第12話 風狂
ひとしきり泣いた後にフロリンダを
寝台に上半身を投げ出したまま、へたり込んだような姿で、いつも枕元にあるウサギのぬいぐるみを手で
幼い頃からの、寂しい時の
女王からもらった、眠りの優しい友だち。
もう覚悟を決めて動かなければと思いつつ、
プリムラがお茶を持ってくる前に、気を取り直さなければならない。
これから続く長い時間を、独りで生きていくと決めたのだから—―――。
フロリンダは何とか手を動かして、スカートのポケットを探った。
何か動き出す取っ
取り出すと、
朝の柔らかな光を受けて、緑を
心に染み入るような切ないその音に、フロリンダは目を閉じて聞き入る。
微かな鈴のような音を立てて、羽が虹の光を放った。
胸を震わせて心のささくれを
—……美惟那姫の才は、やはり
フロリンダは身を起こし、立ち上がった。
アラベスクの箱を手に、
衣裳部屋に降り立ち、しかし
それは、レイを風の宮に
アイスブルーの薔薇も、組み合わされた白いレースの細いリボンも、レイを思い出させる色だった。
胸はまだ千切れるように痛むが、それもいいとフロリンダは思う。
この胸の痛みさえ、彼を想った
この痛みと、共に生きるのだ。
誰かを愛するということは、強い
フロリンダは軽く指を回し、髪飾りに
—……リスクヘッジは、多いほどいいわ。
白地に曲線的な
高い
襟の中央には、氷の結晶を宿したブローチ。
恋した人が残した心。
それに、女王から授かった
「待ちの
耳飾りを確認し、最後に自分の頬をぱちんと両手で軽く叩く。
「さあ、決着をつけるわよ」
言って、赤く
次に鏡に映った自分は、いつもの姿だった。
「さあ、最高の一日の始まりよ」
※※※
『主人』の領域に戻ったレイは、これまでとは明らかに違う感覚を覚えた。
捕らわれてより百二十年、常に付きまとっていた、ねっとり絡むような『視線』を感じない。
『主人』が深い眠りについている間は途絶えてもおかしくはないのだが、それとも違う。
—……これは……何かに守られている……?
柔らかな
この変化はなんだと考えた時、行きついたのは髪を結ったフロリンダの白いリボンタイだった。
最初の
彼女の細い首元を飾っていたそれは、エーテルの姫君が織ったものだという。
『きっとあなたを守ってくれる』
そうフロリンダが願いを込めて髪に巻いた時に、それは自分を守る
彼女のひたむきな愛情がリボンに織り込まれたエーテルの力と共鳴し、波動となって身を包んだのだ。
どこまでも純粋であたたかなその想いに、改めてレイの胸が
何も返してやれなかった。
守りたいのに、追いつめる真似だけをした。
レイが唇を切れるほどに
『主人』の目覚めが来たのだ。
「あ~あ……」
気だるげに身を起こし、いつものソファに『主人』が腰を下ろす。
レイは気を引き締めて、『主人』が気づくその時を待つ。
自分に起こった変化を、
前回、フロリンダの移り香を
だが、今回は違う。
レイは自分の意志で、フロリンダに会いに行った。
そして、心を開き、時間の許す限り寄り
「この、香り……?」
『主人』が
続けて、ぶつぶつと呟く『主人』の姿を隠すソファの背もたれを、レイは
「どうしてここまで強く……?まさか……、いや、それしかないか……。
なるほど、僕も
『主人』が香りからフロリンダを特定するだろうことは、予想していた。
しかし、
終わりの始まりを、レイは覚悟したのだ。
「……僕が眠っている間、楽しいお出かけをしていたんだね。言わなくてもわかるよ」
「良い香りだ。以前、君が
ガラクタ共が
「僕はさぁ……思い違いをしてたようだ」
くるりとソファが回転し、主人がレイの方へ向き直る。
「君は、誰に対しても公平だ。君にとって
「特に不都合は感じませんので。悪しからず…」
主人はふん、と鼻を鳴らした。
「君は特別を作らない。きっと僕がこっちにご招待しなけりゃ、氷の精霊の長を継いで、親や周りの
だけど僕はさ、そんな君だから、きっと『特別な存在』ができた時の
楽し気に喋りながら、不意に『主人』は声のトーンを落とした。
「それなのにさ」
周囲の
ガラクタの
「絶対に君は苦手だろうなってタイプの相手に、持っていかれるなんてね」
「何の話でしょう?」
「実際苦手だったよね?あの妖精さんのことを、不快に思っていたよね?
