第2話
妃都美が学校に行くのは、単純な理由だった。
家に居ても、つまらないからである。
最近はそれに加えて、自称“友達”の愛莉と交わした約束もあり、今日も妃都美は雑に制服を着こなして家を出た。
家から学校までは徒歩十数分で着く。周りの景色を楽しむこともせず、無心で歩いた。
途中、塀に囲まれたそこそこ立派な屋敷がある。噂によると、ここはヤクザの事務所兼家だとか。こんな郊外に建っていると、敷地が広いこともあってよく目立つ。
そういえば昔知り合いだった半グレは、将来的に裏社会へ進むと言っていた。もう片足を突っ込んでいるようなもんで、今さら躊躇いもなければ表社会に居場所が無いらしい。
妃都美も自分も将来をぼんやりと考えて……すぐに思考を遮断させた。嫌なことは考えない方がいい。
「おはよう、斑さん」
屋敷を過ぎた辺りで、ばったり愛莉に遭遇した。
露骨に嫌な顔をした妃都美に、にこやかな笑顔で声をかけた愛莉はそのまま隣を歩く。
「今日は早起きだね。いつも遅刻してくるのに」
「……誰かさんに、ちゃんと朝から来いって言われてるからな」
「ふふ。じゃあ、その誰かさんにお礼を言わないとね?」
嫌味のつもりで言ったのに、笑顔を返されて舌打ちをする。
会話をするのもバカらしくて、その後は何を話しかけられても無視した。それでもめげない愛莉は、ひとり楽しそうに妃都美の方を見ては微笑んでいた。
いったい何がそんなにも楽しいのか、妃都美には分からなかった。面倒だから、考えることもしない。
「今日は一緒に帰ってくれる?」
「やだね」
「…うち、今晩は夕飯がステーキの日なの。けっこう良いお肉が食べられるんだけど……興味ない?」
「……ある」
「よかったら食べに来てよ」
「……行く」
「意外と単純なのね?」
「空腹には勝てん」
餌で釣られてると頭で理解していても、目先の欲を満たすため開き直った。飢えを満たせるなら、いくらでもプライドなんか捨てられた。
釣りに成功した愛莉は満足げで、気分良く歩みを進める。
学校に着いてからもそれは変わらず、やたらご機嫌な愛莉といつも通り無愛想な妃都美を交互に見ては、生徒達は戸惑っていた。
注目の的になっていることが鬱陶しくて、妃都美は道を外れて教室ではない別の場所へと向かった。引き留めようかとも思ったが、今は何も言わずその後ろ姿を見送って、愛莉は教室へと向かう。
「おい負け犬」
しかし両者とも、どこからか聞こえてきた声に足を止めた。
振り返って見回せば、妃都美と目が合った生徒達は揃って俯くか、顔を逸らす。その中にひとり、分かりやすくニヤニヤしている男子生徒がいた。
妃都美は迷わず男子生徒の前へと歩み寄って、自分より身長の低いそいつを見下ろしながら躊躇いなく胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「もう一回、言ってみろ」
「ぼ、僕じゃない」
聞こえた声と同じだと気が付いて、嘘をついてることにも腹を立てた妃都美の手が思いきり男子生徒の頬にバチンと派手な音を立てて当たる。
男子生徒は咄嗟に痛む頬を押さえて、信じられない顔で妃都美を見上げた。
「っち、違うって言ったのに…」
「嘘つくな」
「ほ、ほんとに僕じゃないんだって」
「そうか。じゃあ勘違いされるような顔してたお前が悪い。謝れ」
「そ、そんな…」
「謝るまでぶん殴ってやる。次はグーでいくから、ちゃんと歯…食いしばれよ」
「ひっ…」
振り上げた拳を、愛莉の手がやんわりと握った。
殴るのをやめて顔だけで振り向けば、視界に映った愛莉は無言で首を横に振る。
言われずとも意味を理解して、肩を竦ませた。
「……勘違いすんなよ、お前ら」
おとなしく男子生徒から手を離して、妃都美はため息まじりの声を出した。
「あたしが負けたのは、このクソ女だけだ。お前らにバカにされる筋合いはない」
親指の先を愛莉に向けて、妃都美は不機嫌に呟いた。愛莉は何を思ったのか、わざとらしく肩を竦ませる。
「同意ね。バカにしていいのは私だけ」
「お前もだめだぞ、ぶん殴るぞ」
「……すぐに手を出すのは良くないわ。さっきの子にも謝って」
「やだね」
「謝りなさい。…お肉無しにするわよ?」
不満は抱くものの、今夜の夕飯のためしぶしぶまだそばにいた男子生徒へと視線を向ける。彼は見られただけで怯えて身を縮こませていた。
どう謝ろうか…と頭の後ろを掻いた後で、相手を自分と壁に挟むように壁に手を付けた。
「先に言ってきたお前が悪いけど、殴ったあたしも悪かった。許せ。あと教師とか親に言ったらぶっ殺す」
「こら。脅さないの」
「……チッ、やりづれえな。わかった、すみませんでした!これでいいだろ。さっさとどっか行け、失せろクソ雑魚」
男子生徒の肩を掴んで横へ押して、その流れで愛莉の方へと振り向いた。
「だいたい、お前のせいでこうなってんだぞ。なんであたしが謝んなきゃいけないんだよ」
「負けたあなたが悪い」
「っ…クソ。油断してただけだ。二回目は負けん」
「そう。じゃあ今日の放課後、もう一回勝負してみる?」
「おう、後悔すんなよ。次はボッコボコにしてやる」
その言葉通り。
適当に時間を潰して学校を終え、放課後になって剣道部の武道館に移動してお互い道着もルールも無し、竹刀一本で勝負した結果。
「…あたしの勝ちだな」
