第二章 ロボ子さん益荒男事件

第9話 お弁当なに食べる?

 今日の出汁巻き卵は完璧ではないだろうか。

 お弁当箱の高さギリギリの大きな卵焼き。

 ちょっとフタに押されて凹みができている。

 ふっくらとしているがずっしりと重い。


 先日挑戦した出汁多めで少し片栗粉を入れた京風の出汁巻き卵も美味しかった。

 けれどロボ子さんは今回のお寿司屋さん風卵焼きの方が好みだ。

 味は甘めで出汁は濃い目。

 海老のすり身を混ぜ込み旨味を閉じ込めた一品 。

 出来立てで食べればどちらに軍配が上がるかわからない。

 けれどお弁当のおかずとして食べるのであれば、京風よりもお寿司屋さん風がオススメです。


 学校が始まってからロボ子は毎日お弁当を作っている。

 コーヨー先輩も含めて二人分。

 量をロボ子さん基準で換算すると三人分以上となる。

 年頃の男性で背の高いコーヨー先輩とコメダワラーになれない少食なロボ子さんでは、食べる量に二倍以上の差があるのだ。


 ただロボ子さんの中でお弁当といえば、仕出しに出てくるような幕の内弁当だった。

 好きな食べ物トップテンの中に、お弁当の出汁巻き卵としっとりとした焼魚がランクインする。

 古風な趣味をしている自覚はある。


 せっかくお弁当を作るのであれば、好きな具材を極めたい。

 そんな思いつきから色々と試行錯誤を始めてしまった。

 この辺りは海が近い。

 良質で種類豊富な海産物が安く手に入るので、ついつい調子に乗ってしまっている。


 もちろん焼き魚の作り方にもこだわりがある。

 最近はAIに聞くと、本格的な料亭の作り方みたいレシピも教えてくれる。

 卵焼きだけでも何種類も出てくるし、仕出し弁当用の焼き魚の作り方を教えてくれた。


 丁寧に骨と臭みを取った魚の切り身。

 下処理を済ませたらお酒と塩を振り、昆布で巻いて半日冷蔵庫で寝かせている。

 それを朝に魚焼きグリルで蒸し焼きにしている。

 気をつけるのは焼きすぎないこと。

 水分を飛ばしすぎると身がパサパサになって美味しくない。


 ちゃんと下処理して適切に蒸し焼きにすると、身が柔らかく、しっとりとしていて美味しいのだ。

 魚の種類も変えているので飽きもこない。

 ロボ子さんとして大満足のお弁当だ。

 今度、白味噌を購入して西京焼きに挑戦してみるのもいいかもしれない。


 ただ懸念材料もある。

 ご飯に炒り卵と甘辛のタレで煮た鶏そぼろをかけている。

 付け合わせにアスパラベーコンと市販のミートボールやウインナーも付けることが多い。

 タンパク質はちゃんと補っているはずだ。


 けれど佐久間先輩は年頃の男子高校生。

 元バスケ部で背も高い。

 やはりお肉の塊や揚げ物、唐揚げなどの茶色系が喜ばれるのではないだろうか。

 茶色系は強い。

 さすがに朝から揚げ物はつらいので避けていた。

 手間もかかるが、それ以上に作っているだけで油酔いしてしまう。

 でも最近AIが教えてくれた漬け込んだ鶏肉に粉をつけて、フライパンで揚げ焼きにするなんちゃって唐揚げならばできるかもしれない。


 ロボ子さんは目の前の席で黙々と、必死に食べ進めているコーヨー先輩の顔をうかがった。

 恋人同士の昼食。

 しかも手作り弁当。

 和気あいあいとしたランチシーンを想像するものかもしれない。

 だがロボ子さんは食事中をあまり喋らない。

 食に進みも遅い方だ。

 そしてコーヨー先輩は一心不乱にがっついて食べている。

 それも毎食。

 会話を挟む間がない。


 この様子ではもうそろそろ水分が欲しくなる頃合いだ。

 紙コップに冷たい麦茶と温かい梅昆布茶のどちらを注ぐか。

 今日の卵焼きは味がしっかりしていた。

 梅昆布茶よりも冷たい麦茶がいいだろう。

 水筒から麦茶を注ぐと、ちょうど喉を詰まらせたのか動きが止まった。


「はい。コーヨー先輩」


「んむ……ありがとう」


 渡した紙コップがすぐに空になる。

 空になった紙コップにもう一度麦茶を注いだ

 コーヨー先輩のお弁当箱を見れば、もう残り少ない。

 ロボ子さんのお弁当より三倍近くあったのに、今回もロボ子さんより食べ終わるのが早そうだ。

 ロボ子さんも黙々と箸を動かす。

 けれどいつも食べる速さで負けてしまっている。


 コーヨー先輩は元運動部で背も高い男の子だ。

 一日のカロリーは少食なロボ子さんの何倍も必要となる。

 年頃の男の子の中でも食べる量は多いだろう。

 思い切ってもう一回りお弁当を大きくするべきかもしれない。

