第25話 『傷跡に灯る革命の火──ネメシス改革会議、始動』

 ネメシス中枢塔・最上階、統制室。




 夜。高層ビル群の灯が眼下に広がり、外の世界の静寂とは裏腹に、内部は張りつめた空気で満ちていた。




 黒曜石のように磨かれた床に、二人の影が並ぶ。




 日向イツキと、ゼクス。




 昇格から三週間。正式に幹部となったイツキは、初めて“最高幹部”との個別面談に臨んでいた。




「……少しはネメシスという組織に馴染んだか?」




 ゼクスが背後の窓から外を見下ろしながら、低い声で問いかける。




「馴染んだ、とは言えねえな。未だに全身が拒否反応起こしてる。ただ──」




 イツキはわずかに笑った。




「“中にいるからこそ”見えてくるものもある。正義も、悪も、正面からじゃ本当の姿は見えねぇ」




 ゼクスが振り返る。鋭い目がイツキを見据えた。




「では、問おう。貴様は──このネメシスを、どうしたい?」




 その瞬間、空気が変わる。幹部昇格者への儀式的な問い……ではない。 本気の、試すような問いだった。




 イツキは、迷わなかった。




「“守るために戦う組織”にしたい」




 ゼクスの眉がわずかに動く。




「戦うだけじゃねぇ。潰すだけでもねぇ。必要なのは、恐怖じゃなく“希望”だ。敵が誰だろうと、守る価値のあるもののために動く。それが本来の戦隊の形だった。……ネメシスにだって、変われる余地はある」




「……希望?」




 ゼクスが呟くように繰り返す。




「そうだ。力は使い方次第だ。……ブラックエイドの粛清だって、正義の皮を被った暴力にしか見えねえ」




 イツキの瞳は真っ直ぐだった。偽りのない信念がそこにはあった。




 だが、ゼクスの胸には別のものが渦巻く。




「甘いな、イツキ。理想だけでは“毒”は浄化できん。腐った組織に、希望を注げばどうなる?」




「腐ったまま放っときゃ、全部死ぬ。だったら、治すしかない」




「“治療”に必要なのは、外科手術──時に切除だ」




「俺は切りたくねぇ。“繋ぎなおす”って選択肢が、あるならそっちを選ぶ」




 沈黙。




 どこかで端末のノイズが鳴ったが、誰も反応しなかった。




 やがてゼクスが、静かに椅子に腰を下ろす。




「……君の考えは、危険だ」




「そう思うか?」




「この組織の骨まで染みた毒を、“善意”で抜けると本気で信じているのなら、それこそが反逆の芽だ」




「……俺は、信じてる。変えられるって。……それが“理想”ってもんだろ」




 ゼクスは、ゆっくりと目を閉じた。




(だから君は……危うい)


(だが、眩しすぎるほどに──美しい)




 理想とは毒だ。だが、それを口にする者は、いつだって強く、脆い。




「……この会話の記録は残さない。いいな」




「へぇ、随分と慎重だな」




「いや。……私が、君の理想に“ほだされかけた”記録を、残したくないだけだ」




 イツキは、珍しく言葉を失った。




 そしてその夜。


 ゼクスは静かに決断を下す。




(この男を、殺さねばならない)




 だが心の底では、まだ僅かな希望が残っていた。




(あるいは──殺されても、いいのかもしれない)




 ネメシス本部・最高幹部室。




 分厚い防音扉が閉じられたその空間は、まるで異界のように静まり返っていた。机の上には無数のモニターが並び、あらゆる幹部の動向、部隊の配置、研究施設の監視映像が映し出されている。




