最終話 『君の声を背中に、僕は夏を投げた。そして風になる』

放課後の部室。


 誰もいなくなったロッカーの前で、私は静かにページを開いた。


 最後の観察日記を書くために。




 




 “風祭くんの観察日記”と、勝手に名前をつけて始めたこの記録帳。


 最初は、本当にただの「マネージャーの仕事」だった。


 ピッチャーの調子や投球数、フォームのぶれ、クセ球の傾向……。


 それらをデータとして書き残すことが、チームの役に立つと思ってた。




 でも──




 いつのまにか、それは「観察」じゃなくて、「応援」になってた。


 そして、応援はやがて、「想い」になった。




 




 たとえば、ある日のページにはこうある。




  “フォームが少し崩れてた。左足の着地がいつもよりほんの5センチ早い。


 でも、キャッチボールで石原くんと笑い合ったとたん、元に戻った。


  ……すごいな。あの二人の信頼関係。”




 また別のページには、こう書いてた。




  “ノックでエラーして、笑ってごまかしてたけど、


  ベンチの隅で、こっそりグラブを磨いてた。……優しいひと。”




 気づいたら、私のペンは、ボールの回転じゃなくて、風祭くんの心の動きを追っていた。




 




 そして、今日は甲子園出場が決まった日。


 グラウンドでは歓声がまだ響いてる。


 だけど私は、部室の静けさのなかで、こう書いた。




 ---




 「背番号1の背中は、遠くなった。でも、近くなった気がする」




 「応援したくて、観察してたのに──」


 「気づいたら、ずっと前から好きだった」




 ---




 たぶん、これが最後の観察日記になる。


 でもそれは、終わりじゃなくて、はじまりなんだと思う。




 風祭くんが、甲子園でどんなボールを投げるのか。


 どんな笑顔を見せてくれるのか。


 私は、またノートを持って、応援席に座っているんだろう。




 




 最後の最後に、私は大きな文字でこう書いた。




 「風祭くん、おめでとう。ずっと、ずっと、かっこよかったよ」




 ページを閉じた指先が、少しだけ震えてるのは──


 きっと、この気持ちが本物だから。




 甲子園の風は、まだ遠い。


 だけど私は、知ってる。


 あの背中を追いかけていけば、きっと、届くってことを。




 




 ──風祭くんの観察日記・その23。これにて、ひとまず完結です。


 (でも、ページの最後にひとことだけ余白を残したのは、内緒)