ああ、誰にでも平等だからこそ、苦手って気持ちも、特に意識したからこそ芽生えたものか。まったく、大失敗だよ。とんだ計画ミスだ。まさか君がさ」
周囲のけばけばしい光の
「僕が君と同じくらいに特に目を付けた、綺麗で可愛い銀色の妖精に心を
『主人』が立ち上がり、
その時、レイは初めて—―加護によって—―主人の姿を
桔梗色のその瞳は、四角い
「しかも、妖精さんまで君を好きになっちゃったんだね。誰よりも、何よりも。見ればわかるよ!君を包んでるその気配を見ればさ!!
あの妖精さんは、みーんな大好き。誰にでも全力で好意を注ぐ。それがどれほど
だって、全部好きってのは、全部嫌いってのと
ああ、そうか。真逆にいながら、同質だったんだね、君たちは!まるで1つの魂を半分こしたように!」
小柄な少年の姿をした『主人』は、言い終えると
「ああ、腹が立つ……
抱いたの?あの可愛い妖精さんを。めちゃくちゃ気が交わってるじゃないか。僕が命令しても、女の相手なんか嫌々してた風だったのに、本命には手が早いんだね?」
感情を押し殺しても、レイの
「別にヤッてなくても、そこまで気が交わってるってことは、よほどあの妖精さんと想い合ってるんだね」
言いながら『主人』は手を
か黒い
「あああああああああああああ!!!」
親指の爪を
「いったいどこから持ってきた、その『
『主人』の
子どもの声に、
「おっかしい!!久しぶりにこんなに頭にきたよ!!たっぷり楽しませてもらうとするよ!!」
足元が浮き上がり、レイは
サイズの合わない
その足は、
※※※
フロリンダは身をひるがえして衣裳部屋を出て、足音を立てずにらせん状の階段を駆け下りた。
執務室に入り、耳飾りから
「フロリンダさま、モーニングティー……」
茶器が乗ったトレイをカチャカチャ言わせながら現れたプリムラに、フロリンダは小さく笑う。
「ありがとう。いただくわ」
立ったまま
「二人には急な大仕事を頼みます。シャルロット、夜が明けきらぬ間に、早急に風の宮に居る全員を退去させて。私が引き取った子どもたち以外。あの子たちに気づかれぬようにね。
息を呑むプリムラの隣で、シャルロットは即座に
「プリムラ。あなたも
生きて呼吸しているのは、植物も同じだ。
これから起こるだろうことに、巻き込むわけにいかない。
「……はいな」
プリムラは
「二人ともに、巻き込まれるもののないように、
「……はい」
二人同時に答え、即座にその場を後にした。
フロリンダは白い執務用のソファに身を沈め、プリムラが
ひとり、またひとりと、次々に風の宮から気配が消えていく。
それは音もなく吹き過ぎる風のように軽やかで、仕えていた者たちの特性を物語っている。
—……何ひとつとして、犠牲にはしないわ。
フロリンダは最後の気配が消えたのを確かめると、祈りの間に足を向けた。
今日も世界は、
けれど、どんなに自身を
魂が
生まれて初めて心から愛した人と別れなければならなかった悲しさを思えば、それ以上に辛いことなどない。
「……さて、私の声は、
けれどそこには揺るぎない
そのまま庭に足を向け、朝日を浴びる。
レイが心を残してくれたブローチを、両手で包み込む。
いつもいる。
これから先、何があっても。
背後から、気配が近づいてくる。
笑顔を作って、フロリンダは朝日を背に振り返った。
「ママ」
「おはよう、ニコラ」
小走りで近寄る幼い姿は、どう見ても無邪気だ。
「ママ、どこに行ってたの?」
「あら、なぜ?」
フロリンダが首を
「いっしょに眠ったのに、朝起きたら僕、一人だったもの」
寂しそうな顔をされると、心が痛む。
フロリンダはいつものように、ニコラを抱き上げた。
「ちょっと傷を癒しに出かけていたわ。それだけよ」
言いながら西塔までの道を戻る
ニコラはフロリンダの首元に、
—―やはり、愛おしい。
この小さな体は、自分をどれほど
すべてが思い違いであればいい。
フロリンダは振り切れない
「……朝食を一緒にとりましょう」
声が震えないように努めながら、塔の方へと足を向ける。
