8月32日

怠惰メロンソーダ

永遠

「…誘ってんだろ、リン。」


 友人のヤナギ鮮希センキはそう言った後、ワタシを殺した。今までに無いほど、恍惚とした顔だった。



「8月32日の呪い?」


「うん。マジであるらしいよ。」


「そんなん嘘に決まってんじゃん。ピュアだな、お前。」  


 7月初めのこと。放課後になり、とっとと帰ろうとしていたところ、クラスメイト3人が正門から少し離れた場所でそう話していたので、俺は聞き耳を立てることにした。正直何か言われそうで少し怖かったが、最近学校でよく聞く言葉だったし、知っておけば鈴との話題に使えるだろうと思い、正門の隅で立ち止まった。


「どんな呪い?」


「えーと、あんま覚えてないんだけどさ…」


 クラスメイトの一人が話していた内容は次のような感じだった。


 まず、夏休みが終わるのが本気で嫌な学生がいたとする。そしてその人が、『8月32日に連れて行って』と言い残し、どこかから飛び降りるとする。そうすると、その人は何故か無傷で、加えて自分にしか見えない何かが見えるようになる。こういった不気味なことから、この現象の名には呪いとついたという。


「ふーん…ちょっと恥ずかしいセリフだな。」


「え、32日ってあった?」


「ねえよ馬鹿。」


 自分にしか見えない何か…幻のようなものか。それに、落ちたのに無傷とは妙だな。


「…。」


 だが俺にとっては呪いでも何でもいいので、試すだけ試す。呪いが嘘で、そのまま死んでもどうせ世界は変わらないから。


 …聞き耳を立てていたこと、バレてないよな。





 数日後、夏休みを迎えた日。俺は試しに崖から落ちてみた。そして呪い通り無傷だった。


「…見えない。」


 ただ、幻は見えなかった。…何か失敗した?いや…セリフもちゃんと言ったし…もしかして、俺はまだ生きたいのか…?


「ッ!!」


 ばつん、と頬を強く叩く。違う、違う違う違う違う違う。俺は本気で考えてる。夏休みが終わらなかったらって、このまま時間が止まればって、鈴以外もう嫌なんだって。そう、ずっと考えて…


「あ…違う。」


 いや、違ったな…そうだ、俺には鈴がいる。俺を受け入れてくれた鈴がこの世にいる以上は生きられると心から思ったし、容姿でどうこう言ってくるクソ共のことなんか忘れちまえる。本人にも『お前がいる限り俺は生きられる』と伝えたじゃないか。そうだ、そういうことだと俺は一人納得した。じゃあ、鈴がいながら死のうとしたなんて、とんだ裏切りだ。


「後で謝るか…」


 何事も無かったかのように、俺は家に帰った。通話で鈴に謝った。その時、声色から考えて引かれた気がしたので、『違う』とか『ごめん』とか、そういうことを狂ったように連呼していた。


「…マジでやらかした。エグい、ガチ終わった…」


 その日の夜、ブツブツと1人でそう言いながら部屋で夏休みの宿題を広げた。多さにやる気を失いつつ取り組もうとした時、鈴からメッセージが着た。スマホを取り、『さっきのことは気にしなくていい。』というメッセージに安堵した。


 『もし夏休みが終わらなかったら、少しワタシと話してくれ。』


 直後に次のメッセージが送信された時、俺の全身に未知の感覚が巡った。何故か、物凄く重要かつ特別な何かが起こる気さえしたのだ。


「……。」


 俺はしばらく何も考えられなかった。







 幻に気が付いたのは、8月になってからだった。いや、気が付いた、というより、月日が経たなければ気づかなかった、の方が正しいか。


「……!?」


 夏休みが終わらない。本当に、いつまで経っても始業式の日が来ない。いや、来たら嫌だが、この未知の状況は怖かった。


「今…今何日だ…?」


 スマホで確認しても、時計部分が文字化けしていて解読できない。加えて、浮いているような地に足がつかないような不気味な感覚がずっとしている。そもそも7月までは確かに存在していた筈の両親が見当たらない。


「……ッ!!」


 怖くなった俺は家を出て学校に向かおうとしたが、本来建っている場所に学校が存在しなかった。それどころか、向かう途中人間を一人も見かけていない。ただセミの声がうるさい。


「な…なんで…」


「鮮希。」


 セミがうるさい。うるさい。全部うるさい。


『え?席替えで柳と隣になったの?』



『うん。もうマジ嫌〜』


 黙れ。


『目つき悪いし雰囲気怖いもんね!』


 やめろ。


『私あいつに学校来てほしくな〜い』


 うるさい。うるさいうるさいうるさい


 『ワタシはお前のこと、好きだよ。』


「…鮮希。」


「!?」


 妙に聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。振り返ると、そこには鈴が1人立っている。

 俺のたった1人の友人が、俺の生きる希望が、俺だけの鈴が、こちらにゆっくりと近づいてくる。


「り、鈴…?」


 そう呼びかけた俺だが、心の中では分かっていた。少なくともこいつは、俺の知っているではない。こんな世界にいる時点で絶対に人間ではない。それこそ多分、俺にしか見えない幻、あるいは化け物なのだ。


