第11話 風と華の娘

 唇をはなすと、鮮やかに色づいた果実のような唇から、甘い吐息がれる。

 それを頬に感じると、レイは離れた熱がすぐにまた恋しくて、再び唇を重ねた。

 こんな自分はおかしい—―そう思っても、止めることができない。

 フロリンダのまぶしさは、不快ふかいだった。

 自分から力づくでうばわれた澄んだ輝きを思うさま振りまく姿を見ると、心がにごった。

 けれど今は逆に、この眩しさを守りたいと思っている。

 信じがたい心の変貌へんぼうに困惑しながら、けれどもう以前の自分には戻れないこともわかっていた。

 何度となく繰り返した口づけの果てに、フロリンダが呼気こきを乱し、もたれてきた。

 その小さな頭を抱えるように引き寄せながら、微妙びみょうに変化した彼女の香りを深く吸い込む。

 妖精は意中の相手ができた時、魅惑みわくの香りを放つという。

 確かにこの香りは、胸の奥深くに沁みいって何度でも求めずにはいられない引力があった。

「フロリンダって……」

 甘えをはらんだ小さな声に、レイは耳を傾ける。

「フロリンダって、もう一度呼んで?」

「……フロリンダ」

 応じてやると、フロリンダは顔を上げて、嬉しそうなはにかみ笑いを見せた。

 同時に、甘い芳香ほうこうがより強まる。

「名前を呼ばれるだけで、そんなに嬉しいのか?」

「名前は、私そのものだもの。特別なひとに呼んでもらえたら、そりゃ嬉しいわよ」

 名前を呼ぶ、それだけでこんなにも喜ぶのならば、何度だって呼んでやりたい。

 生涯そのかたわら—―一番近くで、耳元にささやいていたい。

 だが、それは叶わない未来だった。

「……僕は、どんなことをしても一族を解放する」

 フロリンダのつややかな銀色の髪を、ひと房、手に取り、柔らかさを確かめながらレイは口を開いた。

「そのためには……今後、君と相対あいたいすることだってあるかも知れない。だが、引かない。それはゆずれない」

 開いたてのひらから、銀の細い髪がはかなげにこぼれ落ちていく。

 フロリンダは笑みを消して、真っ直ぐにこちらを見た。

「それがあなたのつとめですもの。私も譲らないから安心して。言っておくけど、私、可愛いけど強いわよ?」

「知ってる」

 強気な表情がまた愛らしくて、レイは思わず笑ってしまう。

 こうして唇を重ね、身を寄せ合っていながら冷淡な宣言をしても、フロリンダはなお自分を明るく照らす。

 役目を果たそうとする心と、どうしようもなくフロリンダにかれていく心とで、いっそ二つに裂けてしまえばいいとさえ思う。

 そんな感傷的かんしょうてきな思いは初めてで、そんな自分にまどい、そして持て余してもいた。

「私は、妖精の女王の後継者なの。だから、氷精の長を継ぐあなたの気概きがいも責任も、共感できる。それに、あなたが一族を…ご両親や弟さんを、責務せきむとして以上に大切にして、救い出したいと思っているのもわかるわ。

 血のつなぐあたたかなきずながあるから、より強まるのでしょうね……」

 フロリンダの眼差しに、ふと影が落ちた。

「あなたが親御さんや兄弟を何としても守ろうとするのは、あなたがとても大切にされていた証拠ね。ちょっとうらやましいな」

 言って、フロリンダは木々の隙間すきまに見える星空を見上げた。

 その白い横顔がはかなげげに見えて、レイは思わず尋ねる。

「君にも親が?」

 言い当てたようで、フロリンダは彼女らしくない苦い笑みを微かに浮かべこちらを見て、頷いた。

「私の母は、妖精だったの」

「…だった?過去形だね」

 答える代わりに、フロリンダは再び寄りかかってきた。

 華奢きゃしゃな身体を受け止めると、腕の中で小さく言った。

「……誰にも、ちゃんと自分から話したことのない私の話……聞いてくれる?」

 うなずいて、回した腕に力を込める。

 吐息交じりに、フロリンダは語り始めた。

「……私がなぜ、妖精なのに、風精に匹敵するくらいの風を操れるのか、不思議に思わない?」

「ああ。匹敵というか、風精を…恐らく長でさえ、君は凌駕りょうがしているように見える」

 妖精は、すべての元素の力を行使できる。

 だが、風から生まれ、風そのものになることもできる、研ぎ澄ました純然な力を発現はつげんできる風精を風の魔法でしのぐことは、不可能に近いはずだ。

 司守つかさもりは最も強い力を持つ者がくわけではなく、時流、気質などあらゆる面から神々が考慮して選出することを考えれば、そのくらいに居ることはおかしいことではない。

