第八話「未来への決意」

 パトカーの赤色灯が明滅し、夜闇に染まった廃工場を照らし出す。

 その規則的な光の中手錠をかけられ、呆然とした表情で連行されていく刈谷さん。そんな彼の後ろ姿を、私は黙って見送っていた。


「お疲れさまっす。いやぁ、随分な大仕事になっちまったっすねぇ。」


 後ろから声がかかる。振り向けば、林道さんが明るく笑いながらこちらへ近づいてきていた。その後ろには宮坂さんも。


「……林道さん、宮坂さん……。」

「美友さんは穂詠ちゃんのとこへ無事に送り届けてきたっすよ……って、あれ、なんかあんまり元気ないっすね?」


 少し心配そうな顔になって私と視線の高さを合わせる林道さん。私はそんな彼をキッと睨みつけ、未だ羞恥に震える声を絞り出した。


「……どうして……教えて、くれなかったんですか……っ!!」

「……あー。知っちゃった感じっすか?」


 林道さんは一瞬目をぱちくりさせたものの、隣で笑っている小野里さんを見て私の言いたいことを察したらしい。苦笑いを浮かべた彼の代わりに、宮坂さんの静かな声が私の問いに答えた。


「お前にはまだ話さねぇ方がいいって判断してたんだよ。……まぁ、『さっきまでは』だけどな。」


 それだけ言うと彼は小野里さんの前で足を止める。そして何かを見定めるようにすっと彼女を見据えると、その目に応じるように小野里さんも宮坂さんの方を見上げた。


「……二つ確認するぞ。セキュリティルームでのびてた。あいつはお前が対処したって事で合ってるな?」

「うん。ナイフの柄で思いっきり殴って気絶させた。完全に僕のこと舐めてたし、大したことなかったよ。」

「……えっ?」


 彼女の口からさらりと語られた真実は、私が想定していたものとは全く異なっていた。


「小野里さんを襲ったのって……根津さんじゃ、なかったんですか?」

「根津?来てないよ。噛ませ犬って感じの雑魚が一人わざわざ殴られに来ただけ。それがどうかした?」

「あ、い、いえ……。」


 そう言われてみれば……刈谷さんは『代理の者』と言っただけだ。それが根津さんだとは、一言も言っていない。

 一人密かに勘違いを恥じている間に、小野里さんへ次の質問が投げ掛けられる。


「次。警察への通報を保護対象湯野川美友に任せた理由は?」


 途端に、小野里さんの笑顔がひくりと引き攣った。


「……それ、どうしても今答えなきゃダメ?」

「どういう判断をしたかも採点に関わるからな。それに――」


 宮坂さんは一瞬、目を伏せて……ニヤッと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「――園田はずっとお前への本音を語ってたのに、お前は語らねぇってのは不公平だろ?」

「っ、こ、このドSオーナー……っ!!」

「ほらさっさと言え。採点、終わらねぇぞ。」


 楽しげな声で急かされ、うぐ、と言葉を詰まらせる小野里さん。彼女はちらりと一瞬こちらを見て、しかし観念したように小さな声でぼそりと呟く。


「……僕が通報してる間に、手後れになったら嫌だったから。」


 あまりにも端的で、曖昧な説明。けれどそれが、意味するところは……。


「つまり、『心配した』んすね?」

「ちがっ……!いや、違わな、うぅーっ……!ぼ、僕そういう柄じゃないじゃん!似合わないこと言わせないでよ!!」


 林道さんが言いなおした途端、小野里さんの頬がリンゴのように赤く染まった。珍しくムキになって大声をあげる彼女の様子に、言わせた張本人は喉を鳴らして笑っている。その様子を見ながら、私は目を丸くしていた。


 ――小野里さんが、心配してた?私のことを?


