第11話 風と華の娘
唇を
それを頬に感じると、レイは離れた熱がすぐにまた恋しくて、再び唇を重ねた。
こんな自分はおかしい—―そう思っても、止めることができない。
フロリンダの
自分から力づくで
けれど今は逆に、この眩しさを守りたいと思っている。
信じ
何度となく繰り返した口づけの果てに、フロリンダが
その小さな頭を抱えるように引き寄せながら、
妖精は意中の相手ができた時、
確かにこの香りは、胸の奥深くに沁みいって何度でも求めずにはいられない引力があった。
「フロリンダって……」
甘えを
「フロリンダって、もう一度呼んで?」
「……フロリンダ」
応じてやると、フロリンダは顔を上げて、嬉しそうなはにかみ笑いを見せた。
同時に、甘い
「名前を呼ばれるだけで、そんなに嬉しいのか?」
「名前は、私そのものだもの。特別なひとに呼んでもらえたら、そりゃ嬉しいわよ」
名前を呼ぶ、それだけでこんなにも喜ぶのならば、何度だって呼んでやりたい。
生涯その
だが、それは叶わない未来だった。
「……僕は、どんなことをしても一族を解放する」
フロリンダのつややかな銀色の髪を、ひと房、手に取り、柔らかさを確かめながらレイは口を開いた。
「そのためには……今後、君と
開いた
フロリンダは笑みを消して、真っ直ぐにこちらを見た。
「それがあなたの
「知ってる」
強気な表情がまた愛らしくて、レイは思わず笑ってしまう。
こうして唇を重ね、身を寄せ合っていながら冷淡な宣言をしても、フロリンダはなお自分を明るく照らす。
役目を果たそうとする心と、どうしようもなくフロリンダに
そんな
「私は、妖精の女王の後継者なの。だから、氷精の長を継ぐあなたの
血の
フロリンダの眼差しに、ふと影が落ちた。
「あなたが親御さんや兄弟を何としても守ろうとするのは、あなたがとても大切にされていた証拠ね。ちょっと
言って、フロリンダは木々の
その白い横顔が
「君にも親が?」
言い当てたようで、フロリンダは彼女らしくない苦い笑みを微かに浮かべこちらを見て、頷いた。
「私の母は、妖精だったの」
「…だった?過去形だね」
答える代わりに、フロリンダは再び寄りかかってきた。
「……誰にも、ちゃんと自分から話したことのない私の話……聞いてくれる?」
吐息交じりに、フロリンダは語り始めた。
「……私がなぜ、妖精なのに、風精に匹敵するくらいの風を操れるのか、不思議に思わない?」
「ああ。匹敵というか、風精を…恐らく長でさえ、君は
妖精は、すべての元素の力を行使できる。
だが、風から生まれ、風そのものになることもできる、研ぎ澄ました純然な力を
それを
まるで、風が彼女を愛して、すべてを
「私の父は、西風の神。春を告げる
そう聞けば、全てが
「母は、クローリスという妖精だった。花を愛する、とても愛らしい妖精だったそうよ。私に良く似ているのですって」
その口ぶりから、フロリンダは母に会ったことがないのだと
レイはフロリンダの頭を、そっと
「君に似ているのなら、
フロリンダはレイの身体に腕を回してしがみつき、照れくさそうに額を肩の辺りに
「父が母を
けれど妖精である母は、胎内に宿った父の
その時に、父は天界に
天界は慈悲を
精和界でも天界と行き来する神格者は居るが、心身共に
神に
「それは…転生、だね。そうなると、記憶が……」
「そうよ。新しく生まれ変わるということは、妖精として生きてきた記憶の全ては浄化され、消えてしまう。
母もそれを了承して、女神の
腕の中を
「けれど、母は父を愛していたことだけは忘れなかったの。娘を生み落としたことは忘れたのにね。晴れて父と母は天界で夫婦となり、今も幸せに暮らしているというわ。
私は、母が女神に生まれ変わると決めた時に、親友のティタニアさまに預けられたの」
話し
