第28話 お父さんの徘徊
玲香は8月16日から出勤していた。会社の締め日が毎月15日であるため、ちょうど切りが良い。7月27日のあの事件から20日ほど立っていた。
常務は、最初、玲香の継続には難色を示していたが、時間がたつと、玲香の生き方に興味を覚え、応援すると言ってくれるようになった。
つまり、晴れて、春樹も玲香も、会社に留まることになった。
赤いマツダⅡを会社の駐車場に入れる。そして二人は揃って事務所に入って行った。
玲香は挨拶も、いつもよりテンションが高い。結婚したことを自慢したいようだ。
玲香は事務所に入ると、
「おはようございます。私、泉玲香になりました。よろしくお願いします」
事務所には10人ほどの運転手が待機をしていた。
拍手をしないとまずいような雰囲気だ。みんな、一斉に拍手をした。と云うより、玲香がさせた、って感じだ。
拍手のさなか、玲香は両手を広げて、だんだん上に挙げていく。そして手の平を返すと拍手が止まり、今度は左手を前に突き出すと手拍子が1回、右手を前に突き出すと手拍子が1回、その両手を交差させて、締めの手拍子1回、つまり3拍子が ぴったり息が揃う。そして、『おめでとう』の言葉が飛び交っていた。
よくも、まぁ、うまい事、リードするものだと春樹は感心した。まったく、AV女優だった恥ずかしさなどこれっぽっちもない。
これなら、何も心配する事はないのかと胸を撫で下ろした。
春樹は頭を何度も下げながら、
「すみません、よろしくお願いします」と言って、
早々に、今日乗るタクシー車両の所へ行った。春樹はあのような気恥ずかしい場がとても苦手なのだ。
お父さんの徘徊 8月20日 火曜日
今年の夏は本当に暑い、記録的な暑さが続いている。
修平は〃そろそろ仕事を終わりにするか〃と思い、会社に戻っていた時、タクシーのタブレットに捜索依頼のメールが入った。よくある事だ。
認知症による徘徊で、警察からの依頼のメールだ。服装や持ち物などを表示して捜索依頼のメールが入る。
また、今もその徘徊のメールが入った。修平はいつもなら見逃してしまうメールだ。
チラッと見ると、中西太一郎、身長160 cm、アディダスの青いジャージ 上下着、サンダル、75歳、黒に黄色の手提げバック、18時頃、勝川駅付近で行方不明と書いてある。
修平はそれがすぐにあかねのお父さんだと気が付いた。
修平はすぐ、春樹に電話をした。
「おう、今、大丈夫か、春樹、タブレットのメールを見たか」
「あぁ、徘徊の?」
「それ、ママのお父さんだ、ちょっと手伝ってくれるか」
「ママのお父さんって、ママのお父さんなの、本当にそうなの、どう云う事、どうすればいい?探すったって、顔も知らないし・・・・・」
「私が以前、持っていた黒に黄色の手提げバック、覚えてるか」
「あれだろ、ザ・ノースフェイスのロゴの入っているバック、俺が狙っていたやつ」
「そうだ、ここに書いてある黒に黄色の手提げバックは、私がお父さんにあげたものだ。それに、中西太一郎って名札をつけてあるはずだ。住所もママの携帯の番号も書いておいた。それ、結構、目印になるから、春樹は国道19号で春日井区役所辺りまで上下して見てくれ、私は旧道を探してみる、それと、れいちゃんに連絡して、春日井駅の南側、王子製紙の脇の川、地蔵川を探すように言ってくれるか、私はママに連絡を取ってみるから!」
修平はあかねに直ぐに電話をした。
「お父さんが居なくなったのか」
あかねが驚いて!