 せめてロボ子さんよりも早く食べ終わらないように調整しないと、食べている姿を見つめられるのは恥ずかしかった。


 ここは白砂州高等学校の校舎四階と屋上を繋ぐ階段の踊り場。

 屋上の扉は閉ざされていて、使用していない学級机が並んでいる物置だった。

 埃っぽかったその場所を無断で掃除して、ランチの場所として使用させてもらっている。


 ロボ子さんは新入生の高校一年生で、コーヨー先輩は最上級生の高校三年生だ。

 クラスが違うどころか学年が異なる。

 相手の教室に乗り込んで、毎日一緒にお弁当を食べるのはさすがにハードルが高い。

 通常ならば中庭や食堂などの選択肢もあるのだが、コーヨー先輩は直射日光厳禁だ。

 中庭は選択肢から外れる。

 食堂に行くにも一度外を通る。


 日傘を差して目立つくらいならば、校舎内で昼食を取った方がいい。

 そう考えて陽の当たらない場所を探していたら、ここで食事することになった。

 幼少期の経験からロボ子さんは、こじんまりした隠れ家みたいな場所が大好きだ。

 割と気に入っている。

 今日もお米粒一つ残さず豪快に食べ終わったコーヨー先輩が、ちまちま食べ進めているロボ子さんに話しかけてきた。


「なあロボ子さん」


「なんでしょう」


「毎日美味しい弁当を作ってきてくれてありがとうございます」


「どういたしまして」


「……でもロボ子は俺と昼飯食っていていいの?」


 いつもの感謝の言葉だけかと思いきや、思いがけないキラーパスが投げられた。

 残り僅かな白米を摘むロボ子さんの箸が一時停止した。

 でもすぐに再開して食べ終わる。

 ご馳走様でした。

 そう頭の中で唱えて手を合わせた。

 温かい梅昆布茶を口に運び一息ついた。

 そしてお弁当箱を回収しながら、先ほど抱いた唐揚げを作った方がいいのか問題を解決することにする。


「コーヨー先輩。唐揚げは好きでしょうか?」


「うん? 好きだけど。年頃の男子で嫌いな奴いないと思う。いきなりどうした?」


「さっきふと不安になりまして、私のお弁当は地味かも、と」


「どこが? 凄く美味しいよ。毎日感謝しながら頂かせてもらっている」


「具体的に茶色が足りない」


「……だから唐揚げか」


 コーヨー先輩の顔色をうかがう。

 少し困ったような表情。

 好物と言った割にあまり喜ばれていないようだ。

 唐揚げではなかったのだろうか。

 AIは唐揚げで間違いないと断言していたのだが。

 もしかするとコーヨー先輩は朝から唐揚げを作る大変さを把握していて、遠慮しているのかもしれない。


「手間の心配をしているのでしたら大丈夫ですよ。想定しているのは、切った鶏肉を味の染み込むように柔らかくなるように半日漬け込んで、朝に片栗粉を振ってフライパンで揚げ焼きにするなんちゃって唐揚げですから。焼き魚よりも手間は減るかと」


「あの焼き魚はそれ以上に手間がかかっているのか」


「……あ」


 唐揚げは難しくない。

 そう伝えるつもりだったのに、墓穴を掘ってしまった。


「通りで美味いはずだよ。俺はそれほど焼魚とか好きじゃなかったはずなのに、ロボ子の弁当の焼魚は毎日食べてもずっと美味いもん。いつも手間をかけてくれていたんだな。ありがとう」


「焼魚は私が好きでこだわっているので、手間は考えなくて大丈夫です」


「ロボ子の好物ならなおさら外そうとしなくても……いやこの言い方は違うな。俺もロボ子の焼魚が好きだから弁当にいれてくれ。もちろん作るのが大変なら外してくれていい」


「承知しました。より研鑽を積みます」


 コミュニケーションは円滑に。

 ロボ子さんとコーヨー先輩の間ではいくつか時間を無駄にしないための取り決めがある。

 わざわざ契約書に記載してはいないが。


 ちゃんと伝えたいことは噛み砕いて説明する。

 ダメなことはダメ。

 苦手なことは我慢しない。

 してもらいたいことはハッキリと言葉にする。


 全ては認識の齟齬によるすれ違いの時間がもったいないからだ。

 ロボ子さんの恋愛感情は機能していない。

 感情の機微にも疎い。

 言葉にされないことは信じきれない。

 だからお互いにちゃんと言葉で伝えることにしている。


 コーヨー先輩の言葉に嘘も含みもなさそうだ。

 本当にロボ子さんが好きな焼魚を気に入ってくれている。

 それが伝わってきて少し嬉しい。


「……うぐ」


「うぐ?」


 なぜかコーヨー先輩が奇声をあげながら顔を俯かせていた。

 もしかして魚の下処理が甘かった!?


