第4話
「ベッドはひとつしかないから……一緒に寝ることになるけど、いい?」
約束通りアイスを二個たいらげ、広めの風呂にも入り、いざ寝ようとなってから、愛莉が思い出したように確認を取った。
てっきりふかふかベッドを占領できると思っていた妃都美は面食らい、同時に不満の二文字を顔に貼り付ける。
「そういうことは先に言えよ」
「嫌なら私はソファで寝る」
「んじゃ、そうしてくれ。ひとりでふかふかベッドを楽しみたいんでな」
無情にもひらひらと手を振り、寝室へ入っていった妃都美の背中を見送って、愛莉はリビングへと移動した。
想像以上に大きかったダブルベッドを、ここぞとばかりに大の字になって寝転んだ妃都美が数秒で眠りについた頃、ソファで横たわった愛莉は眠気がやってくるまでスマホをいじる。
そうして、ふたりは別々の場所で夜を過ごし、翌日の朝。
「……起きて、斑さん」
先に目を覚ました愛莉が起こしに行くと、妃都美は広いベッドの上、なんだかんだで狭いところが落ち着くのか隅っこの方で小さく丸まって眠っていた。
自分の体の周りで毛布を巣のように輪っか状にしているのが、なんとも野生み溢れる寝方で、子供や小動物を彷彿とさせて思わず口元が綻ぶ。
女にしては大柄な図体に似合わず、やることがいちいち可愛らしく感じるのは……愛莉の持つ感情故か。
他の人間がどう思うかは不明だが、彼女にとっては癒やしの光景にも思えた。
「斑さん…」
声をかけても起きる気配のない妃都美の体の上に、半ば覆いかぶさる形でベッドに乗っても、静かな寝息が聞こえてくるだけだ。
無防備すぎる寝顔に向かって顔を落としながら、下に垂れた邪魔な髪を耳にかける。
「起きないと、キスしちゃうよ…?」
たとえ相手の耳に届いていたとしても構わず、そう囁いて言葉を実行に移そうと動いた。
⸺⸺⸺
妃都美が目を覚ましたのは、開いたドアの隙間から食欲をそそる香りが漂ってきたからだ。
食欲は時に睡眠欲にも勝るようで、むくりと体を起こして、しばらくボーッと辺りを見回す。見慣れない景色に、自分が昨晩泊まったことを思い出した。
名残惜しくもふかふかベッドに別れを告げ、のっそりとやる気のない足取りで部屋を出た。
出てすぐの場所にあるキッチンでは、愛莉が慣れた調子で料理をしていた。
「……あ。おはよう、斑さん」
それも、妃都美の存在に気が付いて手を止める。
「…飯、食う」
「挨拶くらいしてよ」
「……腹減った」
まるで会話にならない妃都美を肩越しに振り向けば、眠いのかまだ目すら開いてない状態の顔が見える。
そんなにも眠いのに食い意地だけは立派な彼女がテーブル椅子に腰を下ろしたのを、呆れ半分にため息をついて睨んだ。
「顔、洗ってきて。歯も磨いて。まだできないから…」
「……わかった」
座っても食事が出てこないと察した妃都美はまた立ち上がって、脱衣所方面へと消えていく。
マイペースというよりは、もはや本能的で、人間の形をしたペットを見ているかのような気持ちで、姿が見えなくなってから調理を再開させた。
かれこれ十年は続いてるひとりでの朝食を、他人と過ごすなんていつぶりだろうか。
過去の記憶に思い馳せながら出来た、作り慣れた料理達をテーブルに並べたら、歯磨きを終えて戻ってきた妃都美が何も言わずに座って食べ始める。
「いただきます、して」
「…うるせえな」
「はぁ……そういう基本的なことは身に着けようよ」
「必要ないね」
「必要ある。これは命令です」
厳しい口調で諭されてムッとした妃都美は、意地になって口を噤んだ。
「言わないなら、食べちゃだめ」
「……飯くらい好きに食わせろ、だりいな」
「あ…!」
勢いよく茶碗の白米をかき込んで、味噌汁で一気に流し飲み込んだ後で、叩きつけるように食器を置いて立ち上がる。
愛莉が睨みつけたのも構わず、鼻で笑ってさらに相手の感情を逆なでした。
負けじと愛莉も机を叩きながら立ち上がる。
「食べちゃだめって言ったじゃない!」
「うっせ。食ったもん勝ちだ、バーカ!」
怒鳴り合い、フンと顔を逸らして妃都美がその場から去っていったのを、屈辱的に思いながら見送った愛莉の口から、盛大にため息が吐き出される。
昨日の夜は懐いてくれたと思ったのに、これでは前途多難どころじゃない。
仲良くなれそうな未来が見えなくなって、泣きたい気持ちで座り直し、結局いつも通りひとりですることになった食事にも気分は落ちた。
黙々と愛莉が食べ進めている間に制服に着替え、家を出る準備を整えた妃都美は鞄を持って戻ってきた。
「なに、もう行くの?」
「こんなところに、一秒でも居たくないんでな」
