第16話
「お友達が来るのかい」
電話を切ってすぐ、隣で聞いていた祖母に話しかけられて、苦笑いを返した。
「あー……ごめん。勝手に呼んじゃって…」
「いいんだよ、いいんだよ。せりちゃんがお友達を呼ぶなんて初めてだね」
「ちょっと、心配で」
「そうかそうか。そしたら、あれだね。お友達が来るなら、お茶とお菓子を用意しようね」
「ありがと、ばぁば」
心なしかウキウキとした足取りで台所へ移動した背中を見て、自分も迎え入れる準備をしようと立ち上がる。…化粧は無理でも、せめてカラコンだけでも。
「せっかくだから、スイカも切ろうか」
「いいね」
よほど嬉しいらしく、終始ニコニコで招く準備を進める祖母を横目に、さっきの電話でついイライラして態度に出してしまったことを反省した。
対面なら些細な表情の機微や視線の動き、顔色なんかを頼りに言いたいことを汲めるけど、声しか聞けない電話だと話してくれない限り無理なのになかなか言わないからもどかしくなっちゃった。
後で謝ろ……葉山は繊細だから、きっと傷付いちゃったよね。
ついでに、今度からは電話の時だけは言葉で伝えてもらうように、それも言おう。これからのためにも。
――これから?
「あ。せりちゃん、来たみたいだよ」
違和感を違和感として認識する前に来客を知らせるベルとばぁばの声で意識を現実へ戻して、玄関先へと足早に向かった。
「わお。汗やばいね」
戸を開けると、前髪が汗で濡れてベッタリと額にくっつけた葉山の姿が見えて、とりあえず家に招きつつ急いで脱衣所からタオルを取って来て渡した。
慣れない場所に目をまん丸くしてキョロキョロする様子が、拾ってきたばっかの子猫みたいで微笑ましく、自然と口角が緩んだ。
「いらっしゃい。こんにちは」
「っ…!こ、こんにちは」
「かわいらしい子だね。遠慮しないで、こっちへおいで。スイカがあるよ」
「す……っあ、はい。お、おじゃまします」
初対面の祖母とは吃りつつもしっかりと挨拶をしていて、意外にも最低限の礼儀は兼ね備えていることにびっくりした。てっきりそういうの、苦手だと思ってた。
気を使ってか、祖母の出してくれた「せっかくだからあっちで食べたらどうか」という提案に乗って、ふたりで縁側に腰を落ち着けた。
縁側は蒸すような外気とエアコンの効いた室内の空気がちょうどいい具合に混じり合い、快適な空間が出来上がっていた。祖母と飾った風鈴の音も風流で清々しい。
風物詩の赤いシャリシャリを口いっぱいに頬張りつつ、輪郭のはっきりした、この季節だからこその群青を仰ぐ。
「夏だね〜」
「う、うん。夏、だね」
電話越しの感じから何か嫌なことでもあったのかなって心配してたけど、口の端に隠しきれてない照れと喜びが宿っているのを見逃さず捉えて、少し気が抜けた。
「さっき、ごめんね」
「ん……え、あ。なに…?」
「冷たくして、ごめん」
謝ったあたしに葉山は小さく首を横に振って、これまた小さく「私も」と頭を下げた。
喧嘩にもなってなかったやり取りの仲直りを済ませたあたし達は、ただただ爽快な甘さを感じるひとときを過ごして、しばらくしてちゃんと伝えるため向き直った。
相手も何かを勘付いて、体ごとこちらを向く。
「あのね、葉山」
「?……うん」
「言葉にするの難しいかもだけど、電話の時はちゃんと言葉にして言って。じゃなきゃ分かんないよ」
ほんのちょっと、感じた怒りを乗せて目をしっかり見て伝えれば、葉山は分かりやすいくらいしゅんと肩を下げた。
「……うん。ごめん、なさい」
俯き加減に、唇の先を尖らせて反省する仕草は子供そのもので、母性本能的な何かが心をくすぐってくる。
「それで?なんで電話してきたの。なんかあったの?」
暗く沈み切らないように切り替えて、話を変える目的もあって聞くと、チラリと伺うような視線が一瞬だけあたしを見てきた。
だけど顔ごと逸らされて、長い沈黙が始まる。
覚悟が決まるまでの間、ただ待ってるのも暇だからスイカに手を伸ばした。
「……て」
「ん?」
それも、掴む前に微かな声が鼓膜に届いたから止めた。
「なに…」
「あ、会いたく、て…」
言われた内容を理解できた瞬間に、衝撃にも近い喜悦と震えが胸を打った。
「え〜、なにそれかわいい。さびしかったの?」
「ぅ……や、それも、あるけど」
「うん」
「ほ、ほんとにただ、顔、見たくて……お話、したくて」
汗だくで、一生懸命に自分の気持ちを吐き出そうと頑張る行動と、炎天下に肌を晒して来るほど求められていた事実にむず痒いような激情が沸き立つ。
「やば。まじかわいい…」
自分でもびっくりするくらい、鼻にかけた吐息混じりの声が漏れた。
スイカにも負けないくらい真っ赤になった頬を包んで、次々と心臓から全身へ解き放たれる愛らしさに身を委ねる。
もう、耐えきれなくて。
「ちゅーしてもいい?」
赤ちゃんや小動物相手に抱くものとなんら変わらない欲望を口に出したあたしを、葉山はなぜかひどく動揺して潤んだ瞳で見つめてきた。
戸惑う視線にはねだる視線を返して、相手の了承を得る前に顔を近付ける。
鼻先が触れるところまできたところで、ふるふると細やかに揺れていたまつ毛が落ちるのが、目を閉じる前の視界に映った。
音のない了承を受け取って、薄く唇を開く。
ぷっくらと腫れた艶のある柔らかさに、高まった自分の温度を重ねた。
触れたのはほんの一秒にも満たないくらい一瞬で、
「ん〜……ほんとかわいいねぇ」
上がったテンションをそのままに頬をもみくちゃにしてたら、忙しなく瞬きを繰り返し、ぐるぐると目を泳がせた葉山が勢い良く立ち上がった。
「っ……わ、わた、わたし」
「ど、どした。葉山?」
「猫じゃないよ…!」
「は…?」
いきなり、何を当たり前なことを。
意味不明すぎて混乱していたら、引き止める隙もないくらいものすごい速さで家を飛び出してしまった。
「あ。もしかして」
動物扱いしたこと、怒った?
猫の代わりにされたって勘違いしたとか?
もしそうならまた謝ることが増えちゃったなー…って。前回も同じ反省したのに。
いくら可愛くてもキスするとか、やり過ぎだよね。てか人間相手に抱く感情じゃないよね。普通にやばいわ。頭ではちゃんと分かってるんだけどなぁ。
我慢できないの、なんでだろ…?
「まじ謎…」
ちなみにこの後、居間に戻ったら、
「外からも見えるよ、縁側」
やんわりと注意されちゃった。これも反省。
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