第21話 「選ばれた理由」

 生徒会室の奥、普段は使われない物置スペースに、静かな沈黙が漂っていた。


「……卯月先輩に、俺が料理を、ですか?」

「はい。どうか、教えて頂けないでしょうか」


 唐突すぎる申し出に、思わず聞き返してしまった。

 まさか、あの生徒会長からこんなことを頼まれるなんて。言葉がうまく出てこない。


「えっと……その、どうして俺に?」


 疑問というより、戸惑いに近かった。俺じゃなくても、もっと適任な人がいるはずだ。


「昨日も言いましたが、私……料理が、に下手なんです」


「……絶望的に、ですか」


 あの卯月先輩が、それだけ自分を落とすような言い方をするなんて。一体、どれだけのレベルなのか、俺には想像ができない。


「今から証拠を、お見せします」


 そう言って、先輩はスマホを取り出した。


「これは……」


 画面に映し出されたのは、ベチャッとした白米に、溶き卵のような黄色い塊が点在している写真だった。

 焦げのような黒いものも混じっていて、見た目のインパクトはかなりのものだ。


「……うーん。卵炒飯、ですか?」


 恐る恐る様子を窺いながら、思った料理を口にする。


「……っ!」


 その瞬間、先輩はビクリと肩を震わせ、目を逸らした。あれ?違ったのか?


「…………」

「…………」

「……いす、です」

「え?」


 長い沈黙の後、微かな声が静寂を破る。


「オ、オムライスを……作ったつもり、です……!」


 俯いたまま、頬をぷくっと膨らませる先輩。恥ずかしさと怒りが混ざったような顔が、妙に可愛かった。


「ご、ごめんなさい!」


 しかし、すぐに申し訳ない気持ちが押し寄せてきて耐えきれず頭を下げた。


「確かに言われてみれば、オムライスですね!これは正しく完璧なオムライスですっ!」


 本当は、炒飯としか思えなかったけど、ここは全力で肯定するしかない。

 だって、先輩、すごく傷ついてる顔してるもんな。


「いえ、いいんです。自分が料理下手なのは……もう、自分で分かってます」


 そう言いながらも、先輩の視線はずっと逸れたまま。

 それでも、ちょっと怒った顔も、やっぱり可愛いなと思ってしまったのは内緒の話である。


「ちなみに、味の方はどうだったんですか?」

「……炒飯に、近かったです」

「…………」


 やっぱり炒飯じゃないですか。と、思いはしたものの口には出さない。とにかく、それ以上は何も聞かないことにした。

 先輩はスマホをしまい、真剣な表情で話し始める。


「実は……ずっと、料理を教えてくれる人を探していたんです」

「先輩の友達とかには、料理できる人いないんですか?」

「それはつまり……綾瀬くんは、私に教えるのは嫌ってことですか……?」


 しゅん、と肩を落とす先輩。


「ち、違います!そうじゃなくて!その、先輩は俺と違って、みんなの憧れの存在だから……もっと年の近い女子とかの方が自然かなって思っただけで……!」


 必死で弁解する。俺の言い方がまずかった。誤解させらような事を発言してしまった。


「綾瀬くんは、普段の私って、どう見えてますか?」

「えっと……普段ですか?」


 話の意図を汲み取れないまま、自分の意見を伝える。


「それはもちろん。勉強も運動もできて、誰からも頼られる、生徒会長として完璧な先輩……そんな感じです」


 先輩は微笑んだ。でも、その笑顔はどこか寂しそう。


「そう……ですよね。私も、それを自覚してました。だから、言えなかったんです。本当の自分を知られたら、期待を裏切ってしまいそうで」


 期待、その言葉を聞いて俺はハッとした。


「……きっと、私には ″本当の友達″ って、いないんだと思います」


 その言葉に、胸がチクリと痛んだ。

 完璧に見える人ほど、完璧であろうと苦しんでる。そんなの、考えたこともなかった。


「すみません……俺、何も知らなくて……」


 自然と謝っていた。

 すると先輩は、ゆっくりと首を横に振る。


「私は “生徒会長” である以上に、皆の模範でいなければいけません」

「卯月先輩……」

「だからこそ、昨日のことも、料理のことも……誰にも知られたくなかった」

「でも、今俺には話してくれましたよね。どうしてですか?」

「……その、綾瀬くんには良いかもしれないと思って」


 目を伏せて、少し頬を染めながら言う。


「俺ならって……どういうこと、ですか?」

「綾瀬くんには、素の……本当の私をもう見られてますから」


 空腹で限界だったあの時、少し気が緩んで起こしてしまった昨日の出来事。

 それがきっかけで、俺に……。


「あの、聞きたいことがあるんですけど」

「はい、どうぞ」

「料理ができるようになりたいと思ったのって、いつ頃からなんですか?」

「生徒会長になった……半年前くらいから、です」

「そんなに前から? 料理教室とか行かなかったんですか?」

「学生で通う人って少ないし、できれば……気心の知れた人に教わりたくて」

「……なるほど、それで頼める人がいなかったんですね」

「はい。……話した通り、“素の私”を知ってる人が、いなかったので」


 誰にも見せられない弱さを、今この瞬間、俺にだけ見せてくれている。

 たとえきっかけが偶然だとしても、それは間違いなく、信頼の証だ。


「こんなお願い、誰にもできなくて……でも、昨日のことで、綾瀬くんなら……って」

「つまり、昨日の“オフの先輩”を見てしまった俺だから、適任ってことですか?」

「その通り、です。……それに、綾瀬くんは優しくて、頼りになると思ったので」

「っ……」


 うるんだ瞳で、真正面から見つめられる。

 そんな顔、ずるいだろ。


「綾瀬くんの料理、本当に美味しかったです。……最後の決め手は、それ、です」


 その瞳に映る自分を、裏切りたくないと思った。

 たとえ都合の良い相手に思われたとしても、構わない。

 いや、違う。俺自身が、卯月先輩の力になりたいんだ。


 俺は、ゆっくりと口を開いた。


「分かりました。俺でよければ、全力で教えます。先輩の料理、俺が何とかしてみせます!」


 その瞬間、先輩の顔が、ぱっと花が咲いたように明るくなった。

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