 中央の一枚──そこに映るのは、日向イツキ。




 彼が幹部会議で密かに交渉を重ねる様子、同志を募る影、ラミアと肩を並べて歩く背中。




 ゼクスは椅子にもたれながら、その映像を黙って見つめていた。目元は冷徹だが、わずかに揺れる指先が、その胸中の葛藤を物語っている。




「……見えてきたな。君の“構図”が」




 ゼクスはかつて、理想を信じていた。ネメシスという組織が、いずれ“真の平和”のために変われると。




 そのために必要なのは、“痛み”だと理解していた。改革とは、血を流す行為。だからこそ彼は、粛清部隊ブラックエイドを創設した。無慈悲さの裏に、合理性を隠しながら。




 だが──




 イツキは、あまりに“感情的”だった。正義を語り、仲間を守り、希望を捨てない。そんな男は、ネメシスのような怪物の器には収まらない。




「君の“正義”は、やがてこの組織を壊す」




 ゼクスは知っている。イツキの理想は美しい。だが、美しすぎる理想は、腐った根から芽吹いたものにとって毒でしかない。




「──ゆえに、切除する」




 彼は粛清コードを自ら入力した。対象:イツキ。理由:組織の秩序を脅かす反逆性。




 だが。




 その手は、ほんの僅かに躊躇した。




 思い出すのは、ゲロス討伐直後のあの夜。


 血まみれのラボで、意識を失ったラミアを背負いながら、イツキがゼクスに告げた言葉。




「──あんたが変えられないなら、俺が変える」




 その瞳には、怒りも希望もなかった。ただ、信念だけがあった。




 ゼクスはその瞬間、ほんの一瞬だけ“未来”を託してみたいという衝動に駆られた。




 だが──それは、甘えだった。




 ネメシスは感情では変わらない。


 変革とは、信念を切り捨てる行為だ。




 だからこそ、彼は自らの手でイツキを“反逆者”として粛清対象に認定した。




 それが、ゼクスの決意。


 たとえ心の奥で、微かにイツキの勝利を願っていたとしても。




「……証明してみろ、イツキ。感情が、合理を凌駕するというなら」




 ゼクスは再び椅子に深く身を沈め、モニターから目を逸らさなかった。




 粛清は始まる。




 それでも──彼は、理想を捨ててなどいなかった。




 目を開ける。光彩が起動パターンに従い、視界を補正する。仮面の内側で思考は静かに、しかし確実に整列していく。




『任務コードNo.0017──日向イツキおよび共謀者、排除』




 音声入力、ゼクス。




「対象は現在、地下層C-24にて非公式会合を主導。反逆性高。従来の演算では処理不能とされたが──今なら、排除可能だ」




 レイヴンは無言で頷く。




 任務に“疑問”という概念は必要ない。だが、演算中、ひとつのノイズが走る。




 ──イツキ。




 その名を聞いた瞬間、記憶制限領域の奥から微かな熱が昇る。




 “かつての名”が、胸の奥で疼いた。




 排除対象・日向イツキ。元セイガンレッド。




 何故、これほどまでに記録が重複する? なぜ“視覚ログ”が過剰反応する?




 レイヴンのAIは、未知の干渉を“エラー”として処理しようとした。




 だが、ゼクスはそれを止めた。




「記憶制限、30分間だけ解除しろ」


「……理由」


「任務遂行効率の向上。それに……お前の中の“それ”が、どう反応するかを見てみたい」




 記録開始──とAIがささやく。




 レイヴンの中で、“それ”が目を覚ました。







 地下層C-24。




 レイヴンは無言のまま通路を進む。背後には粛清部隊の影。無駄な命令は不要。敵は“裏切り者”。削除すべきだけの存在。




 しかし、通路の奥。爆発の光と共に現れたあの男の姿を目にしたとき──




 何かが、違った。




「来たか、ブラックエイド……!」




 ブレードを抜き、こちらに構えるイツキ。




 その声、目つき、身のこなし。




 記憶にないはずの“既視感”が、レイヴンの脳裏に焼き付く。




 ──お前は……俺と、戦ったことがある。




 いや、違う。




 共に、戦ったことがある──




 脳裏に閃く、赤いマントの記憶。戦場で背中を預け合う記録の断片。名前を呼ばれた感覚。誰かが言った──「ユウジ、背中は任せる」




「……ユウジ」




 思わず、仮面の奥でその名を呟いた。




 イツキの動きが、一瞬止まる。




「……今、なんて言った?」




 答えられなかった。




 その一言は、粛清者としての全てを、揺るがすほどに深かった。




「対象:イツキ──危険度、再計算。新たなプロファイル──“制御不能”と認定」




 AIが冷たく告げる中、レイヴンは自らの中の何かが、確実に壊れていくのを感じていた。







 任務は、失敗だった。




 イツキは逃した。いや──逃したのではない。




 あの瞬間、レイヴンのブレードは……わずかに、軌道をずらした。




 それを誰も気づかなかった。だが、ゼクスだけは分かっていた。




「……記憶制限、再適用」




 ゼクスの声が再び指示を飛ばす。




 レイヴンの視界が暗転する。




 機械としての仮面が、また感情を封じる。




 だが、仮面の奥。




 ほんの小さな“温度”が、まだ残っていた。




 ──お前は、誰だ?




