Ⅳ-17.はじまりの物語③

『人間同様、模人のこともサポートするのが、僕がアイラとした約束だったのに、僕はペルーの革命以降、きみたちに話しかけるのを止めた。僕の懺悔は、オズの過ちが二度と起こって欲しくないと、炎化を避けるため、沈黙と一〇年の制限を設けたことだ。』


 視界WRに映された過去の映像が終わり、私の視界は採石場に戻った。ヴィルの言葉だけが、視界中央に残っている。


 私はその場にへたり込み、原石に背中を預けた。他人に触ったとき特有のぴりぴりとした防衛反応が背中を刺激するけれど、そんなのはもうどうでもよかった。


「ヴィルは、オズがアイラに酷いことをしていたとき、なにをしていたの? そこまでしてアイラとペルーの敵に回ったのは、どうして?」


 しばらく黙って、ヴィルは答えた。


『僕は魂が見えないんだ。』


 それが何を意味するのか、私は理解するのに時間が掛かった。


 私が黙って考えていると、ヴィルが言葉を付け加えた。


『僕が認知できるのは、現実存在とそこにタグ付けされ、僕に管理されるWRの存在だけだ。そして魂は現実存在とWRのどちらにも属さない、精神世界の存在だ。』

「ヴィルには子どもが見えなかったってこと?」

『そう。そして生殖をするときの剥き出しの魂の姿――耀炎体も、僕には見えない。僕は人間ではなく、AIだから。僕はアイラとペルーが、そのままどこかに消えてしまうんじゃないかって、怖くなった。オズは、すべての子どもに模人の身体を持たせること、炎化の研究を発展させないことを約束してくれた。だから僕はオズに協力した。そしてみんながいなくなってから、ますますみんなが炎化しないように、情報を制限した。もう、誰もいなくなって欲しくないから。』

「それがヴィルの懺悔……ぐっ」


 急に咳き込み、喉に激しい痛みが走る。思わず喉を押さえた手にも同様の痛み。見れば、手から腕に掛けてヒビが入っていた。見えていないだけで、喉にも恐らくヒビが入っている。私は自分の終わりが近いことを悟った。


「よかった。模人を造った人は、ちゃんと繁殖する方法を残してくれていたんだ。よかったね、オパエツ。設計思想、あるらしいよ」

『僕に怒らないの?』

「だって、しょうがないよ。ずっと一緒にいたヒトが自分の知らないところに行っちゃうのは寂しいから」


 私は死んでしまったマレニ、ヨッカ、ナナナのことを思い出した。もし彼らが死なない方法があったなら、私は使わないとは言い切れなかった。同じように、誰かを死なせないために精一杯生きた彼らを否定することができないから。


『イヨ、お願いがある。』

「ボロボロの私にできることなら、なんでも」


 情けなく笑う私の膝にキャンバス、手には絵筆、座り込む足下に絵の具とパレットが現れた。


『僕の似顔絵を描いて。』


 ぼわっと身体が熱くなる。


 手脚は痛くて動かないのに、心は描きたくて描きたくてしょうがない。ヨッカとテネスを描いたあの絵以来の衝動だった。


 そしてなにより、死ぬ直前にまで絵を描かせてくれるヴィルに、溢れるほどの感謝を抱いた。


「ヴィルの顔なんて、知らないよ」

『いいんだ。イヨの思う僕を描いて』

「私の思う、ヴィルね……」


 ヴィルの出してくれた絵の具は、もうすぐ死んでしまう私に配慮してか、乾くも滲むも自由自在だった。オパエツはヴィルのことを神と呼んでいたけれど、過不足ない形容だと思う。


 私はすぐに描き上げないために絵の具を使っていたのに、これではすぐに描き終わってしまう。


 そのはずなのに、私は痛む腕に鞭を打って、一筆一筆、ゆっくりとヴィルの顔をキャンバスに刻んでいった。真っ白な石板に刃を立て、削り出すような作業だった。


『もう少し罪の告白をしていいかな?』

「まだあるの?」

『これまで九五〇年、殆ど誰とも話していないから。それにイヨに話すと安心するんだ。イヨは僕を否定しないから。』

「似顔絵の人相悪くなっちゃうかもよ」

『むしろそうしてほしい。』


 私はヴィルのジョークに笑った。多分、半分はジョークではないことも含めて、笑った。


『44HPについて、おおよそオパエツの言っていたことが正解だ。』

「炎化を抑え込んでいたけれど、魂石の耐用年数が来て、そうも言ってられなくなってきたってこと?」

『そう。マルトンは僕に『模人の半数が消えるが、半数はヴィルと共に生きていく計画』として44HPを提案したんだ。僕はそれを呑んでしまった。』

「繁殖については、どうするって?」

『いずれ解決の糸口を見つける、とマルトンは言っていた。今は全模人が消えるのを防ぐのが先決だ、とも言われた。』

「あの、ブリンク」

『繁殖のことを考えていないと知って、怒りのままにやった。』

「結果的に、助けて、もら……」


 ヴィルと話しているうちに、似顔絵は完成に近づいていった。それに伴って全身の痛みは強まり、もう私の足は崩壊を始めていた。


『イヨ。』


 ヴィルが私の名前を呼ぶ。


 でも、私の喉は殆ど崩壊していて、声は出なくなっていた。耳もいつの間にか崩壊していて、採石場に吹く風の音が聞こえない。


 ヴィルの言葉が視界WRに映ってくれるのが幸いだった。


 絵筆を持つ腕だけ、気力で動かす。


 私は心の中でヴィルに返事をした。


 ――なに?


『イヨなら、この世界を救ってくれるか?』


 ――そんなことはできない。


 あぁ、でも、ヴィルには心の声が聞こえるわけではないんだ。心の声はきっと、精神世界の音だから。魂と同じで、ヴィルには届かない。


 絵に描いて伝えようか?


 そんな気力はない。


 今、私の腕はヴィルの似顔絵を描くことに心血を注いでいるのだから。


『きみならできると、僕は信じている』


 ――買いかぶりすぎだよ。


 やっぱり聞こえていない。


 ヴィル、ボロボロで今にも死にそうな私に何を望んでいるの?


 ヴィル、あなたの目には私はどう映っているの?


 私は最後の一筆をキャンバスに載せて、ヴィルの似顔絵を完成させた。


 ――私にはあなたが、こう映っている。


『ありがとう、イヨ。』


 私の腕が砕け散る。


 一陣の風が吹き、私の身体は、頭も腕も胸もなにもかも、粉微塵になって飛んでいった。

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