「母は、生んだ子どものことも、親友のティタニアさまのことも忘れるとわかっていても、女神になることを選んだ。生きたいと…何もかも
私は、女王の資質が認められたから、ティタニアさまに手ずから育てていただいた。父母には
父の気配は、時々、風に感じる。母の気配は、花に感じる。けれど、それだけよ。私が一方的に感じているだけ」
レイは、フロリンダの言葉に
いつもながらの明るい口調の裏に、
「フロリンダ…」
「私、ティタニアさまの全てを継承できるように、頑張ってるのよ?女王の資質を持つ子が他に現れても、私こそが最も
女王は妖精たちすべての母。皆を平等に慈しむ。その中で、特別に手元で育てて頂いたのだもの。期待に答える私でいないと」
力の入り過ぎた口調に、レイは違和感を確信してフロリンダの身体を引き寄せていた腕を緩めて顔を覗き込んだ。
瑠璃色の瞳が長い
「フロリンダ」
レイは再び彼女を呼んで、
柔らかな頬に
「妖精の女王は…資質があるから、君を育てた、と……ご本人が言ったのか?」
フロリンダは小さくかぶりを振る。
「……
「本人に確かめずに、決めつけるのは良くない」
フロリンダは息を
澄んだ夜空を映したような双眸が、
「君を見た時、僕は、愛されて大切に育った存在だと思った。愛されて育った者は、長じて、周囲に愛を返そうとする。素直で自信に
今の君の姿から、女王が、資質だけのために手元で育てたとは、僕は思えない」
「でも」
フロリンダは震える
「お母さまと…呼ばせてくださらないの……」
言葉と同時に、涙が頬を転がり落ちていく。
「一度だけ、聞いたの。お母さまと呼んでもいいですか?って。ティタニアさまは困ったように、『あなたのお母さまは別にいらっしゃるわ』と仰ったわ」
「そう答えた女王の真意は、正確にはご本人以外、誰にもわからないだろう。けれど、先々の利益のためだけで育てたならば、君はこんなにも愛情豊かに育ってはいないと僕は思う」
表面だけを見ても、本意はわからない。
言葉に込められた想いは、時に、ひとつではない。
心にはいくつもの面があって、そのすべてで色が違う。
感情をすべてを、言葉で語りつくし、伝えることはとても難しい。
「わたし……ずっと、そのことが
フロリンダは顔を両手で
「どうしても寂しくて……、恵まれてるのだもの、感謝すべきっていつも思ってて……感謝しているのも、嘘じゃないわ。世界も、みんなも、大好きなの。それは嘘じゃない……嘘じゃないからこそ、寂しいなんて言ったら
フロリンダの中で、
誰の目にも明るく輝いて見える姿の奥に、拭いきれない
この繊細さこそが、
「父君にしても……君に何の感情もなかったら、風はこれほどまでに君を愛さないだろう。風が君を愛して集まるのは、それそのまま、風神の
フロリンダは鼻を鳴らして
幼児のような様子に、レイは思わず頭を撫でる。
こんなフロリンダを見たのは、きっと自分以外にはいないだろう。
光が強ければ、影も濃くなる。
「自信に
全部、許せばいい。全部まとめての魅力だ」
フロリンダは驚いたように涙に濡れた顔を上げて、まじまじとこちらを見た。
その涙を
「……あなたの手、とても好きよ。私の
何か続きを言いかけて、フロリンダは言葉を飲み込んだ。
その切なげな様子が、レイの胸を
一段と、周囲の気温が下がった。
「……夜明け前だ」
もう一度フロリンダを腕の中に引き寄せて、レイは静かに言った。
「もう、行かなければ。『主人』は昨日、何故か強いダメージを受け、
フロリンダは
応えるように、レイの腕にも力がこもる。
このまま二人でいられたら—―そう思う強い気持ちが、互いの中にある。
だが、目の前のすべてを
それがわかる二人だから、ここで別れることは
同じ決意を理解できるフロリンダだからこそ、なお愛しかった。
木々の隙間から、
空は紫から
「……あの光は、あなたね」
レイは静かに頷いた。
自分の名前の由来は、確かに旭光だった。
