第2話
「ストーカー?」
「はい……少し前から、つけられていて…」
今回の依頼人は、珍しく人間。
30代の男で、見るからにお人好しそうな穏やかな顔つきをしている。そんなだから、変なやつに好かれてもおかしくはないというか……ストーカーされるのもなんとなく納得できてしまった。
「にしても、なんでここに…」
妖怪“専門”という通称名の通り、ここ牛蜜刻萬探偵事務所は妖怪同士のクチコミを頼りに広まってるから、通常人間が訪れることは少ない。ほぼ無いと言ってもいい。
1階で経営してるカフェ・レムレスから、稀に間違えて上がってきてしまう人はいるが、意図的に来るなんて……働き始めて数カ月、初めてのことだった。
依頼人――田中も、あたし達の反応を察してか自分が場違いなのではないかと居心地を悪くしている様子だ。
「媛子」
「ん〜。なに?」
「こいつ……本当に人間?」
「うん。どっからどう見ても」
「だよな」
改めて媛子に確認してみたが、やはり人間。
「悪いけど、うちはちょっと特殊で……普通の依頼は受け付けてないんだ」
「ふ、普通じゃないんです。だから、ここに来ました」
詳しく事情を聞けば、彼がわざわざうちを選んた理由が分かった。
「笑い返したら、追いかけられた…?」
「はい。仕事終わり、歩いていたら女の人が立っていて、声を掛けられて…」
以下、回想。
―――――――――――――――――――――――
午後9時過ぎ。
街灯がぽつり、ぽつりと照らす閑静な住宅街を歩いていた田中は、道端にひとり佇む女を見かけた。
針のように刺々しく、べったりと張り付くように濡れた髪を垂らした女は、道行く人に「こんばんは」と笑顔で挨拶をしているようで、数メートル前を歩いていたサラリーマンも声をかけられていた。
無視する人間が多い中、田中は罪悪感から挨拶を返し、微笑んでしまったのだ。
「笑った!」
「え?」
すると女は歓喜の声を出し、ニチャリと気味悪く口角をつり上げた。
怖い。
本能的に感じ、足早に歩き出した田中の後をしつこく追いかけ回しては「笑った!笑った!」と言ってくる相手に恐怖し、田中は全力で路地を駆けた。
なんとか振り切れたものの、その日以降ずっと……誰かにつけられている気がする。
振り向けば、あの女が笑っている気がするのだ。
「笑った」
と。
――――――――――――――――――――――――
田中の話を聞いたあたしと媛子は、小首を傾げた。そんな妖怪、聞いたことも見たこともないからだ。
確かに、人外っぽい雰囲気は感じる。しかし、どちらかと言えば都市伝説的なもので、怪異と妖怪は似て非なるもの。別物である。
怪異だとすれば、対応範囲外。どうすることもできない。
妖怪に詳しい所長に確認しなければ引き受けられない案件だ。ここは一旦、心苦しくはあるけど断ろう。
と、思っていたが。
「僕、もう……怖くて怖くて。家にいても、カーテンの向こうからあの女が覗いてるんじゃないかって…」
「うんうん。つらいですよね…」
自分の肩を抱き、ガタガタと震える田中の前に跪いて同情を見せた媛子が、
「わたし達がビシッとバシッと解決しますから!ご安心を!」
許可もなく、正義感だけで口走ってしまった。
媛子の性格をよく知るあたしは、こうなる事が分かっていたから、呆れ果ててもう物も言えない。
媛子に手を握られ、見つめられた田中は目を見開いて、今度は感動の涙で体を震わせていた。そして何度も「ありがとうございます」と感謝していた。
「と、いうわけで…これから調査に行ってまいります!」
「私がいない間に、随分と面白いことになってるじゃないか」
「なんにも面白くねえよ」
事情を知った所長の白沢は呑気にケラケラと喉を鳴らし、こういう時ばかり嫌な役を押し付けられるあたしは額に手を置き、ため息を落とす。
「そもそも、笑いかけただけで追いかけ回してくる妖怪なんているのか?」
「いる」
妖怪でなければ、この厄介事から逃げられると踏んで言ったのに、あっさりと肯定されてしまった。
