第5話








「クソっ…!」


 愛莉の家を出てすぐ、妃都美は感情に任せて外壁を蹴った。

 高校に入学できたのも、退学にならずに済んだのも、全てあの女の企みだったと知って、憎悪は増した。

 人の人生をもてあそびやがって……考えれば考えるほどに悔しさやら憎しみが留まることなく吹き上がってきて、イライラを隠すことなく大股で歩いていく。

 それも、このまま素直に学校へ行くことさえ今の妃都美にとっては屈辱的で、すぐに足を止めた。


「……あー、でも…」


 帰ろう…そう思いかけて、帰る家を失っていたことを思い出す。

 こんな時、助けを求められる人間はちゃんといて、頭にも浮かぶが……なんとなく気が引けてやめた。連絡手段もなければ、迷惑ばかりかけたくない。


「困ったな…」


 それにしても行く先が無いというのは、こんなにも寂しいことなのかと。

 今まで自分の人生は最底辺だと感じてきたが、そのさらに下があることを知る。

 ……あいつが言うように、あたしはヤクザ以下だ。

 ヤクザでさえ家を持ってて、子供がいるってことは家庭も持ってて、それなのに自分には…何もない。帰る家も、家族さえ。


「…クソ」


 何も満たされない空っぽな心が生み出す虚しさは、道端の石ころを巻き添えにして蹴散らして、悩んでいても仕方がないと歩き出す。

 通学路を外れて、行く宛てもなく歩くこと数分。


「いいから出せよ、なぁ」


 朝から人気のない空き地で、ひとりの男子生徒が複数人に囲まれている現場に遭遇した。治安が悪いこの地域では、よくあることである。

 どうやら金を揺すられているらしい。

 これはちょうどいい、と。妃都美の口角がつり上がった。


「お前、俺らに逆らったらどうなるか分かってんの?」

「おい」


 強気に話しかけるその肩を掴んで、男子生徒が振り向くと同時に妃都美は拳を振り上げた。





 ⸺⸺⸺





 愛莉が教室に着くと、案の定……妃都美の姿はなかった。

 今朝の様子からサボることは想定内で、特に驚きもしないままクラスメイト達と挨拶を交わしながら自分の席につく。

 ……はたして、彼女は帰ってくるだろうか、と。

 鎖のない拾いたての犬が無事に戻ってくることを願って、通常通り授業を受ける。

 勉強したって意味がないのにするのは、何もない日常の退屈さをごまかすためであり、元来の性格が勉強好きであったり真面目なわけではない。

 それでも周りには、勤勉で健気な少女に映るのだろう。


「…禅豹さん。ちょっといいかな」


 放課後になって、ひとりの男子生徒に呼び出された愛莉は、暇つぶしがてら応じることにした。


「君のために言うんだけど、斑さんとは関わらない方が良いと思うんだ」


 校舎裏に連れて行かれて何を言われるかと思えば…妃都美と関わるようになってから増えた、お節介極まりない助言だった。


「…ありがとう。でも、これからも関わり続けるつもりだから。心配はいらないよ」


 正直ため息をつきたくなるほど、対応するのもアホらしいが…表向きは笑顔で接する。

 自分の学校での立場をよく理解しているからこそ、こういう面倒な親切心からくる行動も無下にはできない。


「禅豹さんは優しいから、放っておけないとかあるのかもしれないけど、でも」

「ごめんなさい。気持ちは嬉しいけど、あなたには関係ないわ」

「か、関係あるよ!」

「……どうして?」


 今までの経験から、相手が何を言うのかは想像つく。

 それがまた、愛莉に退屈さをもたらす要因のひとつだった。


「っ僕、禅豹さんのことが好きなんだ!」


 だからなんだ、と。

 …関係ないことに変わりないじゃない。

 そう言い放ちたい思いは静かに飲み込んで、優しく目を細めて笑いかければ、男子生徒は簡単に見惚れて顔を赤く染める。


「ありがとう、嬉しい」

「じゃあ…」

「でも、ごめんなさい。親公認の婚約者がいるの。だから誰とも付き合う気はないわ」


 きっぱりと断って、相手が項垂れるのをフォローすることもせずその場を去った。いつまでもくだらない時間に付き合っていられない。

 さっさと家に帰って、家出した犬の帰りを待とう。

 どのみち彼女に行き場はない。…仮に他にあったとしても、場所を突き止めて潰すだけだ。

 そうやすやすと、逃しはしない。

 ただ理想は、本人の足で、意思で帰宅してくれることで……もしそうしてくれた場合に何かご褒美でも用意しようと、スーパーでステーキ肉を何枚か購入しといた。


「…野菜も食べさせた方が良いかな」


 念のため、栄養バランスも考えてサラダに使う葉物の野菜もいくつか買っておいた。

 お米も炊いて、味噌汁も……と、今夜の献立を頭の中で組み立てながらスーパーを出て、正門は避けて裏門から入ろうとしたところで、愛莉の足が止まった。


「……斑さん?」


 外壁に背中を預けて、膝を抱えてうずくまる妃都美の姿が見えたからだ。


「どうしたの、こんなところで」

「…遅いぞ。早く開けろ」

「え?なんで…」

「ここ以外に帰る場所がねえんだよ。帰ってくるに決まってんだろ、さっさと中に入れろ」


 狙い通り帰ってきてくれた犬……もとい妃都美を招き入れて、内心スキップでもしたいくらいには舞い上がった気持ちを、表には出さないよう平静を装って静かに微笑んだ。

 嬉しそうな顔をする愛莉を見て、妃都美は悔しさを募らせる。全てが彼女の計画のうち、手のひらの上なんだと考えたら、虫唾が走った。