「……朝も護衛してもらうから。私が食べ終わるまで待ってて」
「やなこった!」
「逆らえる立場じゃないから」
「まだ金も貰ってねえもん。あんなん無効だ、無効」
「…残念だけど、無効にはできないの」
「は?」
懐かなそうな未来が確定した時点で、愛莉の中から遠慮が消えた。
こうなる事は予想できていた。
だから愛莉が取った行動は……妃都美には、想像もつかないことだった。
「もう契約書に、サイン貰っちゃったから」
そう言って見せつけたのは、一枚の用紙だった。
なんのことか、訳が分からない妃都美は慌ててそれを奪い取って、内容を確認する。
おそらく契約内容であろう小難しい文の数々は読み飛ばして、一番最後。用紙の下の文字を真っ先に見た。
サインの箇所に書いてあったのは、父親の名前だった。
そこで、自分は売られたのだと気付く。
別にあの親に対して愛着があった訳じゃない。だからそこに関して落ち込むことこそしなかったが、妃都美が絶望したのは……帰る家を無くしたことだった。
このままでは、愛莉に縋らなければ路頭に迷う。
一瞬、それでもいいか…?と悩んだものの、どこかで決断しきれない自分に苛立った。
昨日以前の自分なら、真っ先にその道を選んだ。
だが今は、ふかふかベッドの心地よさを知ってしまった。
それもきっと愛莉の計算の内だと、気が付いた時にはもう遅かった。
三大欲求のうち、睡眠欲と食欲の二つを掌握された妃都美に成す術はなく、ただただ悔しさから唇を噛みしめることしかできない。
「……ずるいぞ」
憎しみを込めて睨んでも、愛莉は先ほどの仕返しなのか鼻で笑うだけだった。
「っこんなの、いつ書かせたんだよ!」
「…実は、あなたが入学した時には、もうすでに」
「は…?」
予想外の返答に、言葉を失う。
「おかしいと思わなかった?勉強できないのに、入試に合格するなんて」
「な……どういう、ことだ…?」
「おまけに問題行動を幾度となく犯しても全部お咎め無し。そんな高待遇……よほど高額なお金を積んで黙らせない限り、許されないわよね?」
「おい、お前……まさか」
「そのまさかだよ」
愛莉の言動によって、全て仕組まれていたことだったと。
妃都美の頭の中で、疑問に思い続けていたことの点と点が繋がって、解消された。
「あなたを奴隷にしたくて、裏金使っちゃった」
にっこりと、誰が見ても清廉潔白な笑顔を浮かべ、その裏でとんでもない私利私欲にまみれた目の前の女を、妃都美はおぞましく思いながら見下ろした。
こいつは、やばい。
最初の頃に抱いた感想は、間違いではなかった。
正真正銘、彼女はヤクザの娘だった。
「ヤクザが稼いだお金で生かされてるあなたは、ヤクザ以下…ってこと。分かった?」
「っ…ふざけんな!」
声を荒げて、感情のまま紙を破り散らかしても、愛莉の余裕な態度は変わらない。
それもそのはず、妃都美に渡していたのはあくまでもコピーであり、原本は彼女しか扱えない厳重に管理された場所に保管しているからだ。
荒々しい性格の妃都美に破られることは想定済みで、となれば原本を渡すなんて愚かな真似はしない。
「なんでこんなことすんだよ!なんであたしなんだ」
「…あなたじゃなきゃ、意味がないから」
「だから、なんでだって聞いてんだよ!答えろ」
「言ったところで、あなたには分からないわ」
どれだけ妃都美が喚いても、怒鳴っても、怒り狂っても、愛莉が本心を告げることはない。
そのくらい固い意志を持って、この行動を取っているからだ。
故に妃都美が真実を知ることは、当分来ないであろうことが確定していた。現時点では、一生来ないと言ってもいい。
それがまた……真意を知れないというもどかしさが、怒りへと繋がった。
「諦めて、私に付き従ってくれるわよね?」
そしてさらに、余裕綽々な愛莉によって神経を逆撫でされる。
確認のため聞かれた言葉に、反吐が出そうな思いで舌打ちを返した。
「お前にだけは、付き従わない。死んでもな」
契約なんざ関係ないと開き直る妃都美に、愛莉は微笑を返す。
「そのくらい威勢がいい方が、好きよ」
「きもちわりい。お前に好かれても嬉しくねえよ」
「これからが楽しみ。…いずれあなたが私に懐いて、尻尾を振る日が来るんだもの」
やたら挑発的な愛莉を、受け入れるわけもなく。
「死んどけ、クソ腹黒女」
口汚く吐き捨てて、妃都美は部屋を出て行った。
「……そうだね」
死んだほうが早いかもね、なんて。
暗いことを考えかけて、無理やり思考を遮断させた愛莉は、ひとり静かに食事の続きを進めた。
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