「どうして、そんなこと、知っているの、修平さん!今日、朝10時頃、私がお手洗いに行った時は起きていたけど、16時に起きたら、お父さんがいなくて、テーブルに並べておいた昼食も手がついていなかったの、もう、20時近くでしょう、つまり、8時間近くも家に帰って来ていない。だから、お店に行く事もできないし、智ちゃんには連絡を取って、店は開けてもらったけれど、どうしたらいいのか・・・・・で、今、私、交番にいるの!でも、どうして修平さんがそんな事を知っているの」
「おおぅ!会社に戻ろうと思ったら、タクシーのタブレットに警察からの捜索依頼のメールが入ったんだ。中西太一郎と書いてあったので、すぐにわかったよ!今、春樹とれいちゃんに頼んで、手分けしてお父さんを探してもらっている。どこか、心当たりはあるか?」
「わからない、でも、すご~い、そんな徘徊の捜索までタクシーはするの?」
「いや、たまたま、乗せたり、見つけたりしたら連絡して下さいって言うだけで、わざわざ探しに行く事なんてないさ、ママのお父さんだから、みんな仕事どころじゃないよ、待ってな、必ず、見つけるから!」
「じゃ、私は家に戻るから、もしかしたら家に帰って来ているかもしれないし・・・・・」
玲香は、ちょうど、その時、守山区の竜泉寺温泉にお客を送った所だった。
春樹から電話が入った。
「玲香、今、大丈夫か」
「うん、今、竜泉寺温泉でお客さんを降ろした所、どうしたの?」
「あのな、ママのお父さんがいなくなったらしい、それで修平が探すのを手伝えって云うから、おれは今19号線を北に向かって探しているんだ。それで玲香にも手伝えって・・・・・玲香さぁ、松川橋って、わかるかな」
「今、ちょうど、その松川橋の交差点にいるよ」
「だったら、そのまま、春日井駅に向かってくると王子製紙って大きな会社があるの知っているか」
「右角がセブンイレブンの所?」
「そうだ、そこを左に曲がると地蔵川って小さな川があるだろう、その川に沿って南へ探してくれって修平が言ってる」
「分かったけど、お父さんてどんな人?」
「玲香、タブレットの一済メールのボタンを押して見ろよ」
「あ、出てきた、中西太一郎、この人?」
「そうだ、ザ・ノースフェイスのロゴの入っている黒に黄色の手提げバックそれが目印だって!わかった!玲香、頼むよ」
「春樹はどこにいるの?」
「俺は19号線を探している、今、春日井市役所の近くだ。じゃーな!」
庄内川の松川橋を渡れば、そこはもう、春日井だ。
玲香は春日井駅の南側にある王子製紙を左に回り、地蔵川に沿って玲香はお父さんを探しはじめた。横幅2メートルもない、小さな川だ。そこからは川の右岸、左岸、全部見渡せる。
老人が黄色い手提げバックを持っていれば、きっとお父さんだ。そう、思いながら、念入りにお父さんを探した。
春樹から電話が入る。お互いにお父さんらしき人を見かけたかどうかの確認だ。 今日は暑い、冷房を強くしていたせいかトイレが近い、探し始めて1時間くらい経った頃。
玲香は地蔵川沿いにあるファミリーマートでトイレを借りようと中に入ると、外人の店員さんと年老いた老人が何か言い合っている。
よく見ると、ママのお父さんだ。青いジャージの上下、黄色い手提げかばん、サンダル、間違いない。
「中西のおじちゃん、そうでしょう、中西さん!」
老人は振り返って玲香を見た。
「タクシーなんか、呼んでないぞ」
玲香の制服を見てタクシー運転手だとわかったようだ。
「中西のおじちゃん、あかねのママが探しているよ」
「あかねもいるのか」間違いない。
玲香は何しろ、トイレに行きたいのだ。漏れそうだった。
店員さんに聞くと、お金を持ってもいないのにレジでサンドイッチや牛乳、プリンを袋に入れろと言っているらしい。玲香は、店員さんに、
「お金を払うから、ちょっとおじさんを見ていてもらえますか」と、頼むとあわててトイレに駆け込んだ。トイレの中からあかねに電話をする。
「見つかったから心配しないで」
と言って電話を切ると、サンドイッチ等の精算をして、お礼を言ってお父さんを助手席に乗せた。
お父さんはさっそく、サンドイッチを食べている。
「君は誰だったかな、隣の家の人だったかな」
「ママの友達です」
「そうか、ママの友達か、ママって誰だ! あかねはどこに行った?」
「だから、ママはあかね、おじちゃんの娘」