「まさか魚の骨が喉に刺さりましたか。急いでお茶を――」


「――違う! ようやく慣れてきたと思ったのに不意打ちで君が笑うから!」


「笑う?」


 どうやらロボ子さんは笑っていたようだ。

 ロボ子さんの笑顔とコーヨー先輩の奇声にどんな因果関係があるのか理解に苦しむが。

 そういえば花恋からも言われたことがある。


『ロボ子は笑顔を浮かべて周りに愛想よくしない方がいいよ。相手に勘違いされてトラブルが起こるから』


 その教えを守って花恋と家族以外の前だと、作り笑い以外を浮かべた記憶がなかった。

 どうやらコーヨー先輩の前で無意識のうちに笑っていたらしい。

 初対面の米俵コーヒーでもコーヨー先輩と二人で吹き出して笑っていた。

 ロボ子さんは表情筋は割と隙だらけなのかもしれない。

 よくわからないがトラブル起きたよ花恋。

 また週末に電話して花恋に報告しよう。

 そんなことを考えながらロボ子さんが顔の筋肉をペタペタ触っていると、コーヨー先輩が復活した。


「はぁ……そういえばお弁当具材といえば卵焼きだけど」


「どうかしましたか。今日は会心の出来だったと思うのですが」


「確かに美味かった。いつも美味いんだけど、毎回味を変えて、よくこれだけバリエーションあるなって感心してる」


「出汁巻き卵は好きなので極めようとしてます」


「……そっか。頑張れ」


「はい」


 二人して梅昆布茶をすする。

 昼食は黙々と食べるので食後は割と時間があるのでまったりしていることが多い。


「それで出汁巻き卵なんだけど、前に作ってもらったご飯が進む出汁巻き卵」


「ちょっとしょっぱかった奴ですね」


「唐揚げを作ってもらうなら、あの出汁巻き卵が食いたい」


「……つまりコーヨー先輩は今日のお寿司屋さん風よりもご飯が進む出汁巻き卵の方がいいと?」


 醤油と味醂を多めにいれた甘じょっぱい味付けだった。

 先日の京風出汁巻き卵も美味しくはあったが、上品すぎてコーヨー先輩の白米を食べる速さが少し遅かった気がした。

 それ故に満を持して挑戦した本日のお寿司屋さん風の卵焼きだった。

 自信作だったのに。


「いや……どの出汁巻き卵も本当に美味しいから、ご飯を食べるようにもう一つ欲しいかなって」


「まさかの二種類のダブル出汁巻き卵弁当!?」


「ああ。もちろん作ってもらっている立場だし、手間がかかるなら無理しなくていい。お弁当の改善点を聞かれても正直ない。でも願望というか男の夢というか、ただのわがままだけど食ってみたい弁当がそれ。あの出汁巻き卵なら毎日食える」


「しょ……承知しました。出汁巻き卵の追加ならばさほど手間は増えません」


「マジで!? よし!」


 喜んでいる。

 コーヨー先輩が喜んでいる。

 年頃の男子の好みは茶色系の先入観があったけど、コーヨー先輩は出汁巻玉子派だったらしい。

 ロボ子さんは一種類で十分だ。

 今までご飯の上に鶏そぼろと炒り卵を乗せていたけれど、鶏そぼろを巻いた味の濃い出汁巻き卵をご飯に埋め込む形の方がいいのかもしれない。

 いっそのことハート型にしてみるか。

 いや……それだけ入れたらさすがに卵の濃厚さがくどくなりそう。

 なにか口をさっぱりさせてくれる味変が必要かもしれない。

 ロボ子さんは紙コップの中の梅昆布茶に視線をやった。


「……柚子胡椒」


「柚子胡椒がどうかしたのか?」


「私は少し前に梅昆布茶に少し柚子胡椒を混ぜて飲むのにハマっていて、それを思い出しました」


「……また渋い好みだな。でも美味そう」


「さすがに二種の出汁巻き卵はくどくなるかと思いましたが、途中で柚子胡椒での味変を加えたら意外と私でも美味しく食べられるかと」


「出汁巻き卵に柚子胡椒。食べたことがない組み合わせだけど、なんか腹が減ってくるな」


「明日のお楽しみです。柚子胡椒を小瓶に入れて持ってきますね」


「頼む。本当に明日が楽しみになってきた」


 こんな感じでロボ子さんとコーヨー先輩のランチタイムは終わり――


「で、ロボ子は俺と昼飯食っていていいの?」


 ――終わってくれなかった。

 上手く流せたと思っていたが、コーヨー先輩は忘れていなかったらしい。

 


 


 

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