西塔玄関前まで来ると、フロリンダが扉に触れる前に、両開きの片方が開いた。
そこから、体半分だけ見せたカタリーナが、じっとフロリンダを見つめている。
「おはよう。カタリーナ。二人ともお腹すいたかな?すぐに朝ごはんの支度するわね」
カタリーナは何も言わず、見える片方だけの目でじっとフロリンダを
明らかに
「……どうして?」
カタリーナが、
「どうして、あなたからレイの香りが……気配がするの?」
フロリンダは答えない。
カタリーナが扉から出て、一歩、フロリンダに近づいた。
「レイに会ったの?どうして?なぜ私をよんでくださらなかったの?」
フロリンダはなおも無言を
何も答える必要はない。
自分とレイの時間は、二人だけのものであればいい。
誰に何を言わずとも、二人の胸にあればいいのだ。
「なぜ無視するの!?私が、私にはレイしかいないってわかってるくせに!なんて
「見せびらかしているというのは、あなたの一方的な見方よ。私を鏡にして、自分自身を……自分の
カタリーナの
「なんて
フロリンダを
「ゆっくり息をして…、できたら、少し息を止めて」
背を
素早くフロリンダは後退し、カタリーナは前につんのめって転ぶ。
「あなたなんか……あなたなんかに私の気持ちはわからない!!」
「ええ、わからないわ。私じゃなくても、あなたの気持ちは誰にもわからないし、私の気持ちもあなたにはわからない。レイの気持ちもよ。あなたはレイの気持ちを考えたことはあって?」
カタリーナは地面に這いつくばったまま、フロリンダを睨み上げ、両手で瑞々しい
「あーぁ」
ぎすぎすと張りつめた空気に、ニコラの
それは、無邪気ないつものニコラからは想像できない、
「ママは、僕をいちばん好きになってくれるはずだったのに」
ニコラの声だが、いつものあどけなさがない。
カタリーナが、
フロリンダは静かな眼差しをニコラに向けた。
「ニコラのことも大好きよ。でも……あなたは……誰なの?」
ニコラはわけがわからないという風に、肩を
「私の可愛いニコラは、本当にいるのかしら」
カタリーナが、何を言っているのかといった顔で、フロリンダと
ニコラを交互に見る。
「いるよ。ちゃんと」
ニコラは
その
「親に愛されず、邪魔にされ、八つ当たりの道具にされ続けて死にかけた人間の子どもは、祈ったんだ。最後の最後、自分たちの
祈りは通じたんだよ」
胸がえぐられるような真実の
「……誰に祈りは通じたの……?」
「さあ?」
ニコラは可愛らしく口元を両手で
「神様ってヤツじゃなかったことだけは、確かだね」
言い終わらぬうちに、ニコラは両手を伸ばして獣のような
かわしきれず、力任せに耳飾りが外され、鋭い痛みにフロリンダは小さく悲鳴を上げる。
しまった、と思った時には、
魔力を、
おぞましい
「ママ、
引き
二コラの話に心を痛め、
フロリンダの背が、締め付けにみしりと音を立てた時、不意に空を切る熱風が鼻先をかすめた。
「ぐがっ」
同時に自身を守る大気の防御を正常化させ、フロリンダは大きく息を
顔を巡らせると、こちらに向かってまっすぐ人差し指を向けた
亜仁玖の放つ
「亜仁玖!どうして…
「私が
亜仁玖は腕を下ろし、なおも
「我が君は、その子どもの
どこまでもフロリンダを気遣ってくれる
しかし次の瞬間、亜仁玖は何かに腹部を打ちぬかれたようにして、後方へ吹き飛んだ。
「亜仁玖!!」
フロリンダは
同時に自らを風圧で守り、後方へ飛びのいた。
「甘いのはママだけじゃない。どいつもこいつも、
焦げた頭部から声が聞こえ、ニコラが……ニコラだったモノが、ゆらりと立ち上がった。
と、背後からフロリンダの風の守りをものともせず、手を伸ばしてきた何かに
「きゃあ!!」
同時にカタリーナも叫び、何かに
「な……!?」
彼女を
カタリーナを巻き込み、それは
さらに首を
自分を
「愛しいもの、心を許したものには、
ぷすぷすと黒い煙を吐きながら、ニコラだったモノが
「ガワなんかダメになったところで、どうってことないんだよ。しょせん、使い捨ての
風の宮を、完全に
ソレが
