第8話 恋人契約

 佐久間先輩は目を泳がせた。

 だが顔を背けることはしなかった。

 そしてため息をつく。


「わからないな。ロボ子は俺のことを好きってわけじゃないよな」


「実はロボ子さんの名前の由来は恋愛感情が死んでいるからだったりします。私は恋愛という現象があまり理解できていない。初恋もまだです」


 ここで『好きです』と告げることは簡単だった。

 けれど側にいて笑うと覚悟を決めたのだ。

 嘘をつくことは信義に反する。


「恋に恋しているわけでもなさそうだし、俺に同情しているわけでもなさそうだし」


「AIにも恋愛しなさいと言われていますし、恋というモノに興味がないわけではありません。けれど先輩に振られたら、私は一生誰とも付き合わない可能性がなきにしもあらずですね。これほど交際にやる気を出したのは初めてなので」


 ぐっと拳を握りしめた。

 恋心より闘志が燃えている。


「難しく考えないでください。私は新生活で自分を変えたい。後悔をしたくない。そんな私の都合で交際を申し込んでいるので」


「ロボ子の都合?」


「はい。だから先輩はどうしても私と一緒にいるのが嫌な場合だけ断ればいいんです」


「……」


「…………」


「ロボ子お前……容姿に自信あるだろ。そんな簡単に顔を近づけてくるなよ」


 きょとんした。

 この切り返しは想定していない。

 瞳や髪色はコンプレックスだ。

 でも母親似で妹にもよく似た顔は嫌いではない。

 幼い頃から美容に気をつけて、食生活や運動も管理している。

 花恋からも残念美人日本代表と褒められたことがあった。

 自信があるといえばあるのだろう。

 答えに窮していると、佐久間先輩が頭を抱えた。


「…………顔が好みなんだよクソ」


「えーと先輩?」


「これで性格がアレなら……アレだけど」


「性格がアレ!?」


「あっ、悪い意味じゃない。もっと自己中心的で底意地が悪そうなアレさなら振る理由が思いついたのに、と思って」


 どうやらロボ子さんの顔は好みらしい。

 でも性格は悪い意味じゃないアレらしい。

 複雑だ。

 なんかとても複雑な評価だ。

 ちょっと傷つく。


「ロボ子の都合が……俺に都合が良すぎるのがいけない」


「あの先輩……さっきから断る理由を必死に探してませんか? 褒められているのか貶されているのかわからなくて困惑してます」


「……俺はもっと困惑しているよ。座ってもう少し待っていて」


「は、はい」


 ロボ子さんはストンと着席した。

 そんなに難しいことを言っただろうか。

 逃げ道を塞ぐ言い回しはしたけれど、そんなに性格がアレとか言わないで欲しい。

 さすがに喉が渇いたのでコーヒーを口に含む。


 乾きに対して、量が少ししかない。

 米俵コーヒーのいいところは量が多いところだけれど、悪いところが量が多すぎておかわりできないところだ。

 ぬるくなったお冷も飲む。

 話している間に少し時間も経った。

 今ならばテイクアウト用のパックに入れられた米俵ロールの四分の一カットに挑戦できそうだ。

 ……こんなことを考えているから性格がアレとか言われるのかもしれない。

 空気を読んで自重しよう。


「……どう考えても振る理由が思いつかない」


「先輩。確認するのを忘れていました。今付き合っている人とか、好きな人とかいますか? その線から模索してみればいかがでしょうか」


「なんでロボ子が提案するんだよ」


「迷っているようですし、実は先輩には誰かを想い人がいて、その誰かを忘れるために私と付き合おうとするのは、さすがに嫌なので」


「不安にさせて悪かったな。彼女はいないよ。ずっとバスケ一筋だったし。……気になる相手ぐらいはいたけど、灰花病にかかってそんな想いも吹っ飛んだ」


「そうですか。安心しました」


 安心したところで、本当に米俵ロールを食べてしまおうか。

 いや……さすがにロボ子さんでもそれはない。

 仕方がないから答えを出せない佐久間先輩にトドメを刺そう。

 訂正、背中を押そう。


「あの先輩。迷われるようであれば別に今日答えを出さなくてもいいんですよ。同じ高校ですし。ただ答えが学校開始まで先延ばしにされると、私は先輩の教室に乗り込んで、公衆の面前でもう一度同じ告白をやり直すことになります」


