
だがその影響か、少しだけ異能者に対する人間たちの態度が軟化したのを覚えている。
「——陽翠、手が止まってる。何か分からないところでもあった? よかったら一緒に考えるよ」
「……お願い、してもいいですか? この課題なんですけど」
そう示すと、綾世先輩はほんの一瞬動きを止めた。何を考えているのか分からない笑顔は崩れて、悲しみと怒りのようなものがちらちらと顔を出している。その手に持つシャーペンがぎしりと不安な音を立てた。
「……綾世先輩?」
「っ! ああ、ごめん。これ、難しいね。やるべき国の対応なんていくらでも考えつくし、でも、現実的にその対応はできない。しかも200文字程度でしょ? ……なかなかに難題だね」
「やっぱりそうですよね。異能者の取り調べに関する法令の整備から、国民の異能者に対する意識の改革まで。どれを取ればいいのか悩んでいて……」
「じゃあ一緒に考えようか」
そう言った綾世先輩からは、深い悲しみと思い通りにならないものに対する憤りを感じる。もうとっくにいつもの笑みを浮かべているのに、その気配は消えない。
どうにかして、先輩の心を少しでも軽くしたい。でも、私にはどうすることもできない。今は何も気づいていないフリをするのが精一杯だ。
そうこうしているうちに、寮の外からざわざわとした気配が近づいてくる。今日の勉強会はここまで、かな。今朝クラスで向けられたような視線を浴びたまま、勉強に集中できるほど肝は据わっていない。
「そろそろ終わろうか」
「そうですね。……課題、おかげさまで指針が見えてきました。ありがとうございます」
「どういたしまして。あと少し、頑張ってね」
部屋に帰った直後、廊下の方が騒がしくなった。耳を澄ませて聞こえてきた「事件の新たな被害者が出た」という言葉に、心臓がどくんと嫌な音を立てる。その被害者は、私がついさっきまで座っていたラウンジの席で自傷をしたらしい。
——……次は、私の番だ。
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