第二章 偽・乙女湯煙夢想曲 その八
「メメ。こんな所で会うとは奇遇だな」
工業高校のブレザーを着た坊君はわたくしと不良たちの間に割って入ってきた。
「……おい、俺たちは取り込み中なんだ。つまらない話は後にしてくれ」
ヘッドは坊君の背中に言い放った。
「つまらない話だと?」
筐体に片腕をかけ、わたくしの顔をにこにこと覗き込んでいた坊君はやれやれといった様子でヘッドの方を振り向いた。
「俺の乙女に対する思いは紛れもなく本物だ。ふむ、お前らが彼女の素晴らしさを理解できるように、まずは俺と彼女が初めて出会った日のことから語ってやろう」
「意味の分かんねえこと言ってんじゃねえ。ぶっ飛ばすぞ」
「……やれるものなら、やってみろ」
坊君の台詞はその場の空気を一変させた。ヘッドは苦い顔をして押し黙り、やがてリーゼント頭を揺らしながら、『ヒョロ! ブッチ!』と取り巻きの名を呼ぶと、舌打ちをしてゲームセンターから姿を消してしまった。
緊張の糸が切れたわたくしはへなへなとその場に座り込んでしまった。
「おいメメ、大丈夫か?」
坊君はわたくしに声をかけた。
「うん……大丈夫。ちょっと驚いただけ」
本当は今にも目から涙が溢れそうだけど、男装をしている手前、泣きべそを掻くわけにはいかない……わたくしは服の袖で目元をゴシゴシと拭った。
「乙女を捜していたら、阿呆な不良に絡まれてしまった」
坊君は遠くを見つめながら口を尖らせる。
「そんなことよりも、メメ」
「……何?」
わたくしは鼻を啜りながら聞いた。
「今度、俺に付き合わないか」
「……へ⁉」
つ、つつ、付き合う? 確かに今、坊君はそう言ったわよね? つい先週末に知り合ったばかりなのに、『俺と付き合ってくれ』だなんて……わたくしはそんな節操のない女じゃないんですけど?
でも、吝かではないと思っているわたくしもいるんですけど⁉
「……い、嫌じゃない、けど」
わたくしは坊君の熱い視線から目をそらしながら呟いた。
「そうか! お前ならそう言ってくれると思っていた‼」
坊君は白い歯を見せて笑うと、わたくしの耳元にぐいっと顔を近づけた……ち、ちち、近すぎる! 彼の吐息がわたくしの顔にかかってる‼ これってもしかしてキスなの⁉ わたくし、これからキスされちゃうのおおおおお⁉
「昨日話した銭湯の件だが、とある情報筋から驚愕の情報を入手してだな――」
わたくしが一人で舞い上がっていると、坊君はわたくしにヒソヒソと耳打ちをしてきた。その内容のほとんどはわたくしの耳からもう片方の耳へと流れていってしまい、沸騰したわたくしの頭に残った情報は、彼との待ち合わせ場所と大まかな集合時間だけだった。
――翌日の放課後、わたくしは、温泉街の駅前に建つからくり時計の下に佇んでいた。月ノ下商店街の北東方面に位置するこの街は、風情ある建造物が建ち並ぶ観光名所の一つだ。わたくしに「付き合ってくれ」と言った坊君は……デ、デートの待ち合わせにこの場所を指定したの。
とは言っても、わたくしは坊君に正体を明かすわけにもいかず、最寄りのネットカフェでお兄様の私服に着替えているから、今のわたくしは彼にとって友人・メメなわけで……わたくしがちゃんと彼の話を聞いていなかったのがいけないのだけど、やっぱりこれってデートじゃないわよね。
だって、坊君は乙女のことが好きなのだから。わたくしのお兄様はそんな坊君の手助けをしているみたいだし、今さらだけど、彼の言う「付き合ってくれ」とはつまり、「恋愛相談に乗ってくれ」ということに違いないわ。
本当は坊君の誘いなんか断っても良かったのだけど!
でも、いったい乙女がどんな人なのかは気になるし? 今日だけは仕方なく付き合ってあげようかなって……別に坊君と二人きりで温泉街を散策したいわけじゃないわ。甘酸っぱい思い出を作りたいわけじゃない。昨日のゲームセンターでの恩があるから、仕方なく彼の誘いを受けることにしたの……う、嘘じゃないわよ。
ところで、何でお兄様は坊君の恋路の手助けなんかしているのかしら。これまでお兄様が友達と一緒にいるところなんて、わたくしは見たことがなかった。ただでさえ内気なお兄様が、あろうことか工業高校の生徒と交友関係があるなんて未だに信じられないけど……。
もしかしてお兄様は坊君たちに何か弱みを握られているの?
だとすれば、こうして平日の放課後に理由もなく呼び出されることにも合点がいくわ。
だけど、坊君が人の嫌がることをするとは思えないし……。
「――おーい、メメ!」
わたくしが一人で思考を巡らせていると、駅の方から坊君の呼ぶ声が聞こえてきた。
まあいいわ。今さら何を考えたって、坊君と二人で……デ、デート、みたいな? ことをするのは決まっているわけだし? 今日は互いに親睦を深めて……もしわたくしの正体が彼にばれたら、その時は本当に恋愛関係になっちゃうかもしれないわね……なんて。
わたくしは、ハンチング帽の隙間からはみ出た前髪を指先で撫でると、心のドギマギを悟られないように坊君の方へと振り返った。そこにはブレザー服を着た彼と――同じく工業高校のブレザー服を着た四十人ほどの男子生徒が群れを成し、強烈な威圧感を放ちながら温泉街の地を踏み鳴らしていた。
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