「付き合おうか」


「……即決でしたね」


 わかっていたけど。

 嫌われていない時点で。

 佐久間先輩が迷った時点で。

 すぐ突き放されなかった時点で。

 ロボ子さんは付き合う覚悟をしていた。


 同じ高校の先輩と後輩だ。

 マッチングしなくても出会っていた。

 別に今日この場で結論を急がなくてもよかった。

 懸念材料は佐久間先輩に想い人がいた場合だけ。

 自暴自棄になってマッチングアプリに登録したぐらいだから『想い人はいない』と予想していた。

 けれど本当に好きな誰かがいるのであれば、その相手との交際を応援するつもりでもあった。

 全て杞憂に終わったけれど。


「それでは交際するにあたって契約書を作りましょう」


「契約書? どうしてそんなものを作るんだ」


「自慢でありませんが、私はロボ子さんと呼ばれるほど恋愛音痴の自信があります」


「妙な自信を持つな。本当に自慢にならないことを胸張って主張するな」


「今日からお付き合いを始めました。そう決まっても何から始めればいいのかわかりません。だからルールや指針をあらかじめ決めておくんです。……後悔したくないじゃないですか」


「また後悔?」


 また後悔だ。

 ロボ子さんはあとになってから『ああすればよかった』『こうすればよかった』と思い悩む性質なので、後悔の種を潰しておきたい。

 だからAI任せの最適な生活を心がけていた。

 人間は常に最適な行動をするわけではない。

 けれど指針があれば迷わない。

 迷っても納得した行動ができていれば、後悔は少なくなる。

 契約書なんて一般的な恋人であれば必要ない。

 しかしロボ子さんと佐久間先輩は一般的とは程遠いかった。


「私達には気長に愛を育む時間はありません。悠長に構えてお互い知っていく時間もない。迷っている時間もないんです。私は佐久間先輩との限られた時間を無為に過ごしたくはありません」