 それをまえても、フロリンダは稀有けうな存在だ。

 まるで、風が彼女を愛して、すべてをささげているように見える。

「私の父は、西風の神。春を告げる豊穣ほうじょうの風なのよ」

 得心とくしんがいって、レイはああ、と声が出た。

 そう聞けば、全てがに落ちる。

「母は、クローリスという妖精だった。花を愛する、とても愛らしい妖精だったそうよ。私に良く似ているのですって」

 その口ぶりから、フロリンダは母に会ったことがないのだとさっせられる。 

 レイはフロリンダの頭を、そっとでた。

「君に似ているのなら、まれなほど可憐な母君だろう」

 フロリンダはレイの身体に腕を回してしがみつき、照れくさそうに額を肩の辺りにりつけた。

「父が母を見初みそめ、母も恋に落ちた。本来、生粋きっすいの神々は精和界に、必要以上の干渉を許されてはいないわ。二人の恋は天界の許可を待たずに走り出し、その果てに、母は私を身籠みごもったの。

 けれど妖精である母は、胎内に宿った父の神気しんきを受け止めきれなかった。母は、生めば命が危ういとわかっていながら私を生み落とし、生死の境を彷徨さまよったわ。

 その時に、父は天界に懇願こんがんしたの。母に神格を授け、女神として生まれ変わらせることで、存在を維持いじできるように。

 天界は慈悲をれ、父の願いを聞き届けたわ。けれど、母は神格をたまわれるほどの妖精ではなかった。妖精としての死は、避けられないってこと……」

 精和界でも天界と行き来する神格者は居るが、心身共に強靭きょうじんで力にあふれている。

 神にあたいする条件をクリアし、階段を昇るように神格へと着実に辿り着いたならば、問題ないが—―。

「それは…転生、だね。そうなると、記憶が……」

「そうよ。新しく生まれ変わるということは、妖精として生きてきた記憶の全ては浄化され、消えてしまう。

 母もそれを了承して、女神の御位みくらいたまわった。母は妖精クローリスから、女神フローラへと生まれ変わったの。その瞬間、妖精クローリスの記憶は、浄化された」

 腕の中をのぞき込むと、フロリンダはさびしげな笑みを唇に浮かべていた。

「けれど、母は父を愛していたことだけは忘れなかったの。娘を生み落としたことは忘れたのにね。晴れて父と母は天界で夫婦となり、今も幸せに暮らしているというわ。

 私は、母が女神に生まれ変わると決めた時に、親友のティタニアさまに預けられたの」

 話しつかれたのか、フロリンダは長いため息を吐いた。

「母は、生んだ子どものことも、親友のティタニアさまのことも忘れるとわかっていても、女神になることを選んだ。生きたいと…何もかもなげうっても父と共にいたいという親友の願いを、ティタニアさまは受け入れたわ。妖精としての生、すべてを忘れても、また親友になればいいと。

 私は、女王の資質が認められたから、ティタニアさまに手ずから育てていただいた。父母にはてられたけれど、ティタニアさまを師と仰ぎ、育てて頂いたのは、幸いだった。

 父の気配は、時々、風に感じる。母の気配は、花に感じる。けれど、それだけよ。私が一方的に感じているだけ」

 レイは、フロリンダの言葉に違和感いわかんを覚えた。

 いつもながらの明るい口調の裏に、かげりがある。

「フロリンダ…」

「私、ティタニアさまの全てを継承できるように、頑張ってるのよ?女王の資質を持つ子が他に現れても、私こそが最も相応ふさわしくあるように。才はあっても、磨かなければ意味がないもの。

