第3話
自分の焼いた肉を美味しそうに食べては、おかわりまで求めてきた相手を見て抱いた感想は“牙を抜かれた野犬”だった。
野犬は一度餌付けしたら気を許したのか、食べ終わった後も帰らず留まって、リビングのソファで横になってリラックスした様子でテレビを見ていた。まるで我が家で過ごしているかのような図々しさである。
食器を洗いながら、愛莉はいつ本題を切り出そうか悩んだ。
「……あのさ、斑さん」
「おい、見ろよ!この犬クソかわいいぞ」
洗い物を終えて、話をしようと心に決めて妃都美の元へ行くと、彼女は無邪気にテレビの方を指差しながら教えてくれた。
普段よりテンションの高い彼女本人が犬のようにも見えて、つい気が緩む。画面を見れば、動物を題材にした番組なんだろう、まだ生まれたての子犬が可愛らしく飼い主に甘える様子が映っていた。
「動物…好きなの?」
「可愛いのは好きだな。キリンとかゾウとか、デカいのは嫌い」
「そうなんだ。…私も猫とか犬は好きだよ」
ソファの前に腰を下ろして、ひと息つく。
「……今日、どうする?」
「ん?なにが」
「泊まっていく?」
愛莉からの質問に、妃都美は壁掛けの時計を確認した。時刻はもう夕方を超えて夜で、正直今から帰るのは面倒だな…と考える。
家に帰ったところで、何もない。飲んだくれの父親が今日も今日とて酔っ払って居座っているだけだ。
「ふかふかのベッドと、広めのお風呂もあるよ」
「泊まる」
魅力的な言葉達を並べられて、脊髄反射的に返事をした。愛莉はその早さに笑う。
「欲に正直ね、あなたは」
「衣食住は大事だろ。学校で習わなかったか?」
「あら。成績上位の私にそんなこと言えるの、斑さんくらいよ」
「へぇ…見た目通り、頭いいんだな」
「努力してるから。……斑さんも、勉強しよう?」
「いやだね。ダルい」
「ちゃんと勉強しないと、卒業できないよ?」
「いいよ別に。そしたら働くだけだし」
危機感すら抱かない妃都美は、呑気に仰向けになって頭の後ろで手を組んで天井を仰いだ。愛莉は首だけ動かして、妃都美の方を向く。
「あなたみたいな人、たくさん見てきた」
親の職業の影響で……とまでは言わなかった。
「女性は特に悲惨なものよ。だいたいが…風俗行き」
「だろうな」
「別にその仕事自体は否定しないけど……嫌々やる風俗は地獄と同じよ。あなたにそんな目にあってほしくない」
「……同情してんなら、やめてくれ」
愛莉に背を向ける形で体勢を変える。
言われなくても、自分が一番分かっている。このままだと、ろくな生き方をしない事は。高校を卒業してもしなくても、待ち受けているのはせいぜい風俗落ちか、一生フリーターで親に金を吸われ続ける運命だと。
痛感していて、もはや諦めが勝つ。
あんな父の背中を見て育てば、無理もない。人間誰しも、どうにも乗り越えられない壁があって、クズはクズとして生きていくほかない。
「同情なんかじゃない」
「…うるさいな。じゃあなんだよ」
「お願いがあるの」
ほとんど遮る形で言ってきた相手を横目でチラリと見て、真剣な眼差しを向けられていることに気が付いて体を起こした。
言い淀む様子から、やっぱり何か思惑があるのか、と逆に安心する。
「なんだよ、お願いって」
「お願いというより、交渉なんだけど…」
「おう。だからなんだよ。早く言え」
「私の、護衛をしてほしいの」
予想外の願いに、妃都美の脳内は一瞬停止した。
「ごえい…?」
「…うん。私を守ってほしいってこと」
冗談を言って、からかってるようには見えない。つまり本気で頼んでいるんだと察して、困り果てて後頭部に手を当てた。
願望を聞いても、その裏に潜む企みの正体が不明なままで、どう返そうか迷う。
愛莉は妃都美の言葉を数分待った後で、何も言ってこないことを確認してから話を続けた。
「私の親は今、敵対する組織と冷戦状態にあるの。ただそれも…いつ終わるか分からない。激化する恐れもある」
「おー、そうか。大変だな」
「娘で……ただの女子高生の私は狙われやすいの。だから、あなたに守ってほしい」
「んー…嫌だって言ったら?」
「お給料も払うし、毎日お肉も食べさせる。ここに住んだっていい……とにかく、そばにいてほしいの」
妃都美にとって、思いのほか魅力的な提案で僅かばかり心が揺れ動いた。
「その代わり、うちの組と関わりを持つことになる」
「いやだ。ヤクザになんてなってたまるか」
上手い話には裏がある、とはよく言ったもので……案の定、良いことばかりじゃない提案には考えることすらせず断った。
正直、断られることも想定に入れていた愛莉は、焦らず相手の顔を真っ直ぐに見つめる。
「所属したりするわけじゃない。ただ、ヤクザの家に出入りすることになるから……周りの人には勘違いされちゃうかもってだけ」
そう説明されても、素直に「はいそうですか分かりました」とは言えず、妃都美は一旦、思考をまとめるため天井を仰いだ。
この女と居たら厄介そうだ、という面倒くささと、衣食住に困らなくなるという魅力を頭の中で天秤にかける。