 私が真剣に話をしても、軽くあしらったりからかったりするばかりだった小野里さん。何を言ってもあまり真面目に受けとってくれないのは、私が彼女に鬱陶しがられているからだろうと思っていたし、それを少し寂しくも感じていた。

 でも、彼女もまた、私のことを仲間として大切に思っていてくれたのか。私を助けるために、思考を巡らせてくれたのか。


「……ありがとうございます、小野里さん。」

「っ……あの暴走癖、ホントやめてよね。こっちが振り回されるんだからさ。」


 ふい、とそっぽを向く小野里さんだが、仄かに赤く染まった耳はこちらからでもよく見える。指摘された内容については「すみません」と心から反省しつつも、彼女からもちゃんと仲間として認識して貰えていた嬉しさに頬が緩むのは抑えきれなかった。


「で、それらを踏まえての採点結果だが。」


 やり取りが一段落したあたりで落ち着いたトーンに戻った宮坂さんが再び切り出すと、小野里さんはまだ少し眉根をよせたままではあるが彼の話を聞く姿勢になる。

 その様子を確認し、一呼吸おいて彼は告げた。


賞金首根津以外を殺さず対処したのは当然として、依頼は本来の目的以上の結果を達成。園田への協力姿勢も十二分に認められる。――文句なしの満点だな。」

「え……ほ、ホント!?じゃあ……!!」


 瞬間、彼女の先程までの不満げな様子が搔き消え、ぱっと明るい表情になる。


「ああ、『更生プログラム』第二段階修了だ。」


 『更生プログラム』という聞き慣れない単語。少なくとも、特例処罰執行補佐官の講座ではそんな単語は聞いたことがない。何か他の単語の通称だろうか?記憶を探る私の前で、更に耳を疑う言葉が飛び出した。


「――『時限爆弾』は外れたぞ。よかったな。」

「……よ、っしゃ……!!一発合格じゃん……!!」


 ……時限、爆弾?戸惑う私を他所に、小野里さんは喜びをかみしめるような表情でグッとガッツポーズする。その顔は今まで見たことがないくらい嬉しそうにキラキラと輝いていた。


「ってことは、監視も……!」

「それは上から正式に判断が降りてからだ。……が、まぁ、この結果なら、はもう外れると思っていいだろうな。」

「だよね!?うわ、嬉し……!やっとここまで自由になれた……っ!!」


 ……次から次へと出てくる話に、ますます理解が追い付かなくなる。混乱したまま林道さんの方を振り返ると、彼はそんな私の反応を見て噴き出すように軽く笑った。


「その辺の事情が、ハナさんに話さなかった理由なんすよ。……多分ナナさんが『うち』に来た経緯から話した方がわかりやすいっすね。」

「経緯も何も、僕がやな奴殺して帰ろうとしたら、桃李がいきなり目の前に飛び降りてきて捕まったってだけでしょ?『お前が『アンノウン』だな』って鉄パイプ片手に追い回されてさ。僕、あの時殺されるかと思ったもん。」

「あれはお前の運が悪かったな。その『やな奴』がたまたま、俺が殺害依頼を請けた賞金首だったんだから。」


 当事者達の口から直接、二人の出会いがかなり端的に語られる。

 『アンノウン』は、世間的には今も正体不明の殺人鬼だ。特例処罰対象者では無い以上、宮坂さんに捕まった後の彼女はそのまま警察に引き渡される予定だったのだろう。


「でもセンパイ、そこでナナさんを警察に突き出すよりも特例処罰執行官として『暁』で雇いたいって『管理機関』の上層部に口利きしたんすよ。ただの犯罪者として始末するには惜しい人材だ、ってね。」

「えっ!?『管理機関』って……『特例処罰総合管理機関』、ですか……!?」

「ああ。それ以外にねぇだろ。」


 『特例処罰総合管理機関』というのは特例処罰執行組織の上位に存在している政府機関。特例処罰執行対象者の登録審査や、特例処罰執行組合が規則を遵守しているかどうか確かめる為の抜き打ち検査など……特例処罰執行組織が社会的に強すぎる力を持たないよう、総合的に管理する為の機関のことだ。そんな組織の上層部に口利きするなんて、全ての特例処罰執行組織の中でも一、二を争うような、相当な力のある人物でないとあり得ない。