倒れた愛莉の首元を掴んで体の上に跨った妃都美は得意げに笑った。
開始早々、自分の振り落とした竹刀を簡単に手でいなされて、そのままあっという間に後ろへと押し倒された愛莉は、驚きのあまりただただ妃都美を見つめていた。
経験者の放つ一太刀を片手で受け止めるなんて、そう簡単にできることじゃない。
「これで友達解消だ」
「……そんな約束、してないわ」
「負けたやつに拒否権はない、だろ?」
ニッと歯を出して笑った妃都美に、悔しさを募らせる。
これじゃ当初の目的が……と思ったところで、愛莉の上から退いた妃都美が気さくな感じで手を差し伸べた。
「そもそも友達って、勝ち負けで決めるもんじゃないだろ」
手を取って体を起こした愛莉は、素行の荒い妃都美の口から出たまっとうな正論に何も言い返せなかった。
「肉食わせてくれんなら、仲良くしてやってもいいよ」
よほど勝てたことで気分を良くしたのか、相手からそんなことを言われてホッと胸を撫で下ろす。この人が単純バカで良かったと、内心悪気なく小馬鹿にしながら安堵した。
そんなことを知る由もない妃都美はその日、肉につられて彼女の家へ行ったことを後悔する。
辿り着いたのが、今朝も通りかかった屋敷の前だったからだ。
「うわ、お前……ヤクザだったのかよ」
「…親がそうなだけ。私は違う」
「へぇ…ほんとにここヤクザの家だったんだな」
否定されなかったということは……と、察して感心した声を出す。
塀の向こうは思っていたよりも普通で、古民家がひとつと離れであろう建物が二つ並んでいた。広い庭には池やら盆栽やらが丁寧に管理されて綺麗な状態を保たれていて、ヤクザの家だと知らなかったら普通に裕福な地主の家と変わらない。
自分の住む家とは何もかも違う雰囲気に面食らいながらも、石畳の道を進んで玄関先まで案内された。
「お嬢!お帰りですか」
「……出てこなくていいっていつも言ってるでしょ」
入ってすぐ、いかにもチンピラな短髪の男が出迎えて、腰を低く頭を下げた。愛莉はそれに対し、不満を抱いているようだ。
「お!もしや、その方が…」
「余計なこと言わないで。部屋に招くから、入ってこないでね。お茶とかもいらない。それを伝えに来ただけ」
挨拶をする時間も与えられず、妃都美は終始冷たい態度の愛莉に続いて玄関を後にした。
彼女の部屋は母屋を一度出て、渡り廊下の先にある離れ丸ごと一棟、好きなように使える。離れは平屋で、中は普通の家と変わらなかった。
ダイニングキッチンに置かれたテーブルの椅子に腰を下ろして、慣れた動作でお茶を淹れる後ろ姿や周りの光景を眺める。
「……ほとんど、ひとり暮らしみたいな感じなの。ここに人は来ないから、リラックスしてね」
「あぁ、うん」
親は?…そう聞こうとして、やめた。
表社会で生きていきたいなら、関わらないのが正解なんだろうと察したからだ。
「あとで、お肉買いに行こう?スーパーまでついてきてほしい」
「なんだ、準備してないのかよ」
「うん。まさか本当に来てくれるとは思ってなかったから」
そこで、嘘をつかれていたんだと知った。
文句のひとつでも言ってやろうか考えて、肉を食べられることに変わりはないと開きかけた口を閉じる。
出されたお茶を飲んで、することもないから背もたれに体を預けた状態で、指遊びでもして暇を潰した。指でカエルを作るのは得意である。
テーブルを挟んで向かい側に座った愛莉は、カバンの中からスマホを取り出す。
「よかったら……連絡先、教えてくれない?」
「むり」
「お願い」
「いや……持ってないから。携帯」
このご時世、そんな人間がいるとは思いもしなくて面食らう。
しかし妃都美の家庭環境を考えたらありえなくもないか…とひとり納得して、愛莉は別の話題を持ち出そうと思考を巡らせた。
「さっさと肉食って帰りたいから、買い物行かね」
「あ……うん。お肉以外に食べたいものある?」
「米と味噌汁」
「和食が好きなの?」
「好きとかない。基本何でも食う」
「好き嫌いないんだ……すごいね」
「そんなん、贅沢なやつがすることだろ。不味くても食わなきゃ死ぬんだ、食えるもんは食うよ」
「そっか…じゃあ今日は、おいしいものでお腹いっぱいにして帰ってね」
純粋な優しさを受けて、慣れないことに妃都美は眉間のシワを寄せた。
彼女がどうしてそこまでしてくれるのかは分からないが、ありがたい話だと厚意を無下にすることはせず、愛莉に連れられて近所のスーパーへと向かうことにした。
「どれが良い?」
「…違いが分からん」
「こっちが国産、こっちは外国産」
「そう言われても分からん。どっちでもいい」
「じゃあ、せっかくだから高い方にする。どのくらい食べたい?」
「いっぱい」
「ふふ、いいよ。いっぱい買おうね」
快く笑って食材をカゴに入れていく彼女を、妃都美は不思議な顔で見下ろしていた。
幼い頃に見た、母親の顔を思い出す。
…なんでこいつは、こんなに良くしてくれるんだろう。
疑心暗鬼にならずにはいられない。今までこんな優遇を他人から受けたことは少なくて、真意が不明なことが僅かばかり心に不安を与えた。
ただ、貰えるものはありがたく貰う。
思惑があっても関係ないと気持ちを切り替えて、普段食べれないものにありつけることを心待ちにした。
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