 だが、俺の心は妙に高揚した。儚げな雰囲気を纏った、透明感のある純白の髪の美しい少女…目元の色を除く姿形が鈴そのものだというだけで、心の底に抑え込まれていた欲望が外に出た。


「…欲しい。」


 俺は目の前まで来ていた目元が闇のように禍々しい黒に染まった鈴のような何かの腕を掴んで、そのまま組み敷いた。


「!?」


 意識はそこで途切れた。組み敷いた時、少し驚いていたような、困惑していたような彼女の顔は今まで見たことがなかった。



「……。」


 正直驚いた。『何故ここにいるんだ』と言う暇もなく、思わず気絶させてしまったが…この男、12歳にしてまさかここまで執念深いとは。よほど愛に飢え、小谷オタニ鈴という人間に惚れ込んでいるようだ。

 いや、分かっていなかったわけではない。彼の置かれた環境を踏まえると、依存しやすい性格だった…というより、そういう性格になったのは分かる。『あいつは重いから関わらない方がいい』と他のクラスメイトから言われた記憶があるので、一度関わった他者から距離を置かれ続けたことがあの性格に拍車をかけたのも理解できる。日々彼から透けて見えるような執着も嫌ではなかった。


 彼女は霞という幻ワタシがただ化けているだけで、存在しない人間なのに。


「何故だ…?」


 ひとまず鮮希を現世に返し、ワタシは考える。幻に触れることができたということは即ち、こちら側に近付いたということ。『8月32日の呪い』としてあの世界へ知れ渡ってしまった理由が本当に分からないが、恐らく彼はし人間と幻の狭間にいる。そうでなければこの世界に迷い込んでいないし、ワタシから見せたわけでもないのだからワタシの存在が視認できるわけがない。早急にワタシに関連する記憶を消して、元の世界に返さねば危険だ。 


「…最悪、殺されるか。」


 ワタシから誘えば、きっとそうする。ワタシがカスミであろうが鈴であろうが、一度惚れた人間とは共に命を…彼はそういう思考だ。多分、あの日の謝罪はそういうことだ。

 そしてワタシも、それを否定する気にはなれない。一度人間に化け、同族の気配がしたので接触した際、幻になろうと変わらない、つまらない世界に刺激をくれた彼が好きだった。ワタシの友人になってくれた彼が好きだった。あの時彼にああ伝えたのは、無意識的な誘いだったのかもしれない。永遠に終わりを与えてほしかったのかもしれない。


 危険だと知っている。これからワタシがどうなるか想像がつく。だが、彼の記憶は消さないし、それにより引き起こされる彼の行動も怖くない。


 だから翌日、ワタシは彼に「ワタシと共に死にたいか?」と聞いた。彼は数秒間固まっていたが、少し頬を染めつつ「いいのか?」と、静かだが真剣な声で返した。


「は…?」


 ワタシはそれに本気で困惑したが、 


「え?」


 彼の「何を驚いているんだ」と言いたげな様子に何も言えなくなった。


「あっ、いや……。」


 彼の容姿も相まってか、少し背筋が冷えるような思いをした。


「ッ…い、今、引いたか?」


 怯えたような声色で、彼はワタシに一歩近づく。


 「!!ち、違うっ…!」


 彼の瞳はもはやワタシを友人として映していなかった。その縋り付くような様子に、ぞくりとした感覚さえ覚えた。何故か、妙な気分にもなりつつあった。


 それらを隠すように、ワタシは自分の存在について話した。「お前は鈴じゃないのか?」と、初めは凄みのある声で言われたが、最終的には納得した様子だった。


「…呼び方は。」


「好きに呼べ。」


 答えた後、ワタシは幻の死について説明した。


 幻の場合、死とは存在が塵となって消えることで、それを引き起こすためにはそれぞれに対応した望みを叶える形になるので、殺すというより成仏させるに近い。ワタシは大体こんな風に説明した。


 「ああ…あともう一つ。」


 幻を殺せば、人間はそれに代わり幻となり、他人から存在を忘れ去られ、生きていた証が全て消える。加えて、自分も人間だった頃の全てを忘れ、この『8月32日』で永遠を彷徨う。


「…永遠とは、思っているより苦痛かもしれないぞ。」


 そう言っても、彼の心が揺らぐ気配は無い。まあ、予想はついていた。


「……お前は、どうやったら死ぬ?」


「…ワタシの場合は、かつてない刺激を与えられることだよ。」


 わざわざ、ワタシは答えた。


「!!」


「この方が殺しやすいよな?」


 それを聞いた彼が少し目を見開いた後、何も言わずワタシの腕を掴んだ時、とうに止まった筈の脈が動いた気がした。











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8月32日 怠惰メロンソーダ @ultra-meronsoda

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