 ふたりの感情が噛み合うことはないまま、離れの建物へと入る。


「ご飯作るから。待っててね」

「……肉?」

「うん。いっぱい買ってきたよ」

「なら許す」


 抱いた不満は食欲によって解消され、満足げに頷いてリビングのソファへと寝転んだ。

 テーブルの上にあるリモコンを手に取って、遠慮もなく電源を入れる。


「…この時間のテレビつまんねえな」


 しかしどれもニュース番組ばかりで、舌打ちしながら悪態をついた。

 それを聞いていた愛莉は「そういえば」と思い出し、食材の片付けや準備をやめて妃都美のいるリビングへと向かった。


「録画機能あるから、それで昨日の動物のやつ見たらいいよ」

「おぉ……なんだそれ。すげえな」

「うん。リモコン貸して?操作してあげ…」


 と、そこで。


「ちょっと待って……怪我してるじゃない」


 リモコンを持つ妃都美の手を見て、愛莉は驚いた声を出した。

 咄嗟に手首を持って寄せれば、指の関節辺りが赤く腫れていて、切れて血が滲んでいる箇所もあった。

 こんな怪我の仕方……何かを殴らない限り無いが、今は咎めるよりも先に手当てだ、と応急処置に使える救急箱を持ってくる。


「ほら、手…出して」

「おう」


 地味に痛かったから、手当てしてもらえてラッキーくらいな気持ちで手を差し出せば、丁寧な動作で愛莉はコットンに消毒液を染み込ませて、傷口にやんわりと当てた。


「もう……どうして怪我なんか…」

「お前には関係ないだろ」

「あるよ。私はあなたの雇い主なんだから。勝手なことされると困る」

「雇い主なら、金くれよ。せっかくカツアゲした金、パチンコで溶かしちゃったから金欠なんだよ」

「…聞きたいことがありすぎて頭が痛くなってきた」

「お、看病してやろうか?頭痛薬いるか?」

「比喩よ、ばか」


 詳しい話を聞かずとも、今日一日どんな風に過ごしていたのかが分かって、噂に聞くよりもひどい素行の悪さに痛むこめかみを押さえた。

 カツアゲした金でパチンコなんて……まだ未成年だというのに、悪行のオンパレードである。

 行く末が心配になるものの、今後は自分が正していけばいいと割り切って、それ以上は不問にしておいた。


「明日からは、一緒に登校してもらうから」

「やだね」

「それがあなたの仕事なの。ちゃんとしてくれれば、お給料も出すから」

「…いくら?」

「大卒の初任給くらい」


 具体的な金額は言わず濁して伝えたら妃都美には分からなかったらしく、怪訝に眉をひそめていた。

 高校生でそれだけの金額を貰えるなら充分でしょ、とたいした説明もせず応急処置を終わらせる。


「とにかく、パチンコもカツアゲも禁止…」


 終わった後で、それだけは言っておこうと口を開いた愛莉の言葉が止まる。


「なぁ…」


 不意に、脈絡もなく妃都美が体を前に倒して顔を近付けてきたからだ。

 驚いて体を後ろに引けば、腰の横に置かれた手がソファの一部を沈ませて、さらにふたりの距離は縮まっていく。

 半ば押し倒される体勢になって、期待と緊張で愛莉の心臓は跳ね上がった。


「え……え、な、なに…」


 急な近さに動揺して落ち着きなく瞬きを繰り返す愛莉とは反対に、瞬きひとつしないでじっと見つめた妃都美は、薄く唇を開く。


「…説教はいいから、飯作れよ。腹減った」


 不貞腐れた文句を投げられた瞬間に、怒りよりも安堵が勝った。

 何もされなくてよかった……と思う反面、何かあればよかったのに、と残念にも思って、結果として全ての感情は落胆に変わり、吐息となってこぼれ落ちた。


「紛らわしいことしないでよ…」

「ん?なんだ、まぎらわしいことって」

「……今日はお肉なし」

「おい!なんでだよ、ふざけんな」

「うるさい。ばか」


 人の気も知らないで……呆れた思いで妃都美の肩を押して、ソファを降りる。

 後ろからやいのやいの苦情の嵐が聞こえてきたが、全て無視しておかず無しのサラダのみ作ることにした。

 まさか本当に草だけを食べさせられると思ってなかった妃都美は、完成した夕飯を前にぶつくされて、それでも空腹を見たそうとフォークで葉っぱを刺してはもしゃもしゃ食べ始めた。


「……うん、これはこれでうまいな。このドレッシングが良い!おかわり!」


 食べているうちに肉が無くても良いことに気付いて、カラになった皿を愛莉の前に差し出す。


「おかわりなんてないよ。今日はそれだけ」

「ふざけんな!こんなんじゃ足りん!肉よこせ、肉!」

「うるさいわね、もう。子供じゃないんだからフォークでテーブル叩かないの!」

「腹減った!」

「わかったから!叩くのはほんとにやめて。テーブル痛んじゃうでしょ」


 フォークを握った拳でテーブルを叩いて抗議する妃都美を諌めて、もはや三歳児を相手にする母の気分で立ち上がった。

 結局、わがままに押し負けて肉を提供した後は、


「…まったく。そんなところで寝て」


 満腹になってリビングのソファでだらしなく腹を見せて寝てしまった妃都美の体にタオルケットをかけて、愛莉は何回目になるか分からないため息を吐き出した。

 帰ってきてくれたことは嬉しいが、あまりにも自由すぎて疲れる。


「……ふふ。赤ちゃんみたいね」


 それでも、安眠を手に入れた彼女の見せる寝顔は無邪気で愛らしくて、体温が上がってるのか僅かに赤らんだ頬を撫でた。







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