12 紫の下

「言うなよ、法月」


 布目先生のその固い声にも動じず、綾世先輩は何を考えているのかが分からない風に笑っている。一人はあやすように私の肩を叩きながら、一人は絶対にダメだと言わんばかりに首を振って、数往復のアイコンタクトを取っていた。


 ちらちらとこちらに視線を感じるってことは、私が関係する何か、だったりしますか……? なら、遠慮なんてせずに教えてほしい。汐梨ちゃんのためならなんだってやる。


「教えてください。どんな案なんですか? 案は案ですから、実際にやるとは決まってないですよね? なら教えても問題ないと思いますが?」

「だが……」

「僕からも、お願いします。十川汐梨は僕のペアですから。……その、早く『見つけ』てやりたいんです」


 言い方、少し卑怯だったかな……いや、なんだってやるって決めたばかりだ。静観していた宇治先輩も一緒に頭を下げてくれる。それでもなかなか頷いてくれない先生に、綾世先輩は言葉をかけた。


「もう教えた方がいいですよ」

「……っ、そう、だな」


 内心ガッツポーズをしている私とは裏腹に、布目先生は苦い顔をして話し出した。


「おそらくだが、方波見の異能を使えば十川を『見つけ』られる」


 私の、異能……。そうだ、そうだよ。なんでこんな簡単な案を思いつかなかったんだろう。私の異能は「自身に受けた傷」の痛さによって摩訶不思議な現象が起こせるというもの。痛みを対価にしたらほぼなんでもできてしまう気味の悪い異能だけど、今はそれで汐梨ちゃんを助けられる。ちょっと痛みを我慢するだけで簡単に。


 こんなにも自分の異能に感謝したのは初めてかもしれない。


 今すぐやるのが一番いいけど、それは少しまずいかもしれない。外から他の人たちが帰ってくる声と気配がする。ラウンジの時計は部活の終了時間を過ぎていた。今がダメなら後にやるしかない。


「汐梨ちゃん、今日の夜9時、1年A組に来て。その時に必ず『見つけ』るから。それでいいですよね、布目先生?」

「……決して良くはないな。だが……よし、分かった。学校の方はなんとかしておくから、その時間に1年の校舎の昇降口集合だ。気をつけてこいよ」


 こうなっては止められないと判断したのか、布目先生は片手で顔を覆って項垂れながらもそう言ってくれた。……止められないの、大正解です。もし止められたら一人でも行っていた。


 今更かもだけど、綾世先輩たちはどうするんだろう……? 二人に視線を向けるとこんな会話が聞こえてくる。


「響はどうするの? 行くの?」

「当たり前だろう。お前こそどうするんだ、綾世?」

「俺? 当然行くよ。そういうわけだからよろしくね」

「お前によろしくされる謂れはない」


 先輩方、結構仲良いんだ。正直、意外な組み合わせかも。綾世先輩は基本的に何を考えているのかが分かりにくい上に揶揄ってくる人で、逆に、宇治先輩は曲がっていることを嫌いそうな真面目な人。揶揄われるのなんてもってのほか、そんなイメージだ。


 ……でも、そっか。二人とも来てくれるんだ。不思議な安心感がある。


***


 ごろごろと不機嫌を訴える闇色の空と、不気味なほどに静まり返った校舎。スマホの時計は20時55分を示していた。丑三つ時には随分と早いはずだけど、すでに何かが出てきそうな雰囲気が漂っている。


 カッターナイフをポケットに忍ばせ、他の人たちに見られないようこっそりと寮を出て、布目先生に指定された昇降口までやって来た。……はいいけど、正直一人だとちょっと怖い。


 普段なら怖くないどころか、とても快適だと思っているのに、明かりが消えて人がいない夜というだけで、途端に怖くなる。学校を肝試しの場所に使う理由が分かってしまったかもしれない。


 綾世先輩、布目先生、宇治先輩、どなたか早く来てください……!


