Ⅱ-6.堕天的人間化計画③
ナナナが亡くなってから一ヶ月が過ぎ、バラバラの家族は、結局あの日から何も変わらなかった。
家族選挙の日が来たけれど、私たち家族は充足人数を満たしていなかったので、見送りになった。
街では『魂石を健康に保つ』を謳い文句にした食べ物やエクササイズ、お守りまで売り出されていた。社会全体が不安に駆られていく様子をまざまざと見せつけられるのは、耐えがたいものだった。
「いただきます」
マレニの作ってくれた料理が三つ並ぶテーブルを挟んで、オパエツと二人、それが今の我が家の夕飯の光景だった。
最近のマレニの料理には必ず「健康にいい」食品が使われていて、お皿も「磁場」を纏ったものだった。
味がいいのが唯一の救いだ。
「ちょっといいか」
オパエツはスプーンを手に取った私を遮るように、一枚のチラシをテーブルの上に置いた。そこには何人かのグレイズダンサーが載っていた。グレイズジムの宣伝広告だ。
「最近、ヨッカの様子がおかしいから、少し部屋を探ってみたんだ」
「ヒトの部屋に入るのって、ルール違反でしょ」
私はそう言いつつ、ヨッカが心配だったので、強くは咎めなかった。オパエツも態度には出さないが、同じ気持ちに違いない。
「食卓を囲むルールを最初に破ったのはヨッカだ。文句を言われる筋合いはない」
オパエツはチラシを更に私の方へ寄越して、読むよう促した。
チラシは以前ヨッカのダンスショーに呼ばれていた『摩天』のものだった。ダンサーの写真の中に、あのときの対戦相手のテネスも映っていた。
「これがどうかしたの?」
「どうもこうもないだろ。ヨッカは移籍を考えているらしい」
「シャーマさんのところを辞めるってこと? ヨッカが? ありえないでしょ」
私は笑いながら、背筋に冷たいものが走った。ヨッカはずっとシャーマさんに憧れてジムに通っていた。それも今の私が来るより前からずっと。ヨッカのグレイズダンスは、即ちシャーマさんのダンスと同義だった。
「今朝、あいつが家を出るところを尾けたんだ。いくら音を殺しても、階段を降りた俺の部屋には音が聞こえるからな。そうしたらヨッカのやつ、ジムには行ってなかったんだ」
私は自分の息が止まるのを感じた。
まさかそんなはずはない、と思いつつ、黙ってオパエツの話を聞いた。
「考えてみれば当たり前なことだ。早朝と言っても三時だぞ? ジムだって開いていない。ヨッカは東のグリーンパークまで走って、そこでコイツと会っていたんだ」
オパエツはチラシのテネスを強く指差した。
「でもさ、ヨッカがシャーマさんのところをやめるのは寂しいけれど、テネスさんが本当は凄くいい人で、ヨッカがそっちに移りたいと思うなら、それって私たちには止められないことなんじゃない?」
私が訊くと、オパエツは眉間に皺を寄せて、首を傾げた。
「事実を甘い想像で絡めておとなしく従って何になる? ヨッカの部屋から出てきたのはこれだけじゃない。こっちを見れば、イヨもことの深刻さに気付くだろう」
オパエツがもう一枚、テーブルに広げたのは、チラシというよりも文書だった。
文書の上には題として『堕天的人間化計画(Falling for Human project:44HP)』と書かれていた。
「最近、街に出て義肢の模人が多いとは思わなかったか?」
言われてみれば、買い物中、歩きにくそうだったり、誰かが物を落としている現場を見ることが増えた。
「この文書は要約すると『手足を取ることで人間に近づくことができる』と書いてある」
「は? どういうこと?」
私は文書を手に取り、目を走らせた。
『手足を取ることにより、あなたはこれまで以上に困難の多い生活を送ることになるでしょう。使命の達成は遠退き、食事や移動すら困難になるかもしれません。しかし、その苦しみの中にあなたは見出すでしょう。『生きる』ということの本質を』
「全く理解出来ないんだけど」
私は文書をテーブルに置いた。
こんなものにヨッカが騙されていたらと思うと、怒りよりも哀しさが湧いてくる。
「理解出来なくていい。ただ、テネスは片脚のダンサーだった。そしてあの会場にいた殆ど、俺を含めて『片脚で相手を圧倒する彼女』に感動を覚えたのは確かだ」
あのときのヨッカとテネスの試合を思い出して、私は震えた。息を呑むあの試合は、私の筆を走らせるほどに、感動的だった。
感動してしまった。
「ヨッカはテネスに負けた。ヨッカはナナナの死の直前に採掘に失敗した。あの熱血漢だぞ。甘ったるいメロドラマのような妄想よりも、もっと現実的にヨッカは摩天に移籍して、手脚を棄てるかもしれない」
私はテーブルの上に配膳されたヨッカの分の夕飯に目を落とした。
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