 今目の前にいる自分の上司がとんでもない人物なのだということを改めて認識させられて、思わずぶるりと体が震えた。


「ただ、殺した相手がどんな奴だろうと、ナナさんが連続殺人鬼であることに変わりないじゃないすか。その罪を簡単になかったことにはできない。……それで、実刑代わりの特例措置として組まれたのが『更生プログラム』ってわけっす。」

「え、でも……その頃の『アンノウン』なら、沢山の人に認められてたんじゃないんですか?それなら……」

「『個人』がコイツの殺人を正当化するのは自由だ。けどな、『組織』としてそれを認めるってのはそう簡単にはいかねぇんだよ。」


 冷静に、淡々とした声で彼は続ける。


「筋さえ通ってりゃ資格が無くても殺していい、なんて解釈させちまえば、適当な理由引っ提げて好き放題殺しまくる馬鹿が出てくるのは目に見えてるからな。」


 責任を背負っているからこその、重みのある言葉。現実をしっかりと見据えたその言葉は、あまりに正論でぐうの音も出なかった。


「……っつーわけで、更生プログラムはかなり厳しい内容にした。『小野里七華には、これまでの罪を帳消しにしてでも組織に引き入れるだけの価値がある』、と証明してもらうためにな。」

「プログラムの内容は全部で三段階なんすけど……第一段階は半年で『特例処罰執行官』資格を取ること、第二段階は資格取得してから一ヶ月以内に自力で成果を出すこと、だったんすよね。マジで、コイツら鬼か?って思ったっすよ。」

「ホント、大変だったよ?毎日毎日つまんない勉強の繰り返しでさ。もう二度とやりたくないね!」

「は、半年って……それ、『最短期間で一発合格しろ』ってことじゃないですか!」


 叫んだ声が裏返った。

 特例処罰執行官の資格試験は半年に一回。それも、座学と実技のどちらも高水準の点数を求められる為、何度も試験を受けなおす人も少なくない。そもそも資格取得の為にはもう一つ、ある『検査』にも合格しなければならず、素質がなければ一生とれない資格と言っても過言ではないだろう。

 それだけじゃない。第二段階に与えられた期間も短すぎる。どのタイミングでどんな依頼が持ち込まれるかなんて予想もつかないのに、たった一ヶ月しか猶予がないのだ。場合によってはたった一回のチャンスに全てを賭けなければならなくなるかもしれない。その上で――


「この二つを達成できなきゃ、小野里は即処刑される事になってたんだよ。もう達成したからその心配はねぇが。」

「あと、プログラム中に単独行動した場合もね。依頼遂行中は大目に見てくれるって話だったから、ちょっと甘えてお菓子買いに行かせてもらったけど。あれも日常生活だったら即アウトだったんだよねー。」

「いや、何してんすか!?しれっと綱渡りすんなっす!!」


 『即処刑』。『即アウト』。――その言葉に、思わず喉からひゅっと息が漏れた。

 どんな依頼だって依頼人にとっては大切な依頼。失敗しないように動くことは大前提だ。でもそれに加えて、そんな些細な行動一つにも自分の仲間の命がかかっていたのだと思うと……自分のあらゆる行動が全て迂闊だったような気がして、今更ながらに血の気が引いた。


「……やっぱり黙ってて正解だったな。もし事前に知ってたら、お前は気にしすぎてまともに動けなかったろ。」

「え、あ……。」

「当の本人は逆に気にしてなさすぎっすけどね……!」

「だってもしアウトになっても、責任取って死ぬのは僕だけだからね。当然死にたくはないけどさ。……それに、失敗する予定もなかったし?」


 頭の後ろで手を組んで、小野里さんがぺろっと舌を出してみせる。その様子に嘘や強がりの気配は無い。『自分にはそれをやり遂げるだけの力がある』という自信に満ちた顔で、彼女はそこに立っていた。