「ン、なにか?わしの娘はママなのか、ママは娘じゃないぞむすめはあかねで・・・・・あかねはなんだって??」
「もう、いいから、おじちゃんの娘の所に連れて行きます」 そういって、話していると修平から電話が入った。
「お父さん、乗っているのか、ママの家、わかるか」
「例の公園までならわかる」
例の公園とは春樹とあかねが初めて何した場所だ。
「じゃ、例の公園でママと待っているから」
玲香からお父さんが見つかった事を聞いた春樹は、そのまま仕事に戻った。玲香はお父さんを家に送ると、お父さんはあかねを見るなり、
「どこに行っていたんだ、探していたんだぞ」 三人は顔を見合わせてあきれ笑いだ。あきれて、物も言えないとはこの事だと思った。
あかねは父が見つかった事を警察に連絡を入れる。
お店は智ちゃんに頼んで、香奈ちゃんと二人でやっているが心許ない。どうしようかと思っていると、修平が言った。
「れいちゃん、ママをお店まで送って行ってくれるか、私はお父さんとしばらく一緒に居るから、前にも一度、お父さんと居た事があるから、大丈夫だよ。ママ、心配しないで、店に行って来な、きりのいいところで早めに閉めて帰ってくるまで、お父さんを見ているから、私はこんな時の番犬だから、大丈夫だよ、行きな!」玲香はあかねを店まで送ると、帰りも呼ぶように伝えた。
午前0時、最後のお客は竹原さんたちだった。玲香のお客さんだ。あかねは玲香を呼ぶと緑区滝の水まで送るように指示をした。 そしてあかねは春樹を呼んで家に戻る。
「ママ、今日は大変だったね、玲香がトイレを
「ほんとう、れいちゃんのおかげ、春樹のおかげ、また、春樹を抱きしめたくなっちゃったわ」
「ちょっと待ってよ、言っとくけど、俺には妻が居るからね!・つ・ま・!」
「れいちゃんなら許してくれるわ」
「もう、そんな馬鹿な事を言ってないで、いったい、ママたちどうなっているの、修平に聞いても煮えくり返らないし、ママは終わったって言ってたし、大体、あの俺たちの祝宴の後、どうなったの。うまくいったんだと思っていたら、翌日、ママが終わったって言って、今にも死にそうな勢いだったって、玲香が言ってたけれど、何があったの、玲香もすごく心配してる」
「ねぇー、人生って、わかんないわね、あの時は部屋にたくさんのゴキブリが出てきて、もう、終わったと思っていたら、今度は猫ちゃんが逃げ出しちゃってそうしたら、妖精のチョウチョが3羽も現れて私をお花畑に、モネの庭園に連れて行ってくれるの」
「ちょっと、玲香のが移った?もう、訳がわからん、まぁいいか、修平も、自分の父親みたいに必死で探していたから、うまくいくといいね」
「今度こそ、あの蝶を捕まえてみせる、だって、お父さんを見ているから仕事に行けって言ったのよ、それって、父と一緒に居てくれるって事でしょう。つまり、ずーと父の面倒を見てくれるって事は、私と一緒に居てくれるって事だよね」
「そうなの、俺にはよくわからん、蝶だか、蛾だか、わかんないけれど、神様、ママに愛をあげてください、アーメン」と言っているとあかねの実家に着いた。
「ちょっと、修平のタクシーまだ止まっているよ。会社に納金しないで大丈夫かな」 あかねは春樹に家に上がるよう進めたが、春樹は仕事中だからと言って街に戻って行った。あかねが家に入ると、お父さんは何事もなかったように寝ている。
「修平さんありがとう、修平さんが居なかったら、どうなっていた事か、本当に、れいちゃんにも春樹にも支えられて生きているんだって、つくづく思った。私、修平さんに殺されてもいいから、お願い、私を助けて、ずーと ここに居て 結婚してください」
「もう、これ以上、1人でお父さんを見るのは辛いかな~むつかしいかな~私はこれから朝7時から夕方5時までの、勤務体制にしてもらって、その時間はママがお父さんについているし、ママが仕事している時は私がお父さんを見ていればいいか!そうするか!」
あかねは修平に抱きつくとキスを求めた。やっと、やっと、修平と一緒になれると思った。抱きしめられながらあかねは言った。
「ねぇ、あかねって呼んで・・・・・ママって他人みたいでイヤ」
「じゃ、あかね、そろそろ会社に戻って納金しないと・・・・・その後、こっちに戻ってきていいか」
「かならずよ かならず、戻ってきて・・・・・待っているから」
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