「……相手が俺だからか」


「私に必要なんです。ずっとAIに従って生きてきたぐらい主体性ないんです。ルールがないと困ります」


「ルールって例えば?」


「『毎日会う』とか『名前で呼び合う』とか『毎日好きと言い合う』とか」


「ハードルたけぇ」


「過程をすっ飛ばして、理想の恋人像から入る作戦です」


 だって本当に一日たりとも無駄にできる時間はないのですから。

 わざわざ言わない。

 佐久間先輩もわかっているはずだ。

 命短し、恋せよ乙女だ。


「それとも先輩は恋愛科目が劣等生のロボ子さんを導けるぐらい恋愛優等生ですか?」


「中学の時に告白されて、付き合ったはいいものの、どう付き合えばいいのか部活を優先していたら『思っていた人と違った』って振られたことならあるな」


「……」


「あと高校一年の時も付き合ったはいいけど『夏はバスケに集中したいから』って言ったら振られたことも」


「…………」


「そんな固まった笑顔で黙るなよ。普通に笑ってくれていいんだぞ」


「負けました」


「この遍歴で!?」


 恋愛に対する苦手意識から逃げ回っていたロボ子さんと違って、佐久間先輩には恋人がいたらしい。

 いなかったらいなかったで困る。

 でも、いたらいたでなんか悔しい。

 ただ佐久間先輩も恋愛が得意科目ではないことはわかった。

 ロボ子さんは鞄からノートとペンを二本取り出す。


「とりあえず契約書に書く内容を決めましょう。先輩も先輩だったのですから、経験を活かしてください」


「……その先輩呼びはダメな先輩って意味だよな」


「なんのことかわかりません」


 こんな風に息があっているのか、ふざけているのか。

 二人ともよくわからないまま軽妙なやりとりを続けながら、恋人契約の内容を二人で詰めていく。


 その時間が楽しかった。


 結局、二人でテイクアウト用に詰めていた米俵ロールは食べてしまった。

 追加のソフトクリームとコーヒーのおかわりまでした。

 そうして出来上がったのが以下の七か条だ。 


 第一条、よほどの事情がない限り毎日会って一緒に過ごす。

 第二条、互いを名前で呼び合う。

 第三条、心がこもってなくてもいいので毎日互いに愛の告白をする。

 第四条、他の誰かを好きにならない。

 第五条、ロボ子はコーヨー先輩のことも好きになろうとしない。

 第六条、ロボ子はコーヨー先輩のことを憐れまない。

 第七条、ロボ子はこの契約を一方的に破棄して、いつでもコーヨー先輩の前から姿を消していい。


 ロボ子さんはすでに契約書に署名して、実印を押している。

 コーヨー先輩も印鑑を持っていなかったので拇印だが捺印した。


 契約書を作り終えたので、ロボ子さん達は長居してしまった米俵コーヒーに頭を下げて退店したところだ。

 ただ契約内容に不満な点がないわけではない。


「コーヨー先輩。やっぱり第五条と第七条は違うものに書き換えませんか?」


「捺印したのに契約内容を書き換えようとするな。ロボ子はまだ不満なのか。譲歩してアレだぞ」


「不満です。実質私は契約を守らなくていいってことですよね」


 そんな契約になんの意味があるのか。

 ロボ子さんは上を向きながら睨みつけた。

 だがコーヨー先輩には効果がない。

 座っているときも身長差があったが、立っているとその差は頭ひとつ分以上あった。

 顔を見ながら話そうとすると少ししんどい。

 そのせいかコーヨー先輩は米俵コーヒーにいたときよりも余裕がありそうだ。


「恋人契約がロボ子に必要だったように、第五条と第七条は俺に必要なんだよ。散々説明したろ」


「……そうですけど」


 死の恐怖に負けて誰かに依存したくない。

 あの条文を入れないと捺印しない。

 コーヨー先輩はそう主張した。

 その気持ちがロボ子さんもわかってしまったから、あの一方的にロボ子さんが有利の契約になってしまった。

 不満はある。

 ただロボ子さんが行使しなければいい。

 そう言われてしまったらそれまでだ。


「それで今日はこれからどうするんだ? まだ昼過ぎだけど」


「このショッピングモールを案内してほしいです。日用品や食料品、小物。あと大きな百円均一ショップや三百円均一のお店があると嬉しいです」


 服や家電などのお金がかかるものは、親に請求が行くので基本的にネット通販になる。

 それ以外は仕送りから自分でやりくりして買うので、地元の人が行く安いお店の情報が欲しかった。


「了解。それじゃあ――」


「――ちょっと待ってください」


「なに?」


 コーヨー先輩が先を歩いた。

 ちょっと距離が空いた。

 振り返ったコーヨー先輩の顔がはっきり見える。

 近づきすぎると顔が見にくい。

 やっぱりこれぐらいの距離が適している。


 昼過ぎのショッピングモール。

 四月の初めの春休み期間中。

 雑踏は騒がしいくらい。

 その中でもグレージュ髪のロボ子さんと背の高いコーセー先輩は目立っていた。

 周囲からの視線を感じる。

 でも意識から外した。

 私の箱庭には必要ないから。


「佐久間虹陽さん。私は貴方のことを愛しています」


 できる限り、優しい微笑みを浮かべる。

 告白という名の先制攻撃。

 狙い通りコーヨー先輩は振り向いたまま固まった。

 すぐに第三条のことを思い出したのか、口を開こうとするがロボ子から歩み寄って、隙だらけのコーヨー先輩と腕を組んだ。


「それじゃあ案内をよろしくお願いします」


「あ……おい」


「さあ行きましょう」


 反論を許さず歩き出す。

 こういう告白は不意打ちに限る。

 時間が経てば経つほど、告白返しが恥ずかしくなっていく。

 意に沿わぬ契約をさせられた意趣返しだ。


 こうしてロボ子さんとコーヨー先輩の恋人契約は始まった。

 契約期間は一年未満。

 別れは最初から決まっていた。

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