第26話 『セイガン偽旗作戦──暴動の裏に潜む罠』
ネメシス第零研究棟──
無菌処理された鉄扉の先、冷気と薬品の臭いが混じり合う生体実験室の奥に、無数の培養槽が並んでいた。
その中心に据えられたオペレーションベッド。そこには“素材”とされた男が拘束されている。かつては兵士だった名残を残す逞しい肉体も、今では内臓の大半を摘出され、人工管で辛うじて生命を維持している状態だった。
ドクトル・メディアスは手術台の傍らで、音楽を口ずさみながら器具を選んでいた。
「さてさて──今回は新しい培養種を使いますよ。コード:E-Melgroth、通称“人喰い蟲”。食欲旺盛で、神経組織に優しく寄生するんですよ、ふふ……」
アシスタントが台車を押してくる。透明なガラス容器の中で、濁った黄緑色の液体に浮かぶ異形の生物──
無数の足、半透明の外殻、そして目玉のような突起が、ぷくぷくと脈動しながら人間の形を模して蠢いていた。
「この蟲たちはですね、ただ喰うだけじゃありません。生体エネルギーを“共喰い”で成長し、宿主の意思を超えて進化する……! まさに“怪人のその先”です」
男の胸が切り開かれる。心臓の脇に直結するように、小さな器官を移植。そこに蟲を一匹、ゆっくりと挿入する。
「さぁ、お入りなさい──あなたの“新しい家”です」
ぬるり、と蠢く蟲が肉の中に潜り込み、内部を這うように移動していく。背骨に沿って侵蝕し、脳幹付近に接触した瞬間、男の身体がガクンと跳ねた。
「ギィ……ィィィイ……ィィィ……!」
声にならぬ呻き。脳波が一時的に停止し、数秒の沈黙を経て、再び脈拍が急上昇。
「ふふ、来ました来ました……脳皮質の再構成、成功……! ああ、これが“怪人ではない存在”の誕生だ!!」
皮膚の下を這い回る蟲の動きが視認できる。肩、腹、脚……あらゆる部位の神経と筋肉が異常に肥大し、皮膚が裂け、中から透明な卵嚢が膨張する。
卵嚢が破裂し、中からは指先ほどの小さな“人喰い蟲”が無数に這い出した。研究員のひとりが反射的に後退するが、メディアスは笑う。
「安心してください。この子たちはまだ飼い主から離れません。……ほら、見てください」
人喰い蟲たちは天井へと這い上がると、指示もなく人間の形をなぞるように密集し、擬態的に“顔”を形づくった。
それは、ゲロスですら見せなかった“群体としての知能”の兆しだった。
「これが──L-Disaster計画の最終段階。単体ではなく、群体。力ではなく、増殖。意思ではなく、本能。これこそが“進化”なのです……!!」
ベッドの上、男の瞼が開かれる。
そこにはもう、人間の理性はなかった。
虹彩は黄色く濁り、瞳孔は縦に割れている。全身を覆う蟲の鱗片が、今にも破裂しそうに膨張していた。
メディアスがそっと耳元で囁く。
「さぁ、歩き出しましょう。“災厄”くん。あなたがこの世界を、喰い尽くすのですよ──」
■
地下回廊C-17区画。灯りの切れた廃通路に、湿気と硝煙の匂いがこもる。
金属を踏み鳴らすブーツ音──現れたのは、ネメシス秘密粛清部隊ブラックエイド。
漆黒の装甲、銀のライン、無表情の仮面。その中心、指揮官レイヴンが静かに手を上げる。
「反逆者・日向イツキ、及び共謀者・ラミア。即時排除対象。戦闘開始」
数秒後、通路が爆発するような衝撃に包まれた。
「ラミア、右!」
「了解。カバーに入る──3秒だけ稼いで」
ラミアの義肢から射出されたブレードが音もなく宙を駆け、側面から突撃してきた粛清兵の関節部を断ち切る。間髪入れず、イツキが跳躍し、両手のブレードを交差させながら突進。
「邪魔だッ!」
