第十九節「血の交錯(前半)」
夜の竹ノ塚。街灯が滲む湿気を帯びた空気の中、雨はまだ降り出していなかった。
だが、空気は重く、肌を刺すような緊張が地を這っている。まるで、この静けさ自体が嵐の前触れだと言わんばかりに。
「……時間通りね」
コートの襟を立てた白神紗夜が、小さな呟きと共に竹ノ塚団地の一角に姿を現す。彼女の視線の先には、すでに黒スーツ姿の男が待っていた。
「ギルド本部からの離反者と接触を? 命知らずね、白神」
「敵に寝返ったとは限らない。彼はまだ、線の上を歩いてるだけよ」
紗夜は口元を引き締め、足元のぬかるみに一瞬視線を落とした。
その男――名を狩野拓巳。元はギルド幹部のひとりでありながら、ここ数週間、複数の重要作戦の情報が外部へと漏洩している件で「疑惑」の目を向けられていた人物だ。
「俺は……ただ、バランスを取ろうとしてるだけだ」
静かに語る狩野の目は疲れていた。その瞳には、何かを諦めた者の色と、なお残る執着の火が入り混じっていた。
「君もわかってるだろ。今のギルドは、もう“理想”から逸れすぎた。自衛軍と癒着し、内部の粛清すらも政治の駒にしてる……そんなものが正義だと?」
「それでも……私たちは選ばれた。人々を守る責務がある」
「責務? それは、“あいつ”にも通じる言葉か?」
狩野の声が低くなる。紗夜はわずかに眉を動かした。
――“あいつ”。
そう、朝比奈一翔。
ギルドにとって、いや、国家にとっても、今や鍵を握る存在となった男。クローゼットの中から異界へ通じるダンジョンを持ち、自律型拠点としても機能する“マイルームダンジョン”を操る希少なスキル保持者。
そして、その一翔の周囲には、着々と人が集まりつつある。常磐瑠璃、灰島匠、時には地下スラム出身の情報屋まで――。
「……一翔をどうするつもり?」
紗夜の問いに、狩野は答えない。代わりに、ジャケットの内ポケットから一枚のUSBメモリを取り出した。
「ここに、今夜の作戦の概要が入ってる。ギルドから出た“特別部隊”が、一翔の拠点を包囲するつもりらしい」
「ッ……!」
「だが、安心しろ。まだ“完全な指令”にはなってない。俺の情報が流れれば、少なくとも今夜の襲撃は中止に追い込める」
「どうして……そこまでして、あなたは一翔を守るの?」
狩野は言葉を詰まらせた。だが、しばらくして口を開いたとき、その声には微かに懐かしさが滲んでいた。
「昔、あいつに救われたことがあるんだ。今度は……俺が借りを返す番だと思ってな」
紗夜はUSBを受け取り、黙って頷いた。その瞬間、遠くで微かに――銃声に似た破裂音が響いた。
「……間に合うかもしれない。だが、狩野、もう後戻りはできない」
「最初から覚悟はしてる。……俺は、すでに“線”の外側にいるよ」
そう言って狩野はその場を離れた。紗夜はしばし立ち尽くし、濡れた空を見上げる。
「一翔……あなたは、何を信じて、誰を信じて生きるの?」
そして、次なる“交錯”へと、物語は動き出す――。
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