フロリンダは目を
目まぐるしく
愛らしいのに、邪悪な気配の
空間のあちこちに
そんな光景の一角に、静かな光に照らされた清らかな等身大の人形の姿があった。
輝く
そして、その前には—―――レイの姿があった。
「やっと僕の手の内に、ご招待できた」
濡れ
そして、スラックスから出ている爪先は
「こんな嬉しくないエスコート、レディに対して失礼よ」
「大好きなウサちゃんに抱っこされてるんだよ。素晴らしい
ソレは長方形の瞳をぎょろりと動かして、レイの方を見てからフロリンダに視線を戻した。
「レイにお姫さまだっこされて、来たかった?」
フロリンダは何とか
「そうね。彼にお姫さまだっこされるなら、悪くないわ。あなたじゃお断りだけど」
ふん、とソレは鼻を鳴らし、
「断ろうとも、君はもう僕のモノだよ。大切に丁寧に可愛がってあげるよ。綺麗で可愛い、優しいママ」
大きな口から長い舌が伸びて、フロリンダの首筋を
おぞましい感触に
視界の隅で、レイが身じろぎするのが見えた。
「おっと、レイ、そこで黙って見ていなよ?でないと、君の可愛い子が本当に飴細工の一部になるよ」
捕らわれたカタリーナに、より飴が食い込み、引き
飴の
「僕の機嫌が直ったら、君にもちょっと味見させてあげるさ。だから良い子で待っててよ」
言いながら、舌は耳飾りを
痛みと嫌悪で、フロリンダは必死に顔を背けるが叶わない。
「甘い。とっても甘いな、ママは。花の
フロリンダの視界に、白い結晶と雪が冷気を
いつの間にか間合いをつめたレイが、一振りの剣を手に、目の前に立っていた。
素早くレイが剣を横一文字に
フロリンダは、解放された反動で前にのめる。
体制を整えようとして、足元に転がる『主人』にさらに
「レイ……」
フロリンダは驚いてレイを見る。
しかし彼が口を開くより早く、わざとらしいため息が響いた。
「何度も刺されたり、
その声は、
捕縛の飴に
つい先ほどまで恐怖に怯える表情をしていたカタリーナが、打って変わって
レイはフロリンダを素早く下ろすと、ためらわずカタリーナに
同時にカタリーナを
その動きを察したフロリンダは、
飴の触手は弾かれて、
レイは一度後退し、無言でカタリーナと向かい合った。
「あーあ、おもしろくないったら。いつ、どうして気が付いちゃったの?」
レイは冷たい面持ちのまま、口を開いた。
「我が一族が
カタリーナはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「丁寧に丁寧に、
カタリーナは自身を
「綺麗で可愛い、そこの愛されキャラの妖精さんとの接触のせいなのね。まさかあなたたちが、そんなに相性がイイなんて思わなかったわ。正反対でぶつかり合って面白いショーが見られるって、期待していたのに」
カタリーナは軽やかに縛めから腕を外して、
「本体に戻らなきゃ、お仕置きできそうもないな」
カタリーナはバリバリと
髪飾りは花吹雪となり、強い結界を
それを見て、カタリーナはせせら笑った。
「考えたわね?まあ、呪いが解けない限り、その場
床に転がった『主人』が黒い
それはか黒い球体となり、瘴気をまき散らしながら高速の回転を始めた。
同時に、それまで
その感覚を、フロリンダは知っていた。
以前、
次元の異なる
『どちらもえらく高度だ。魔王のひとりってのは
あの日のアルスの言葉が
「まさか……魔王、なの……?」
フロリンダの呟きに、
「魔王クラスの力を持ちながら、遊びたいがためにそれを
『主人』を包んだ球体が弾け、ソレが姿を見せた時。
フロリンダは、完全に敵の支配領域に閉じ込められたことを知った。
「これからが本番だよ。僕の可愛くて素敵なオモチャたち」
あちこちから、
渦を巻く角、黒と紫苑色の
声は少年のものだが、上半身には乳房のふくらみがある。
その下半身は、
四角い瞳の山羊の目を持つ強大な魔力を持った悪魔が、真の姿を持って二人の前に立った。
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