粛清兵の胸元に交差斬りを叩き込み、火花と内臓パーツが飛び散る。敵が反応する前に、すでに別の戦闘員が背後から薙ぎ払われていた。
「三体排除。まだ八体」
「どんどんくるな……さすがにしつこい」
ラミアは壁を蹴って後方に跳び、瞬時にエネルギーブレードを二刀に分裂。
光の斬撃が空を切り裂き、さらなる敵を地に伏せさせた。
「ゲロスを討った俺たちを、なめるなよ……」
イツキの目が光を帯びる。全身のスーツが高出力モードに移行し、足元から空気が震えるように振動を起こす。
「残り、任せた」
「“いつもの”やるか」
イツキとラミアは、無言でうなずき合うと、互いの背中を預ける。
「行くぞ──クロス・バースト!」
爆発的な速度で回転しながら、ふたりの斬撃が前後左右に広がり、周囲の粛清兵たちを一瞬で切り裂いた。
5秒後、通路には倒れた粛清兵の残骸だけが残った。
■
金属音。残るは──ただ一人。
レイヴンが、無言のまま剣を抜いた。
全身の装甲から青白い電流が迸る。
「戦闘モード、最大出力。対象:ゲロス討伐経験者。優先殲滅──起動」
「来るぞ!」
レイヴンの剣が閃き、瞬間的にイツキのブレードを弾いた。カウンターで返したイツキの蹴りも、読まれたかのように受け止められる。
「っ……こいつ、速ぇ!」
ラミアが援護に回ろうと跳びかかるが、レイヴンは逆に彼女の義肢を掴み、壁に叩きつける。
「対象:ラミア──排除優先。過去因縁確認。リスク高──制圧推奨」
「言ってろ……ッ!」
イツキが横から飛び込んでラミアを庇い、レイヴンの剣を受け止める。全身に衝撃が走るが、彼は笑った。
「こいつはオーバースペックだ。だが、だからって負けるかよ──!」
ラミアが体勢を立て直し、背後からレイヴンの首筋にブレードを叩き込む。わずかに装甲が割れ、火花が散る。
「決めろ、イツキ!」
「──喰らえ!」
イツキの全力の回転斬りが、レイヴンの腹部を切り裂く。
レイヴンは仰け反るも、倒れない。だがその瞳の光が揺れる。
「……致命傷確認……システム、維持困難……」
その場に崩れ落ちる。
装甲が焼け、内部構造が剥き出しとなった姿で、レイヴンは動かなくなった。
翌朝──
ネメシス中央統制室。
ゼクスの前に立つ部下が、無表情で報告する。
「第17粛清作戦──失敗。ブラックエイド壊滅。指揮官レイヴン、瀕死の重傷」
ゼクスの手が止まる。
「……運ばせろ。あれを“修理”する」
ネメシス第零医務区──ドクトル・メディアスの実験室。
鉄のベッドに横たわるレイヴンの躯体。酸素供給と冷却処理が同時に施され、もはや“人間”の痕跡はない。
「いやはや、ボロボロですねぇ。でもまあ──これで好きに“魔改造”できる」
ドクトルは楽しげに笑うと、手術用アームを起動させた。
「もういっそ人間に戻す必要もない。機械でも怪人でもない、“戦闘存在”にしちゃいましょうか。名前は……そう、“レイヴンMk-II”とかどうです?」
鋭いメスが皮膚を裂き、金属が骨に接続されていく。
死にかけた粛清者は、新たな“怪物”として目覚めようとしていた。
■
都市部第9区画──。
コンクリートの隙間から噴き出す蒸気、割れた街灯の火花、夕闇の帳がじわじわと街を呑み込むなか、突如として響いた轟音が静寂を裂いた。
炎を上げる車両、粉塵にまみれた路面、逃げ惑う市民たちの悲鳴が街に満ちる。
「逃げろ! こっちだ! 子供を先に──!」
瓦礫の山から手を伸ばす老人。転んだ女性を引きずる若者。その向こうから、異形の影がじわじわと姿を現す。
肌の剥がれた人型。膨れ上がった筋肉。叫びながら暴れる旧型怪人。
そのとき、空を切り裂いて降り立ったのは──
「こちらセイガン・ブルー、現場に到着。敵性反応──多数。全機、交戦開始」