フロリンダは、無言で
「……君に、これを返すよ」
上着の
血の汚れも
フロリンダは微笑んで受け取り、レイの首に腕を回して、
「あげる。それは、エーテルのお姫さまが手ずから織った布よ。きっとあなたを守ってくれる」
泣き続けて
何の
と、フロリンダが
それは水を閉じ込めたような、珍しい
「これは……?」
「これもエーテルのお姫さまに頂いたの。水そのものなのよ」
水と聞いて、レイは思わずフロリンダを引き寄せ、ブローチに唇をつけた。
目を
「……精霊としての僕は、そこに置いていくよ」
「一族の呪いを解いても、僕は自らの行いの裁きを受ける。だから……」
それ以上は言わず、レイはフロリンダに背を向けた。
「……ありがとう」
背中に送られた感謝に、振り向きそうになる。
「私がこの世にある限り、大切に……ずっと大切にするわ」
ここできっぱり何も残さずに離れた方が、フロリンダのこれからのために良いとわかっている。
それでも自分を彼女に
レイはそのまま、音もなく安らぎなき闇の世界への扉を
それでも—―――この日を忘れない。
消えてくれるな、と何よりも強く自らが願っているのだから。
※※※
レイが消えた泉を見つめ、フロリンダは静かに昇る朝日に身をさらしていた。
時が止まってしまえばいいと思った。
寄り
けれど、果たしてそれが互いに満足できる結末なのかと問えば、否やであることもわかっていた。
愛の言葉を交わしあったわけではない。
むしろ、必要がなかった。
胸に
それを自分に残してくれた、それが何よりも
一度強くブローチを握りしめ、フロリンダは
結界から出てすぐに、シャルロットが無言で出迎えてくれた。
「ごめんなさい、かなり待たせたわね」
シャルロットはかぶりを振って、何も言わずに付いてきた。
「ねえ、ロッテ……私は、王を持たない女王になるわ。それでもいいかしら?」
油断するとこみ上げる哀しみに
「何の問題もありません。それがマスターのご意志であるならば、私はお供するまでです」
「……ありがとう」
吐く息の白さと共に、こらえきれずに涙が
振り切るように、フロリンダは羽を広げて大地を
背の高い木々の隙間を素早く抜け、冷たい早朝の冷気を切り開くようにフロリンダは飛んだ。
夜を開いて広がっていく力強い太陽の光が、目の奥に
零れ落ちる涙をそのままに、フロリンダはより速度を上げて冬の明け方を
何も聞かずにいてくれる、シャルロットの存在がありがたかった。
風の宮に戻ると、フロリンダは表情に
誰に会っても何も言わないまま、
口を開いたら、感情が
外が見通せる寝室の
夜が明けきれば、プリムラがモーニングティーの支度を持ってここに来る。
そして、祈りの間に入り、
さらに、
それまでのほんのひと時でいい—――フロリンダはくず折れて、寝台に突っ伏した。
ひと時でいいから、思うさま泣きたかった。
自分とレイの間に、花は咲いても、実は
どんなに
抱き合っても、口づけを交わしても、例え身体を重ねたとて、定めた未来を忘れることはできない。
目指すものを
それは、悲しいくらいに互いに理解していた。
それでも—――――
レイと一緒に生きたかった。
時に
女王としての未来も、司守としての自分も
レイの目的を果たすために生き、寄り
その果てに彼が
彼のためだけに生きるフロリンダになりたかった。
人知れず声を上げて泣きながら、フロリンダは自分の中に、産みの母と同じ
全てをかなぐり捨てても愛する人に
それは、
泣きながらフロリンダは初めて、会ったことのない母を身近に感じた。
顔も知らない父母の恋を、理解した。
たった一夜で一生分の恋をすることもあるのだと、フロリンダは止まらない涙の中で、思い知ったのだった。
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