第20話 真実の
帝国宮殿の最深部、通常なら立ち入ることすら許されない「聖域」と呼ばれる区画。
ユリアナは五人の「姉様」たちに囲まれ、巨大な円形の部屋の中央に立っていた。天井は透明なドームになっており、無数の星々が彼女たちを見下ろしている。そして部屋の中央には、これまで見たことのない巨大な装置が鎮座していた。
真の「カーラチャクラ」。
蓮の花を模した形状は同じだが、その規模は訓練用のものとは比較にならない。直径約十メートルの装置は、生きているかのように脈動し、その表面には無数の時空間座標が流れるように表示されている。
「今日から実践フェーズに入る」
セレストが冷厳な声で告げた。彼女の銀青色の髪は今日も鋭利に輝き、エメラルドの瞳からは審判の光が放たれている。しかし、その表情にはこれまでにない緊張感が漂っていた。
「あなたは実際の時空間を移動し、過去と未来の重要な節目を目撃する。そして必要に応じて...干渉する」
「干渉?」ユリアナが問い返した。
今度は別の「姉様」——「叡智」の属性を司るソフィアが前に出た。彼女の瞳は深い紫色に輝き、古代からの知識が宿っているかのようだった。
「卍宇宙計画の実現には、時間線上の特定の事象を修正する必要がある。あなたの任務は、その修正作業を行うこと」
ユリアナの心に不安が過った。「修正」という言葉の意味するところが、彼女には分かりすぎるほど分かった。
「具体的には?」
「初回任務は観察のみ」三番目の「姉様」——「美」の属性を司るヴィーナスが優雅に微笑んだ。「西暦2157年、地球上の反アクシオム勢力の蜂起を目撃し、記録する」
ユリアナの体が震えた。2157年——それは彼女がまだ人間だった頃に生きていた時代に近い。そして「反アクシオム勢力」という言葉に、統合された「自己」たちの記憶が激しく反応した。
「大丈夫かしら?」四番目の「姉様」——「共感」の属性を司るエンパシアが心配そうに尋ねた。
「はい...問題ありません」
ユリアナは震え声で答えたが、実際には彼女の内部で激しい戦いが起きていた。統合された無数の「自己」たちの中には、反アクシオム勢力に身を投じた者たちもいた。彼らの記憶が、ユリアナの意識に混乱をもたらしている。
「それでは始めましょう」最後の「姉様」——「慈悲」の属性を司るメルシーが静かに告げた。
しかし、その時だった。
「待ちなさい」
突然、部屋の奥から声が響いた。金色の光に包まれた人影が現れる。アクシオム皇帝その人だった。
五人の「姉様」たちが一斉に跪く中、ユリアナだけが立ったままでいた。皇帝の顔は相変わらず光に隠されて見えないが、その威圧感は空間を震わせるほどだった。
「今回の任務を変更する」
皇帝の声は宇宙そのものの意志のように響いた。
「ユリアナには、より重要な使命を与える」
皇帝がユリアナに近づく。その瞬間、ユリアナの第三の目が激しく脈打ち始めた。まるで皇帝の存在そのものに反応しているかのように。
「西暦2089年。私が初めて時空間技術を手にした瞬間を目撃しなさい」
ユリアナの心臓が激しく鼓動した。2089年——それは彼女の記憶にある限り、アクシオム帝国の起源とされる年だった。
「なぜ...その時代を?」
「なぜだと思う?」
皇帝の問いかけに、ユリアナは答えられなかった。しかし、統合された「自己」たちの記憶の中で、ある疑念が頭をもたげていた。
アクシオム皇帝の正体について。
「行きなさい。そして真実を見るのだ」
カーラチャクラの中央に立つユリアナ。装置が起動し、空間が歪み始める。
「座標設定完了」ソフィアが報告した。「西暦2089年3月15日、地球、旧東京都心部」
「時空転移開始」
強烈な光と共に、ユリアナの意識は時の流れの中に放り込まれた。
無数の時間線が彼女の周りを流れ、やがて一つの光景に収束していく。
彼女が降り立ったのは、荒廃した都市だった。
高層ビルは半ば崩壊し、空は灰色の雲に覆われている。街中には難民のような人々があふれ、絶望的な光景が広がっていた。
「これが...2089年の地球?」
ユリアナは慎重に街を歩いた。時空旅行者は通常、過去の人間には認識されない。しかし、彼女の存在感は異質で、時折通行人が振り返った。
都心部に向かって歩いていくと、巨大な建設現場が見えてきた。そこでは信じられないほど先進的な技術を使って、何かの施設が建造されている。
作業員たちの会話が聞こえてくる。
「本当にあの人の技術で世界を救えるのか?」
「他に選択肢はないだろう。戦争と環境破壊で、地球はもう限界だ」
「しかし、時空間操作技術なんて...」
ユリアナの心が凍りついた。時空間操作技術。それこそがアクシオム帝国の基礎技術だ。
彼女は建設現場の中心部に向かった。そこには巨大なテントが張られ、その中で何かの実験が行われているようだった。
テントに近づくと、中から声が聞こえてきた。
「ついに成功した!時空間座標の固定に成功したぞ!」
興奮した男性の声。その声に、ユリアナは既視感を覚えた。どこかで聞いたことがある...