 近づいてきたひとつの足音におそるおそる振り返ると、いつもの制服ではないズボンとシャツ、パーカーを羽織った綾世先輩がいた。


「こんばんは。一人で先に来ちゃったの?」

「……あ」


 そうだ、綾世先輩とペア行動厳守って言われていた。1週間以上ペア行動していたのに、すっかり抜けていた。汐梨ちゃんを見つけるということに全神経を向けてしまった結果かもしれない。布目先生にバレたら絶対怒られるやつだ。……それも、綾世先輩と一緒に。私だけならまだしも先輩を巻き込んでしまうのは良くない。


「すみません……」

「次からは気をつけようね。今回のは俺と陽翠だけの秘密ということで」


 弧を描いた口の前に人差し指を立てて内緒だよのポーズをした先輩は、どこか寂しげだった。


 しばらく二人で天気の話や夜ご飯の話をしていると、布目先生と宇治先輩が揃ってやってきた。今度は足音が聞こえてもびくびくなんてしない。いつの間にか夜の学校はそこまで怖くなくなっていた。二人とも昼間とは違うラフな格好をしている。


「お前たち来るの早いなー?」

「気合いが入ってますから。ね、陽翠?」

「その通りです……!」


 一人で来てしまったのは綾世先輩とだけの秘密、布目先生に誤魔化すためにもより一層気合いを入れる。胸の前でガッツポーズをしてみせると、会話には入ってこなかった宇治先輩から小さく笑われてしまった。


「それじゃあ、行くか」


 上履きに履き替え、懐中電灯を持った布目先生についていく。先生と宇治先輩で1つ、綾世先輩と私で1つの懐中電灯を使うようだ。


 床が軋むわけでもなければ、上から虫が落ちてくるわけでもない、手元の灯りだけが頼りの夜の校舎。聞こえるのは自分たちの足音と息づかいだけ。どこかへ行っていた怖さがじわりじわりと戻ってくる。


 隣に綾世先輩がいてくれる私ですら結構怖いのに、汐梨ちゃんは大丈夫かな……。早く『見つけ』ないと。


 少し歪んだ列になって並ぶ椅子と机、チョークの跡が綺麗に消されている黒板、後ろの壁に並ぶプリントたち……。静かに眠っている1年A組の教室に入り、早速異能を使おうとカッターナイフをポケットから取り出す……のを布目先生から止められた。


「異能を使うのは少し待ってくれ。一つ試したいことがある」

「……分かりました」


 もはやチャームポイントと化している紫色の目隠しを、先生はそっと外した。その下にあったのは、無意識に想像していたものよりもはっきり大きめな金色に光る瞳。癖っ毛と同じ色に光るそれには、汐梨ちゃんを見つけるんだという強い意志が見えた。私は、ポケットの中で握っていたカッターナイフをそっと離した。


 今のタイミングで目隠しを取るってことは、もしかして……。


「そういえば、今年の1年の前で目隠しを外したのは初めてだったな。予想しているだろうが、オレの異能は探知系だ。厳密に言うと、対象が存在した痕跡とか、対象同士の縁が見えるってやつなんだが。……これで見つけられたら御の字だな」


 痕跡と縁が見える上でのその目隠し……もしかしなくても、制御できない類の異能だろう。見えすぎるのを防ぐために基本的に目隠しをつけていると考えると、パズルのピースがぴったりとはまる。


 布目先生は一度、瞼を閉じてからまた開いて、教室をじっと見回した。かなり強い異能を使っているのがすぐに分かる。先生の瞳は先ほどまでとは比べ物にならないくらいに眩しくて、薄暗い教室に映えて見える。


 綺麗……だけど、怖い。お馴染みの布目先生のはずなのに、得体の知れない強大な何かを見ているみたいだ。……私も異能を使う時はこんな風になってるのかな。気付いた時には息を止めて、じっと見入っていた。


 先生はふと視線を止めて、ある一点に目を凝らす。その先には綾世先輩がいた。先生? 先輩? どうしたんですか……?


「法月お前……、消える前の十川と何か話したか? 十川の痕跡と縁が一番新しく繋がってるぞ?」


 懐中電灯を下に向けている綾世先輩の表情は何も見えない。それって一体どういうことですか……?

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