妖怪・
髪が濡れ、針のようになっている女の姿をした妖怪。笑いかけると、その人間を執拗に追い回すとされているが、理由までは不明。ただの嫌がらせの可能が高い。妖怪は人を不快にさせたり、驚かせたりするのが趣味なやつも多いから。
「まさに当てはまるな…」
「あぁ。見た目の特徴からも、確実に濡れおなごだろう」
「ってことは…?」
「さっそく、解決よろしく」
「解決って……簡単に言うけど、どうやって」
「なぁに、単純な話さ。笑い返してやればいい。お前が付け回される分には支障ないだろう?」
「大アリだ!」
とは言ったものの、確かに。
濡れおなごはしつこくついてくるだけで、危害は加えてこない。気にしなければ、いないも同然。
ならいいかと納得して、さっそく出かけようとしたが。
「そ、そんなのだめ!」
「大丈夫だ、媛子。なんかあっても、ぶん殴って逃げてくるから」
「だめだよ!危ないし、それに……ももちゃんにストーカーなんて、やだ。そこから始まる恋があったらどうするの!?」
「始まるわけないだろ……なに言ってんだ」
「……ふむ。これが乙女心ってやつだね?」
「意味分からん」
当然のように反対してきた媛子を宥めて、所長とふたりでなんとか説得を試みた。
結果、「わたしも一緒ならいい」と許しを貰い、なんだかんだいつも通りふたり行動に。今回も夜遅いし、心配なんだけどな…。
所長が言うには濡れおなごは夜にしか出現しないらしく、今は田中さんの家周辺にしか現れないことも分かってるから、遭遇は比較的簡単だった。
「……いた。ももちゃん、あの人だよ」
例の如く、あたしには普通の人間にしか見えないため、本来の姿が分かる媛子が教えてくれた。って考えると、連れてきて正解だったかも。
田中の住むアパートの前、街灯の下で背筋悪く立つそいつは、人の気配を感じると見上げていた顔をこちらへ向けた。
「こんばんは」
対象を追いかけてる時でも、道行く人に笑顔で挨拶をするという習慣は変わらないらしい。今は好都合だ。
不気味に、嫌に響く濡れおなごの声に媛子は怯え、腕にしがみついてくる。その様子から、一般人の多くは笑い返すなんて到底できないことを悟る。
あたしは慣れないながらしっかりと口の端を持ち上げて笑みを作り、
「こんばんは」
と微笑み返した。
当初の予定通りいけば、ここで対象が切り替わり、あたしのストーカーへと変貌を遂げるはずだったが……濡れおなごは予想外の行動を取った。
「ひっ…」
人の笑顔を見るやいなや、青ざめた顔で小さな悲鳴を上げたのだ。
「?……どうし」
「ご、ごめんなさいぃ…!」
「は?」
なぜか謝られて、ポカンとするあたしの隣で、何か察したように媛子は手のひらの上に拳を乗せた。
「なるほど。ももちゃんの笑顔が怖いんだね…!」
「なんだそれ。失礼なやつだな」
「大丈夫だよ〜、こう見えてもいい子だから」
「嫌なフォローだ…」
どう見てもただの女子高生だというのに、怯えきった濡れおなごを媛子が慰めに行って、あたしは蚊帳の外。
最終的に絆された彼女は、「もう田中につきまとわない」と約束してくれて、暗闇へと溶け込むように消えていった。
こうして腑に落ちてはないものの、無事に濡れおなごストーカー事件は解決。
「あたしって、そんなに怖いか…?」
濡れおなごの反応がどうしても気になって、ソファの上で手鏡を片手に自分の顔を確認する。
目つきが悪いのか?それとも、笑顔がぎこちなさすぎた?と、ひとりうなり悩んでいるところへ、媛子がやってくる。
「ももちゃんは怖くないよ〜。かわいい!」
「うそだ」
「それに、ももちゃんの良さはわたしだけが分かってればいいんだから」
「そうか…?」
両頬をつままれ、頭を撫でられ……まるで犬を愛でるかのような仕草で励まされたが、しばらく鏡と向き合って笑顔の練習をしたのは秘密だ。
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