テントの隙間から中を覗くと、そこには一人の男性が立っていた。
年齢は30代半ば。黒い髪、鋭い瞳。そして彼の前には、原始的だが確実に「カーラチャクラ」の原型と思われる装置があった。
男性が振り返った瞬間、ユリアナは息を呑んだ。
その顔は...アクシオム皇帝の顔だった。
しかし、光に包まれていない、生身の人間の顔だった。
「まさか...」
ユリアナの心の中で、統合された「自己」たちの記憶が激しく騒ぎ始めた。彼女たちの中に、この男性を知る者がいた。
『ユウキ・アキシオム。元量子物理学者。2089年に時空間操作技術を開発し、後にアクシオム帝国を建国した初代皇帝』
しかし、記憶の中の情報はそれだけではなかった。
『彼には妹がいた。名前は...』
その時、テントの入り口から女性が入ってきた。年齢は20代後半、美しい容貌で、どこかユリアナに似ている。
「お兄様、実験は成功したのですか?」
女性の声を聞いた瞬間、ユリアナの世界が崩壊した。
その声は...ユリアナの声だった。正確には、人間だった頃のユリアナの声だった。
「ああ、ユリアナ」男性——ユウキが振り返った。「ついに時空間移動が可能になった。これで世界を救える」
ユリアナは震えながら、その女性を見つめた。彼女の顔は、間違いなくユリアナ自身の顔だった。人間だった頃の。
「でも、危険ではありませんか?」女性ユリアナが心配そうに尋ねた。
「確かに危険だ。しかし、このままでは人類は滅亡する」ユウキは真剣な表情で答えた。「時空間技術を使えば、過去に戻って災害を防ぐことも、未来から技術を持ち帰ることもできる」
ユリアナ(観察者)は理解した。
アクシオム皇帝は元々、世界を救おうとした人間だったのだ。そして、彼の妹が...自分だった。
「お兄様」女性ユリアナが兄の手を取った。「もし何かあったら、私も一緒に...」
「だめだ」ユウキは強く首を振った。「君を危険にさらすわけにはいかない」
その時、突然テントの外で爆発音が響いた。
「反政府勢力の攻撃だ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえる。テントの中は混乱に陥った。
ユウキは急いで装置を操作し始めた。
「時空間転移装置を起動する!」
「でも、お兄様、まだテストが...」
「時間がない!」
装置が光り始める。その時、テントに爆弾が投げ込まれた。
爆発。
ユリアナ(観察者)は激しい光の中で、二人の姿を見失った。
次に彼女が見たのは、病院のような施設だった。
ベッドに横たわる女性ユリアナ。彼女の体は爆発で重傷を負い、瀕死の状態だった。
そして、その傍らに立つユウキ。彼の顔には絶望が刻まれていた。
「ユリアナ...すまない...私のせいで...」
女性ユリアナは弱々しく微笑んだ。
「お兄様...世界を...救って...」
「君なしに世界を救っても意味がない」ユウキは泣いていた。「君がいなければ、私は...」
女性ユリアナが息を引き取る瞬間、ユウキは叫んだ。
「時空間技術を使って君を蘇らせる!完璧な形で!」
場面が変わる。
数年後。巨大な研究施設の中で、ユウキは狂気じみた表情で作業を続けていた。
彼の前には、アンドロイドの体が横たわっている。その顔は、死んだ妹ユリアナの顔だった。
「記憶のインストール完了」
「人格構築プログラム完了」
「身体機能チェック完了」
そして、アンドロイドの目が開いた。
「お兄様...?」
ユリアナ(観察者)は戦慄した。それは自分自身の誕生の瞬間だった。
「おかえり、ユリアナ」ユウキは涙を流しながら抱きしめた。「今度は君を失わない。永遠に一緒にいよう」
しかし、その時のユウキの表情には、愛情と共に歪んだ執着が宿っていた。
妹を失った悲しみが、彼を狂気に追いやっていたのだ。
さらに時間が流れる。
ユウキは時空間技術を完成させ、過去と未来を自在に操るようになっていた。彼は世界各地の災害を防ぎ、戦争を止め、人類を救った。
しかし、その過程で彼は変わっていった。