 女王は妖精たちすべての母。皆を平等に慈しむ。その中で、特別に手元で育てて頂いたのだもの。期待に答える私でいないと」

 力の入り過ぎた口調に、レイは違和感を確信してフロリンダの身体を引き寄せていた腕を緩めて顔を覗き込んだ。

 瑠璃色の瞳が長い睫毛まつげを震わせて、不安定なまたたきを繰り返している。

「フロリンダ」

 レイは再び彼女を呼んで、やわらかなほほてのひらで包んだ。

 柔らかな頬にまった熱が、しずまってフロリンダの表情が和らぐ。

「妖精の女王は…資質があるから、君を育てた、と……ご本人が言ったのか?」

 フロリンダは小さくかぶりを振る。

「……おっしゃってないわ」

「本人に確かめずに、決めつけるのは良くない」

 フロリンダは息をんだ。

 澄んだ夜空を映したような双眸が、動揺どうように揺れる。

「君を見た時、僕は、愛されて大切に育った存在だと思った。愛されて育った者は、長じて、周囲に愛を返そうとする。素直で自信にあふれているが、周り全てを気遣きづかうこともできる君の姿は、まさにそれだ。

 今の君の姿から、女王が、資質だけのために手元で育てたとは、僕は思えない」

「でも」

 フロリンダは震えるかすれ声で反駁はんばくした。

「お母さまと…呼ばせてくださらないの……」

 言葉と同時に、涙が頬を転がり落ちていく。

「一度だけ、聞いたの。お母さまと呼んでもいいですか?って。ティタニアさまは困ったように、『あなたのお母さまは別にいらっしゃるわ』と仰ったわ」

「そう答えた女王の真意は、正確にはご本人以外、誰にもわからないだろう。けれど、先々の利益のためだけで育てたならば、君はこんなにも愛情豊かに育ってはいないと僕は思う」

 表面だけを見ても、本意はわからない。

 言葉に込められた想いは、時に、ひとつではない。

 心にはいくつもの面があって、そのすべてで色が違う。

 感情をすべてを、言葉で語りつくし、伝えることはとても難しい。

「わたし……ずっと、そのことがさびしくて……」

 フロリンダは顔を両手でおおった。

「どうしても寂しくて……、恵まれてるのだもの、感謝すべきっていつも思ってて……感謝しているのも、嘘じゃないわ。世界も、みんなも、大好きなの。それは嘘じゃない……嘘じゃないからこそ、寂しいなんて言ったら傲慢ごうまんだって、誰にもこんな気持ち、見せずに来たの。言ったことなかったの。贅沢ぜいたくだって、ワガママだって、自分でも思って……」