 蝉の声が、あの日と同じように響いている。




 けれど、少しだけ違っていたのは、風の匂いだった。




 試合の翌日、桜が丘高校はいつも通りの午前授業だった。


 そして午後からは、全校集会──“祝・甲子園出場報告会”。




 講堂に響く拍手、花束、校長の笑顔。


 壇上で整列した野球部の面々は、どこかそわそわしていた。




 壇上の中央、主将・三島の挨拶。


 「“背番号1”に、全員が乗っていた」


 それを聞いたとき、球児は少しだけ顔を伏せた。




 ――背中を支えてくれたのは、グラウンドにいたみんなだけじゃない。




 そう思って、視線をあげる。


 客席の一角、マネージャー席で手帳を抱えた千紗が、まっすぐこっちを見ていた。




 笑っていた。




 夕方。




 誰もいなくなったグラウンド。


 部活は今日はお休み。けれど、球児は自然とここに来ていた。




 そして、その隣に千紗がいた。




 「なにしてるの?」


 「んー……たぶん、余韻ってやつ?」




 ふたりはベンチに並んで座る。


 風が通る。陽が落ちていく。砂の匂いがまだ残っていた。




 「昨日の試合……最終回のフォーク、すごかった」


 「まぁ、あれは千紗のお守りメモ帳のおかげだな」


 「やめてよ……変なこと言わないで」




 けれどその声は、ふんわりと笑っていた。




 千紗が、手帳を開く。


 その最後のページ。


 そこには、震えた文字でこう書かれていた。




 『がんばれ、風祭球児。大好きだよ。』




 「……これ、渡すつもりじゃなかったの」


 「でも、勝っちゃったから?」




 「ううん……勝っても負けても、いつかは言わなきゃって思ってた」




 球児は、それをじっと見つめていた。


 何か言おうとして、言葉が見つからず──


 結局、少しだけ首をかしげて笑った。




 「じゃあ、俺の番だな」


 「え?」




 「千紗。ありがとう」


 「……え、それだけ?」




 「ちがうよ、ちゃんと続きがある」


 球児はまっすぐに千紗を見て、ひと呼吸置いた。




 「……俺も、好きだ」




 言葉が静かに、風に乗った。


 ベンチの隣、手が触れそうな距離。


 けれどふたりはそれ以上近づかなかった。




 「甲子園でも、観察日記、続けてくれる?」


 「……え、ずっと? それはちょっと……」


 「じゃあ、その分、近くで見ててくれよ」


 「……バカ」




 夕焼けのグラウンド。


 赤く染まった背番号と、手帳の文字。




 誰かの夢が、今、現実になったばかりだった。




 夜。


 球児の部屋の机の上。


 母の遺影の前に、小さなメモが置かれていた。




 「お母さん。俺、好きな人ができました」




 その隣には、甲子園出場記念の新聞記事。


 風祭球児の名は、堂々と見出しに刻まれていた。




 桜が丘の夏は、終わらない。




 まだその先に、大きな夢がある。


 でもたしかに──一度きりの、最高の夏がここにあった。




 君の声が、


 君の気持ちが、


 背中を押してくれた。




 あの日、野球をやめなくてよかった。


 あの日、グラウンドに戻ってきてよかった。




“君のために、もう一球、投げたくなる。”




それが、風祭球児の野球だった。




 そして、千紗の笑顔がある限り、


 彼はこれからも、何度でも、投げ続けるだろう。




 「了」






 風になった、あの背中へ。


 ここまで読んでくださったあなたへ──。




 本当に、本当にありがとうございます!




 この物語は「甲子園を目指す弱小高校野球部の青春」という、もはやテンプレ中のテンプレ、ド定番、ベタの中のベタ……というジャンルを、あえてやってみようと決めた作品でした。




 「ほっこり・じんわり大賞」にエントリーするにあたって、じゃあ何を“じんわり”させるか?


 それを考えたときに思い浮かんだのは、「背中」でした。




 グラウンドを駆ける選手の背中、


 応援席から見つめるマネージャーの背中、


 ベンチで采配を振る監督の背中、


 そして──


 たった一人、マウンドに立ち続ける“背番号1”の背中。




 彼らの姿が「風」に変わる瞬間を、


 物語のどこかであなたに感じてもらえたなら、


 きっとそれが「じんわり」だったと思っています。




 ……と、ちょっと真面目なことを書きましたが!




 ぶっちゃけて言うと、一番苦労したのは野球部員たちの名前でした。


 「田代!いや、田代っぽいけどさすがに被る!」「松井?地味?いやいや地味さが武器だ!」などと、


 名付け会議は深夜テンションのカラオケルームばりに紛糾しました。もちろん一人で。




 さらにライバル校・東都学院の川島くんは、最初は“いいやつ”設定だったんです。


 ところが話を進めるうちに「こいつ、めちゃくちゃ嫌なヤツの方が映えるぞ……?」と気づき、


 気がついたら“憎める系クソエース”になっていました。川島、ごめん。でも、お前がいたから球児が輝いた!




 そして、「甲子園出場を決めた!さあ、ここから全国制覇編だーっ!」……と書きたい気持ちは山ほどありましたが、


 文字数、構成、締め切り、作者の脳のスタミナなど様々な事情により、今回は“甲子園初出場決定”までで締めさせていただきました。




 そのかわり、読後にそっと、ふうっと深呼吸してもらえるような結末を目指しました。




 ラストシーン、球児と千紗が見つめた“さびれたグラウンド”には、きっとこれまでの全部が詰まっています。


 声、汗、涙、土、想い……それらが風になって、読んでくれたあなたの胸に吹いたなら、


 この物語は間違いなく“甲子園”に届きました。




 長い物語に最後まで付き合ってくださったあなた、


 この作品を見つけてくださったすべての方へ──




 心からの感謝と、「また、いつか」の気持ちをこめて。




 それでは、またどこかの“空振り”で会いましょう。




 ――著者より。




 P.S.


 お気に召しましたら、「お気に入り」や「感想」「ポイント」などいただけると、


 作者のモチベが完全試合級に爆上がりします!(あと、ちょっと泣きます)


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『夏空フォークボール』 カトラス @katoras

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