戦隊用の戦術音声がヘッドセットから流れ、青のスーツが風を裂いた。地面に叩きつけるように着地したレンは、無感情に剣を抜いた。
その目に、かつての優しさはない。
「セイガン・ピンク、突入。排除行動を開始するわ」
ピンクのスーツを纏ったサクラが、地面に着地すると同時に前方へと跳躍する。手にしたナノブレードは、既に血を吸い始めていた。
ブレードの先が怪人の体を貫き、エネルギーを吸い上げる。その瞬間、彼女の目が淡く赤く光る。
「吸収率、正常。任務続行」
彼女はただ、それだけを言って笑った。
「任務完了率、現在65%。マスコミの回収部隊、投入開始。映像は“英雄の活躍”のみ選別」
上空では、ドローンが旋回し、鮮明なカットだけを選び撮影する。人々を守る“英雄たち”──そんな構図だけが切り取られ、流される。
「さあ、もっと血を流して……正義の舞台はこれからよ」
一方、その作戦を地下のモニター室で見下ろす男がいた。
「……これは、完全に出来上がってるな。プロパガンダとしては、理想的すぎる」
日向イツキはモニターの前で腕を組み、苦々しい表情を浮かべていた。
隣では、情報局の元技官・ハリーがタブレットを叩く。
「第9区画の怪人は全て旧式。ネメシスが3年前に“実験不適格”として廃棄した個体群。その多くは神経処理に難があって、命令すら聞けないはずだった」
「なのに、今はちゃんと“ヒーローの敵”を演じてる……まるで芝居だ」
イツキはふっと息をついた。
「……偽旗作戦、か。敵も味方も舞台装置にして、正義を演出する……まさに“ホワイトジャスティス”だな」
「おい、これ見ろよ。ピンクの吸収率、上がってる。完全に“依存”始まってるぞ」
イツキはサクラの映像を食い入るように見た。
吸収のたびに微笑む彼女の表情。
それはかつての仲間──いや、“人間”としての彼女ではなかった。
「……サクラ。お前、もう限界なんじゃねぇか」
画面越しの仲間に、声は届かない。
イツキは耳元の小型通信機に手を当てた。
「ラミア。応答、ラミア」
『聞こえてる。……何を見た?』
「第9区画、やっぱり“仕組まれてる”。ブラックエイドが一枚噛んでるかもしれん。セイガンが使われてる」
『知ってる。……でも、それを今暴いたら、お前が危ない』
「知ってるよ。だが、やる」
しばしの沈黙の後、ラミアの冷たい声が返る。
『内部監視ルート、開いておく。最短で動け』
「恩に着る」
■
その頃──
統制室でモニターを見つめていたゼクスは、静かに指先を組んでいた。
映像には、見事に演出された“英雄劇”が流れ続ける。
燃える街。悲鳴。そこに降り立つヒーロー。 その構図は完璧だった。
「……コードネーム《ホワイトジャスティス》。市民の信頼回復には十分」
部下の報告を受けながらも、ゼクスの目は別の一点を見つめていた。
セイガン・ブルーの不自然な沈黙。
セイガン・ピンクの“過剰適応”。
そして──イツキの不在。
「……イツキ。君は、どこまで読み取っている?」
窓の外、遠く第9区画の空が赤く染まっていた。
市民の歓声が響く。
「ヒーローが来た!」「助かった!」「セイガン万歳!」
その裏で、捨てられた命があることを、誰も知らない。
あの怪人たちは、本当に“悪”だったのか?
あのヒーローたちは、本当に“正義”なのか?
だが、誰もそれを問わない。
なぜなら──
“正義の物語”は、美しくなければならないのだから。
そしてその闇に、一つの反逆の火が、また静かに燃え上がっていた──。
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