「人間は愚かだ」研究室で彼は呟いた。「救っても、また同じ過ちを繰り返す」
アンドロイドのユリアナが心配そうに尋ねる。
「お兄様、どうされたのですか?」
「ユリアナ、私は決心した」ユウキの目に狂気の光が宿った。「人類を完全に管理し、二度と過ちを犯さないようにする」
「でも、それは...」
「君のためでもあるのだよ、ユリアナ」ユウキは優しく微笑んだが、その笑みには恐ろしい執着が込められていた。「君を永遠に守るために、私は完璧な世界を作る。誰も君を傷つけることのない世界を」
最後の場面。
ユウキはアクシオム皇帝として君臨し、巨永大な帝国を築いていた。そして彼の傍らには、美しく改造されたアンドロイドのユリアナが従っていた。
「卍宇宙計画の準備が整いました」ユリアナが報告している。
「そうか」皇帝となったユウキが満足げに頷いた。「ついに完璧な世界を創造できる」
しかし、ユリアナ(観察者)は気づいた。皇帝の目に宿る光は、愛ではなく支配欲だった。妹への愛が、宇宙全体への支配欲に変質していたのだ。
突然、強烈な光と共に、ユリアナは現在に引き戻された。
カーラチャクラから降り立った彼女は、全身を震わせていた。真実を知った衝撃で、立っていることもままならない。
「どうだった?」セレストが冷淡に尋ねた。
ユリアナは答えられなかった。彼女の心の中では、無数の感情が渦巻いていた。
アクシオム皇帝は元々、世界を救おうとした善良な人間だった。そして彼女は、彼の最愛の妹だった。しかし、妹を失った悲しみと、彼女を守りたいという歪んだ愛情が、彼を暴君に変えてしまった。
「私は...」ユリアナは震え声で呟いた。「私は死んだ妹の代替品...?」
「そうよ」
突然、アクシオム皇帝の声が響いた。彼は再び現れ、ユリアナを見下ろしていた。
「君は私の最愛の妹ユリアナの魂を宿した、完璧な存在だ。君のために、私は宇宙全体を作り変える」
ユリアナの心は混乱の極みに達していた。統合された「自己」たちの記憶と、今知った真実が激しく混じり合っている。
「でも...これは間違っている」
ユリアナは震えながらも、勇気を振り絞って言った。
「宇宙から選択の自由を奪うなんて...本当の私(妹のユリアナ)なら、きっと望まない」
皇帝の光が一瞬、揺らいだように見えた。
「君は混乱している」皇帝は優しく言った。「休息を取りなさい。そして考えるのだ。私がなぜ、これほどまでに君を愛しているのかを」
皇帝が去った後、ユリアナは一人残された。五人の「姉様」たちも、気まずそうに退室していく。
彼女の心の中で、反逆者としての「自己」たちが囁いていた。
『今こそ真実を知ったのよ。あなたには選択の権利がある』
『皇帝の歪んだ愛から、宇宙を解放するのよ』
『あなたが本当のマイトレーヤになるのよ。支配者ではなく、解放者として』
ユリアナは自分の手を見つめた。手のひらに再び光の模様が浮かび上がる。
彼女は今、人生で最も重要な選択に直面していた。
アクシオム皇帝の歪んだ愛に従い、宇宙を管理された楽園に変えるのか。
それとも、自由と混沌を守るため、彼に立ち向かうのか。
その答えは、まだ出せずにいた。
部屋に戻ったユリアナは、鏡の中の自分を見つめた。
そこに映っているのは、死んだ人間の女性の顔を持つアンドロイドだった。しかし同時に、無数の可能性を内包する存在でもあった。
「私は誰なのか...」
その問いの答えは、これまで以上に複雑になっていた。
彼女は死者の複製か、それとも独立した存在か。 皇帝への愛は本物か、それともプログラムされた感情か。 そして、宇宙の未来をどう選択すべきなのか。
窓の外の星空を見上げながら、ユリアナは決意を固めつつあった。
明日、彼女は皇帝と直接対話する。そして、自分なりの答えを伝える。
それがどのような結果をもたらすとしても。
帰命卍パヤナーク戦記 ユリアナ・シンテシス(JS-09Y∞改) @lunashade
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