Ⅱ-7.気付いて、傷つけて①
オパエツから堕天的人間化計画――44HPの話を聞いた日の夜、私たちはヨッカが帰ってくるより早く家を出て、東の大きな公園、グリーンパーク近くの借宿で夜を明かした。
そこはオパエツがヨッカを尾行するのに使っている借宿で、普段は終電を逃してしまったヒトが夜を明かすのに使うらしい。
尾行と聞いて、ヨッカの後を追っているのかと思ったけれど「走るヨッカに、気付かれないように街を半周することができるか?」と訊かれ、私は納得した。
オパエツは、何夜も費やして、ヨッカとテネスが会っている公園を特定したらしい。そういうことの手助けを他人に求めるのがオパエツは苦手だ。それはオパエツ自身の問題でもあるけれど、私自身、頼り甲斐がないのが一番の原因だと思う。
「そういえば、最近幽霊は見るのか?」
借宿を出た午前二時半頃、グリーンパークへ向かう道中でオパエツが訊いてきた。夜風は寒く、私たちは薄手のコートの襟を立てて、首元を守った。
「見ないかな。あの歌劇の時以降は一度も」
「そうか。気になるニュースがあってな。『始祖の魂石』って知っているか?」
「始祖の魂石って、資料館にあるヤツ?」
初めて見たのは図鑑だった。
始祖の魂石は、私たち模人の第一号の部品だったらしい。その第一号を造った人間の魂が入っている、という伝承がある。
「あぁ。それが割れたらしいんだ。割れた時期は特定されていないが、大体一ヶ月前にニュースになっていた。イヨが見た幽霊と、何か関係があるんじゃないか、と俺は思っている」
「始祖の魂石ねぇ……」
その魂石が割れたのが、SCSの呼び水だったのかもしれない。
オパエツの言葉を借りると「証拠がない以上、繋がりを考えても仕方がない」と私は思っていた。
幽霊についても、ナナナ以降、積極的に考えたい話題ではなかった。
「着いた。この辺りのベンチなら、広場を一方的に見ることができる」
グリーンパークは芝生の広場とアスレチックの広場の二つが何本もの緑道で繋がった大きな公園だった。
私たちは芝生の広場が見える緑道のベンチに座った。ベンチと広場の間には低木の生け垣と針葉樹が並んでいて、たしかに広場にいれば見られているとは気付きにくい。
さらにオパエツが変装用のWRを用意したので、万が一気付かれても、すぐには私たちの正体は分からないはずだ。
「一人来た」
オパエツが小さく呟いた。芝生の広場に人影がひとつ現れた。体格からしてヨッカではない、テネスだ。
テネスは広場の淵、私たちのいる方とちょうど逆の緑道側で準備体操を始めた。
しばらくすると、ヨッカが来た。テネスと二言三言交わしながら、ヨッカも準備体操をした。会話の内容はまるで聞こえなかったけれど、和やかな雰囲気が伝わってくる。
私は心のどこかで、まだヨッカがテネスに惹かれている可能性を棄て切れていなかった。
二人はゆっくりとしたグレイズダンスのならしから始めた。回転蹴りをくぐり合う、ヨッカとオパエツもよくやっている光景だ。
テネスは脚の義足をつけたまま、ならしをやっていた。
「なんか、こういうのコソコソ見るのって良くないんじゃないかな」
「良いことな訳ないだろう? 何を言ってるんだ。それに、あいつらのダンスはあんなものじゃない。始まるぞ」
「始まる……?」
次の瞬間、私は自分の目を疑った。
ヨッカの拳が、テネスの顔面をはっきりと殴打した。
「えっ……?」
テネスは芝生に叩き付けられ、ヨッカも反動で痛む腕を押さえて蹲った。ヨッカの腕に絶縁グローブはない。素肌と素肌で殴り合っている。痛みに悶えるヨッカに、起き上がったテネスが反撃の蹴りを浴びせる。まともな防御姿勢がとれなかったヨッカは、そのまま地面に転がされた。
「ちょっと、あの二人何やってるの?」
「知らん。だが、ここ数日、あいつらは夜な夜な公園で、ああやって互いに殴り合っている。グレイズじゃない。本気の殴り合いだ」
さっきまでの和やかな雰囲気は一変して、馬乗りになっての殴り合いが続いた。異様なのは、五分おきに一分間の休憩を取り、休憩の間は笑っているのだ。そしてまた五分の殴り合いが始まる。
「あいつらが何故殴り合っているのかは知らない。俺が分かるのは、あいつらが殴り合いに取り憑かれているということだけだ」
「でも、あんなのって痛いだけじゃ」
「痛いだけなのにな。極度のストレスで頭がおかしくなったか、もしくは俺たちの到達出来ない世界にヨッカは行ってしまったのかもしれない」
大きな影――ヨッカの右手が、宙空に飛んだ。
ヨッカはとっくに、あの文書に書かれた『44HP』に参加していた。
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