(――かっこいいなぁ。)


 抱いたのは、羨望。

 最初から胸を張って依頼を引き受けて、自分が持っている力をうまく使って、救うべき人を救った。助けたいものを助けた。『文句なしの満点』を得られるだけの結果を出した。あの余裕の笑顔が、ただの軽薄さではなく裏打ちされた自信によるものだと証明してみせた。


(それに対して……私は。)


 自分の悪癖も治せていないのに、偉そうに人の事ばかり指導して。『絶対に後悔はさせません』なんて啖呵を切っておきながら、自分の感情に任せて突っ走って、小野里さんに迷惑をかけてしまった。

 何も役に立たなかったとまでは言わないけれど、誰かにフォローしてもらわなければ何一つ成果を出すことが出来なかった。それどころかもしかすると、取り返しのつかないような大失敗をしていたかも――


「ハナさん?」


 林道さんに呼びかけられてはっと我に返る。三人の視線がこちらに向いているのに気づいて、私は慌てて笑顔を繕った。


「す、すみません。ちょっと考え事を……」

「お前のことだ、今回の自分の動きでも振り返って落ち込んでたんだろ。」


 図星を突かれ、ぐっと言葉に詰まった。自分の情けない部分が見透かされたようなばつの悪さを感じて、小さく「はい」と答えながら無意識に視線を足元に落とす。


「えー、でも、結果的には大成功じゃん。僕の評価点にも繋がってるし?」

「真面目なのは良いとこっすけど、思い詰めすぎは良くないっすよ。」


 茶化しているようでいて、励ましを含む小野里さんの声。それに同調するように、林道さんの手が私の頭をぽんぽんと軽く撫でた。

 その優しさをありがたく思いながらも、私は首を横に振る。


「それでも……私は、早く一人前になりたいんです。」


 俯かせていた顔を上げ、自分に言い聞かせるようにはっきりと、自分の未来に向けての決意を、理想を、口にする。


「私がなりたいのは、誰かに助けてもらうお姫様じゃなくて……自分の力で誰かを助ける、『ヒーロー』ですから。」


 今回の一件でひしひしと痛感した自分の未熟さ。理想のヒーローとは程遠い自分の現状。そこから一刻も早く脱却したい。沢山学んで、もっと経験を積んで――心から胸を張って仕事を引き受けられるだけの自信を、私も早く身につけたい。

 私の言葉を聞いた三人が目を合わせ、三者三様に笑みを浮かべた。


「『ヒーロー』、ね。……『アンノウン』みたいな、ってこと?」


 小野里さんはいたずらっぽくニヤリと口角を上げてからかうように。


「ったく、ストイックな優等生っすね。」


 林道さんは半分呆れたような口調で肩を竦めながら。


「それだけ意欲がありゃ、すぐ成長できんだろ。」


 そして宮坂さんは、ふっと静かに目を細めて。


「反省したならもう充分だ。さっさと帰ってゆっくり休め。――無駄にごちゃごちゃ考えて落ち込むより、次の仕事に意識向けてろ。」


 粗雑な言い方ながらも、どこか暖かみを感じる宮坂さんの言葉。

 彼が踵を返して歩き出せば、小野里さんのやや小柄な体が、先を歩く広い背中を早足で追っていく。その後に続きかけた林道さんが、半身でこちらを振り返った。


「ほら、帰るっすよ。ハナさん。」

「……はい!」


 名前を呼ばれ、私もまた三人の後に続いて歩き出す。

 十二時を回ったばかりの夜の静寂は、眠る街並みを深く覆い尽くしている。しかしその空に浮かぶ月の光が、仄かながらもどこか力強く、私達の進む道を照らし出していた。

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