「私のこと、好きにしてもいい」
「……好きに、って?」
「パシリ…みたいな」
そこに新たな提案が入ってきて、思わず腕を組んで唸り悩んだ。
うまい肉、ふかふかベッド、広めのお風呂に……便利そうな人間を便利に扱えるときた。おまけに月いくらかは分からないが、金も貰える。
そうなったらもう天秤はグンと傾き、ヤクザ事務所に出入りすることなんざ大したことないように思えてしまった妃都美は結局。
「わかった。ごえいする」
人間の三大欲求には忠実に、抗うことすらできず頷いた。
「ありがとう…斑さん」
「じゃ、風呂上がりにアイス食べたいから買ってこい。好きにしていいんだろ?」
「え……あ、うん」
「あたしは犬見てるから」
気を取り直してテレビ画面を見始めた妃都美に戸惑いつつ、さっそくパシリにされたことにも驚きつつ、愛莉は立ち上がって出かける準備を始めた。
近所のコンビニにでも行けばいいかな……と、財布だけ持って部屋を出ようとして、
「夜道怖いから、護衛してくれる…?」
妃都美を雇った意義を思い出して、すぐそんなお願いをしにソファへと戻った。
「は?パシリになってくれるんじゃないのかよ」
「それは全然いいんだけど……ほら、いつ襲われるか分からないから…」
「えー…めんどくせえ。ひとりで行けよ。てかお前、強いじゃん」
「竹刀がないと、ただの女子高生だもん…」
「あたしもただの女子高生なんだけど」
「……お願い。怖いの、ひとりで行くの」
まるで本当にか弱い少女のような、弱々しい態度を見せられてしまっては、さすがの妃都美も強く出れずに折れた。
しぶしぶソファから立ち上がって、安堵した様子で歩き出した愛莉の後ろをついて歩く。
こうして歩いていると、身長差も相まって自分よりも随分と華奢な愛莉が、本人の言うように“ただの女子高生”にしか見えなくて、妃都美は余計に断る気も失せてしまった。
そう考えれば確かに、自分は女にしては体格も良く腕っぷしも強いから、護衛には適任なのかもしれない…とひとり勝手に納得する。
「でも……男に頼った方が心強くないか?」
「……結婚するまで、男性との深い関わりは禁じられてるの」
「なるほどな」
僅かばかり残っていた疑問も、コンビニへ行くまでの間にあっさりと解消された。
「まぁ…だけど、あくまで仕事は守ることだけだからな。奴隷とかみたいに言うことは聞かん」
「それで良いわ。…守ってくれたら文句は言わない」
付き従うことはしないぞ、と伝えれば、愛莉はそれが分かっていたかのような返事をする。
そして、「ただ」と付け加えた。
「必要な命令には従ってもらう。これも契約のうちよ」
「……例えば?」
「さぁ?その時にならないと分からない」
「じゃあ、あたしも言うこと聞くかはその時にならないと分かんねえな」
具体例は得られず、うまく躱されたことを不満に思うものの、同じような返事をすることで消化させた。
僅かばかり険悪な空気が、ほんの一瞬だけふたりの間に漂ったが、お互いそれ以上の言葉を口に出すことまではしなかった。喧嘩は面倒だ、と判断した結果である。
「…ついてきてやったんだから、アイス奢れよ」
「もちろん。なに食べる?」
「高いやつ」
「ふふ、欲張りね」
コンビニに到着後は、妃都美が遠慮なく食べたこともないお高めのアイスをいくつか手に取って、愛莉がそれをかごに入れて会計を済ませた。
「よこせ。今たべる」
「はいはい。ちょっと待ってくれる?」
店を出てから、袋造ごと奪い取ろうとした妃都美を諌めて、愛莉はため息をつきながらアイスを手渡した。
彼女はまるで躾のなってない犬のようで、渡してすぐ雑に包装を開けてゴミを地面に投げ捨てたのを、これまた深いため息をつきながら拾い上げた。
「ちょっと、ゴミはちゃんと袋に…」
「んぉ…!これうま!おい、すんごいうまいぞ、これ!お前も食えよ」
ひとくちかじって、感動したらしい妃都美が振り向きざまにアイスを愛莉の口元まで運ぶ。
突然の行動に驚きつつも、せっかくだから…と口に含んだ愛莉を見て、感想待ちなのか妃都美は目を輝かせて待った。
……本当に、犬みたい。
単純でバカそうで、欲や感情に正直すぎるのが、愛莉の目には眩しく映る。
「どうだ、うまくねえか?リピートだな、こりゃ」
「……そうね。もうひとつくらい買っておけばよかった」
「たしかに。買いに戻るか。お前、奢れ」
「はぁ…もう。仕方ないな」
よほど気に入ったらしい妃都美を連れて、またコンビニへと戻って、
「待って。買いすぎ」
「だってうまいんだもん」
「…まさか、今これ全部食べようとしてないよね?」
「え?食うよ。食うために買うんだから」
「お腹冷えちゃうでしょ。アイスは一日二個まで」
「えぇー…」
「じゃなきゃ買ってあげない」
「分かったよ……代わりに全部買え」
最終的に、店に出てた在庫の全てを買い占めて、ふたりは再び帰路についたのであった。
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