 その問いだけが、ノイズのように胸の奥で、消えずに残っていた。




 あれは思考が見せた幻覚だったのだろうか?


 何にしろ、ゼクスの指令は絶対だ。


 日向イツキ、お前が何者であろうとも、粛清する。


 今度こそ、迷いはないはずだ。




■ 




 鉄の扉が、鈍く重たい音を立てて閉じられた。




 空気は湿り気を帯び、壁には薄暗い配管が走っている。ネメシス本部地下の最深層──存在自体が隠蔽された旧研究棟の奥、かつて生体実験に使われていた廃棄区画。灯りは裸電球一つ、青白く明滅するその光に照らされ、会議室とも呼べぬ狭い空間に五人の影が浮かび上がっていた。




「全員、揃ったな」




 イツキが低く呟くと、誰もが無言でうなずいた。




 彼の左隣には、義肢の左腕を静かに机に添えるラミアの姿。長い黒髪を一つに結い、冷ややかな双眸で周囲の反応を測っていた。




「……ずいぶん懐かしい場所を選んだな」


 そう呟いたのは、痩せた初老の男。異端研究員と呼ばれたかつての科学責任者、ハル=ロゼン。




「ここなら盗聴も記録も不可能。死んだ人間の声を、誰も聞く気はないからな」




 イツキの言葉に、別の若い男が口を開いた。


「呼び出されたときは処刑かと思ったが……“改革”とは、驚いた」




「信じがたい話だが、あんたがゲロスを討ったって話……あれが嘘なら、俺は今ここにいない」




 イツキは静かに頷くと、一歩前へ出た。




「俺はネメシスの幹部だ。だが、それは“外”に見せるための仮面にすぎない。本当の目的は、この組織を内側から変えること。化け物の巣を──正義の顔をした腐敗の中枢を、解体することだ」




 その言葉に、場が凍りついた。




「言葉だけでは信じられない。それがこの場所の現実だ」


 誰かが低く呟いた。




 しかし、ラミアが静かに席を立ち、全員に目を向けた。




「……必要なのは、希望じゃない。必要なのは、“恐怖を超える意志”。私はそれを持っている」




「ふん……一度死にかけた身だ。今さら誰に遠慮がいる?」




 やがて、一人、また一人と立ち上がり、頷き合う。




 そのときだった。




 低く、重たい警報音が天井から鳴り響いた。赤い非常灯が回り、壁に影を映す。




「警告──セキュリティコードβ-2、侵入反応。戦闘ユニット接近中」




 端末の警報に、イツキの顔が緊張に染まる。




「密告か……!」




 遠くから、金属が床を踏みしめる規則的な足音が迫る。どす黒い気配が、回廊を満たし始めた。




「来たか……ブラックエイド」




 漆黒の装甲に身を包み、無表情の仮面を被った人影が姿を現した。その中央に立つ、一際巨大な装甲兵が冷たく宣言する。




「粛清対象──日向イツキ、および共謀者複数名。即時排除を実行する」




 ラミアの義肢が音を立てて変形し、光を帯びたブレードが展開される。イツキもまた腰の剣を静かに抜いた。




「全員、退避しろ。ここは俺とラミアで抑える!」




「イツキ──死ぬ気か!」




「違う。革命の火を消させねえために、ここで止めるだけだ」




 次の瞬間、轟音が地下を揺るがした。青白い閃光と衝突の火花。鉄の叫びと骨の軋む音。




 イツキは敵の装甲を滑るように駆け抜け、斬撃を叩き込む。ラミアは流れるような身のこなしで敵の背後に回り、無音の一閃でその頭部を切り裂いた。




 それでも敵は止まらない。




「対象:イツキ──危険度、再計算。プロファイル更新:制御不能。粛清優先順位──上方修正」




 レイヴンの無機質な声が響く。




 イツキは、傷口から滲む血を拭いもせず、不敵に笑った。




「“制御不能”──上等だ」




 その背に浮かんだのは、かつて背負っていた赤の戦隊マントではない。闇に染まりながらも、なお燃える“反逆”の旗印だった。




「お前たちが“正義の処刑人”を名乗るなら──俺は、“反逆のヒーロー”を名乗らせてもらう!」




 地下を覆う火花の雨。




 血に濡れ、鉄に包まれた世界の中で、確かに火は灯った。




 それはネメシスという怪物の中で芽生えた、唯一無二の“革命の炎”。




 決して希望とは呼べぬこの一歩が、やがて世界の形を変えていく──その始まりだった。

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