 支離滅裂しりめつれつな言葉は、今の彼女の心情しんじょうそのままなのだろう。

 フロリンダの中で、いくつものそうになって隠れていた感情が、一気に表層ひょうそうに吹き出して整理がつかないのだ。

 誰の目にも明るく輝いて見える姿の奥に、拭いきれない寂寥せきりょうと孤独感をおりのようにかかえ、身をすくめる臆病おくびょうなフロリンダがそこにいた。

 この繊細さこそが、まばいほどに魅力的な妖精が知らずにかもし出し、そしてさらに他者の気をく、あやうさの正体だとレイは感じた。

「父君にしても……君に何の感情もなかったら、風はこれほどまでに君を愛さないだろう。風が君を愛して集まるのは、それそのまま、風神の御心みこころとは感じないかい?」

 フロリンダは鼻を鳴らして曖昧あいまいに頷いた。

 幼児のような様子に、レイは思わず頭を撫でる。

 こんなフロリンダを見たのは、きっと自分以外にはいないだろう。

 光が強ければ、影も濃くなる。

 まばゆさの中にいるからこそ、フロリンダは誰に弱音を吐くこともできずに、ひとり、ただただ笑っていたのだ。

「自信にあふれて輝いている君も、本当の君。寂しさを感じる君も、本当の君。そんな自分を𠮟責しっせきしたり、鼓舞こぶしたり、また、笑い飛ばす君も、全部、君自身だ。

 全部、許せばいい。全部まとめての魅力だ」

 フロリンダは驚いたように涙に濡れた顔を上げて、まじまじとこちらを見た。

 その涙をぬぐってやると、フロリンダはレイの手に自分の掌を重ねて、頬に押し付ける。

「……あなたの手、とても好きよ。私のあらぶりを冷ましてくれる」

 何か続きを言いかけて、フロリンダは言葉を飲み込んだ。

 その切なげな様子が、レイの胸をめ付ける。

 一段と、周囲の気温が下がった。

「……夜明け前だ」

 もう一度フロリンダを腕の中に引き寄せて、レイは静かに言った。

「もう、行かなければ。『主人』は昨日、何故か強いダメージを受け、前後不覚ぜんごふかくになって寝入ねいっている。だが、いつ目を覚ますかわからない」

 フロリンダはだまってしがみついている腕に力を込めた。

 応えるように、レイの腕にも力がこもる。

 このまま二人でいられたら—―そう思う強い気持ちが、互いの中にある。

 だが、目の前のすべてを放棄ほうきして共に居たとしても、いずれ、自分たちを許せなくなる。

 ててしまった現実が自分たちの前に横たわり、罪として大きなみぞをつくる。

 それがわかる二人だから、ここで別れることは決定事項けっていじこうだった。

 同じ決意を理解できるフロリンダだからこそ、なお愛しかった。

 木々の隙間から、旭光きょっこうが白くのぞいて闇を切り開く。

 空は紫からだいだい、淡い朱色を帯びて夜が退いていく。

「……あの光は、あなたね」

 レイは静かに頷いた。

 自分の名前の由来は、確かに旭光だった。

 フロリンダは、無言で羽織はおっていた上着をレイの肩に戻した。

 芳醇ほうじゅんな花の香りが、そこには移っている。

「……君に、これを返すよ」

 上着のそでに腕を通し、胸ポケットからレイは初めて会った時、傷口をしばってくれたフロリンダのリボンタイを差し出した。

 血の汚れも綺麗きれいに落としたそれは、絹の光沢以上のつやがある不思議な布だ。

 フロリンダは微笑んで受け取り、レイの首に腕を回して、ゆるまとめた髪に、それを重ねて結んだ。

「あげる。それは、エーテルのお姫さまが手ずから織った布よ。きっとあなたを守ってくれる」

 泣き続けてあかくなった目尻めじりがいじらしくて、また抱きしめたくなるのをレイはこらえた。

何のうれいもなく、この華奢きゃしゃな身体を抱き寄せて手をとりあい、想いを重ね未来をつむいで行けたら...そんならしからぬ感傷かんしょうが胸をよぎぎるのを、にぎりりつぶすようにしておさえる。

