第十八節「開戦前夜(後半)」

薄曇りの空が夕闇を迎えようとする中、竹ノ塚のとある屋上では、小さな作戦会議が静かに行われていた。風が吹くたび、干されたシートがはためく。


「——つまり、ギルド《レイヴンネスト》側の情報が、外部に漏れていた可能性が高いってわけか」


狩野拓巳が低い声で呟いた。彼の顔はいつになく険しい。テーブルに置かれた簡易マップには、数日前に敵対組織赫ノ手の出没が確認された地点が赤くマークされていた。


「“偶然”が重なりすぎてる。進行ルート、補給のタイミング、全て読まれてるような動きだ」


と、同席する情報担当の和泉奏が言葉を継ぐ。彼女の指はタブレットをすばやく操作し、表示された通信ログを指差す。


「ギルド内部のIDから発信された通信が、ある特定のタイミングで地下ネット経由のアドレスに跳んでいる。暗号化されてたけど、遅延発信のパターンから見て意図的な送信と見て間違いない」


「……内通者か」


朝比奈一翔は唇を引き結び、視線を落とした。常磐瑠璃が軽く首をかしげる。


「その情報、ギルドにはまだ?」


「まだだ。混乱を避けるためにも、まずは裏取りが必要だろう。濡れ衣の可能性もある」


そう答えたのは、先日朝比奈に接触してきた斎賀という中年の探索者。元・公安系の出身らしく、こうした諜報や裏切りの扱いに長けていた。彼は視線をひととき、常磐に移した。


「それと……君の“感知”能力も、ここで活かせるかもしれない」


「私に?」


「うん。君の感覚能力は“魔力の波”を感じ取るだけでなく、感情や罪悪感のような“意識の歪み”もかすかに拾えるだろう? それを使って、対象者の“嘘”や“動揺”を探れるかもしれない」


瑠璃は頷く。確かに自分のスキル《霊感知》には、精神的な波を感受する特性があった。戦闘以外でもそれが活かせるなら——と彼女は静かに目を閉じた。


「……調べてみます。ただし、一度に多くの人を見るのは無理です。深読みしすぎると、逆に自分が飲まれてしまうから」


「十分だよ」


一翔が短く言う。声には無理がない。彼はこうした場面で、無理に力を込めることを好まないのだと、瑠璃は感じていた。


その場に沈黙が流れる。だが、それは不安ではなく、戦いに備える静かな呼吸のようなものだった。


「……それと、ダンジョンの拠点化、進めていいな?」


一翔の言葉に、拓巳が振り返った。


「“マイルームダンジョン”、か」


「ああ。すでに自宅内に生成された構造は、安定してる。瘴気の干渉をほぼ遮断できる“内域”も確保できるし、戦闘時の緊急避難にも使える」


「地下の第二層を鍛冶や薬製造向けに改築するって話も進んでたな。防衛ラインを二重に敷ければ、かなりの持久戦に耐えられる」


斎賀も頷く。


「本格的に“陣地”として扱えるようになれば、赫ノ手への防衛拠点として有効だな。だが、それは同時に目を付けられるってことでもある」


「なら、こちらからも仕掛けよう。中途半端な静観は逆に危ない」


その言葉に、全員の目が朝比奈に集中した。


「いずれ、“東京湾ダンジョン”そのものに対する奪い合いが本格化する。その前にこちらの拠点を完成させて、各組織の対応を測る」


「ギルド本部には?」


「まだ言わない。けど、いずれ話す」


その声には、迷いがなかった。


——と、そんな時。風に乗って何かの“香り”が流れた。湿った鉄の匂い。血の香り。


「来るよ」


瑠璃が目を見開いた瞬間、非常階段の奥で“ざらついた気配”が弾ける。


「っ! 偵察か!」


斎賀がすばやく銃を構えた。すぐに数名の気配がビルの隙間を縫って接近してくるのがわかる。しかも——そのうちの一人は、見覚えのある気配を纏っていた。


「まさか……“あいつ”か」


朝比奈が静かに呟くと、彼の瞳にはほんのわずかに、過去の因縁を思わせる冷たい色が浮かんだ。


「準備はいいか? この“開戦前夜”を、生き延びるために」


誰もが頷いた。静かに、確かに。


夜は、始まろうとしていた。

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