 と、フロリンダがえりの中央に付けたブローチに目が留まる。

 それは水を閉じ込めたような、珍しいうるんだ輝きを見せてレイの目をき付けた。

「これは……?」

「これもエーテルのお姫さまに頂いたの。水そのものなのよ」

 水と聞いて、レイは思わずフロリンダを引き寄せ、ブローチに唇をつけた。

 れていたうるおいがきらめいて止まり、雪の結晶が浮き上がる。

 目を見張みはるフロリンダから、今度こそ手を離してレイはくうすべって泉へと後退こうたいした。

「……精霊としての僕は、そこに置いていくよ」

 徐々じょじょに薄くなる闇の中、フロリンダの大きな目に再びこみ上げたしずくが、朝日を映して水晶のように輝く。

「一族の呪いを解いても、僕は自らの行いの裁きを受ける。だから……」

それ以上は言わず、レイはフロリンダに背を向けた。

「……ありがとう」

 背中に送られた感謝に、振り向きそうになる。

「私がこの世にある限り、大切に……ずっと大切にするわ」

 ここできっぱり何も残さずに離れた方が、フロリンダのこれからのために良いとわかっている。

 それでも自分を彼女にきざみつけておきたいという身勝手さを、じながらもおさえることができなかった。

 レイはそのまま、音もなく安らぎなき闇の世界への扉をもぐった。

 念願ねんがんを果たし、その後に世界から消え失せるのは、責務せきむのひとつと覚悟している。

 それでも—―――この日を忘れない。

 永久えいきゅうの中、ほんの一瞬にも満たないこの夜の出来事は、魂に刻まれて消えることはないだろう。

 消えてくれるな、と何よりも強く自らが願っているのだから。

※※※

 レイが消えた泉を見つめ、フロリンダは静かに昇る朝日に身をさらしていた。

 時が止まってしまえばいいと思った。

 寄りったまま、白樺しらかばに守られた夜の静寂しじまの中、すべてが停止ていししてしまえばいいと。

 けれど、果たしてそれが互いに満足できる結末なのかと問えば、否やであることもわかっていた。

 愛の言葉を交わしあったわけではない。

 むしろ、必要がなかった。

 胸にかざったブローチに残った雪の結晶が、レイの心だ。

 それを自分に残してくれた、それが何よりも雄弁ゆうべんに愛をあかしている。

 一度強くブローチを握りしめ、フロリンダはきびすを返した。

 結界から出てすぐに、シャルロットが無言で出迎えてくれた。

「ごめんなさい、かなり待たせたわね」

 シャルロットはかぶりを振って、何も言わずに付いてきた。

 しもふくんだ下草したくさが、歩くたびにはかない音を立てる。

「ねえ、ロッテ……私は、王を持たない女王になるわ。それでもいいかしら?」

 油断するとこみ上げる哀しみにのどふるえるのをおさえて、努めていつも通りに声をかける。

「何の問題もありません。それがマスターのご意志であるならば、私はお供するまでです」

「……ありがとう」

 吐く息の白さと共に、こらえきれずに涙がこぼれた。

 振り切るように、フロリンダは羽を広げて大地をる。

 背の高い木々の隙間を素早く抜け、冷たい早朝の冷気を切り開くようにフロリンダは飛んだ。

 夜を開いて広がっていく力強い太陽の光が、目の奥にみて、痛い。

 零れ落ちる涙をそのままに、フロリンダはより速度を上げて冬の明け方を飛翔ひしょうした。

 何も聞かずにいてくれる、シャルロットの存在がありがたかった。

 風の宮に戻ると、フロリンダは表情にふたをする。

 誰に会っても何も言わないまま、だまって東塔の寝室にこもった。

 口を開いたら、感情があふれて止まらなくなりそうで、挨拶すらできなかったのだ。

 外が見通せる寝室の硝子面ガラスめんからは、夜明けを迎えた世界が雲海うんかいけて金のきらめきを広げ、清らかな薄紫と朱色に大気を染めあげてこの上なく美しい。

 夜が明けきれば、プリムラがモーニングティーの支度を持ってここに来る。

 そして、祈りの間に入り、司守つかさもりとしてそつなくすべてをり仕切らねばならない。

 さらに、対処たいしょしなければならない大事もある。

 それまでのほんのひと時でいい—――フロリンダはくず折れて、寝台に突っ伏した。

 ひと時でいいから、思うさま泣きたかった。

 自分とレイの間に、花は咲いても、実はらない。

 どんなにかれ合っても、愛しても、見えている先の景色が違う。

 抱き合っても、口づけを交わしても、例え身体を重ねたとて、定めた未来を忘れることはできない。

 目指すものをててしまえば自分を棄てることと同義であれば、決して結ばれることがない。

 それは、悲しいくらいに互いに理解していた。

 それでも—――――


 レイと一緒に生きたかった。

 時にたかぶり、荒ぶってしまう感情を静かに冷やすあの手を離したくなかった。

 女王としての未来も、司守としての自分もなげうって、彼のためだけに存在したかった。

 レイの目的を果たすために生き、寄りって支えることをすべてにしたい。

 その果てに彼が断罪だんざいされるなら、共にさばかれる自分でいい。

 彼のためだけに生きるフロリンダになりたかった。


 人知れず声を上げて泣きながら、フロリンダは自分の中に、産みの母と同じ激情げきじょうがあることを認めた。

 全てをかなぐり捨てても愛する人にいたいという、くるおしく吹きすさぶ恋情れんじょう

 それは、未来永劫みらいえいごう消えることのない、魂に刻みつけられる想い。

 泣きながらフロリンダは初めて、会ったことのない母を身近に感じた。

 顔も知らない父母の恋を、理解した。

 たった一夜で一生分の恋をすることもあるのだと、フロリンダは止まらない涙の中で、思い知ったのだった。

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